11、夢見

 目を開けたあたしの前に、滲み、ぼやけたような色彩の世界が広がる。


 絵本のような温かみを感じるそこは、どこかの家の庭、だろうか。と、木剣を振りまわしている少年がいた。


 間違いない、あいつだ。年齢で言えば10歳……いや、もっと若いかな?


「フリードレッグ」


 厳つい声があいつの動きを止める。


 家の方から歩み寄ってきた口ひげを生やした男は、あいつの頭に手を乗せて言う。


「熱心な事は良いが、怪我はするなよ。お前には期待しているのだからな」

「はい! 勇者の血を引く者として、必ずや魔王を倒して見せます!」


 少年にしては固く、緊張を孕んだ声。あいつらしいね。


 て言うかあいつ、勇者の血を引いていたのか。そりゃあ勇者候補になって当然だ。


「はっはっは、そうか。今、お前に付ける教師を何人か選んでいる。不便を掛けるが、それまでは自主練に励むように」

「分かりました、父上!」


 踵を返す男、その背中をじっと見つめる少年。と、次第にその情景が世界と共に崩れ落ちていく。


 どうやら、無意識下で混ぜ合わされた意味不明な夢、というわけではないらしいけれど……今の光景は悪夢ではなく、むしろ幸せな記憶と言えるんじゃ……?


「……まだ、続くみたいね」


 行こう。あたしは暗闇と化した世界で足を踏み出した。





 やがて、新たな世界が生まれる。


 どこかの屋敷の広間、だろうか。何人座れるんだ、と突っ込みたくなる巨大なテーブル、無駄に煌びやかな椅子。その内の4つに、人が腰かけている。


 2人ずつ並び、対面するように。壮年の男と赤髪の女の子に、同じく壮年の男と……少しだけ成長した、あいつ。


 て言うか、あの赤髪。この前の婚約者……?


「さぁ、ミリアーネ。彼が君の未来の夫だよ」

「フリードレッグ。挨拶を」


 男達に促され、2人は立ち上がって歩み寄る。


「よ、よろしく」

「よろしく、お願いしますわ……」


 よそよそしいにも程がある、ぎこちない挨拶。まぁ子供だし、と微笑ましくなったあたしだけど、気付いた。背筋がぞくりとする。


 お互いの子供を見る男達の目が、まるで〝モノ〟を見ているかのようだったから。


 と、ピシリと世界に亀裂が入り、がらがらと崩れ落ちていく。


「……これって、あれよね。政略結婚ってヤツ……?」


 魔物の世界でもよく聞くけど、本当にあるんだな、こういうの。





「バカな! 何を考えているんだ、ミリア!」


 あいつの怒声が、新たな世界を生んだ。


 ここは……訓練所、かな? 辺りには木剣を手に手合せをしている人間がたくさんいて、その一角にあいつとあの女がいた。


 2人とも成長している。今よりは若いが、顔つきが明らかに大人びていた。


「何を、と言われましても、何かおかしな事がありまして?」


 ミリアーネが澄ました声で言う。あいつは更に声を荒らげた。


「なぜ君も次の討伐遠征に参加する事になっているんだ! 君にはまだ早い!」

「あら、何故です? わたくしもあなたと同じ勇者候補、なるべく多くの経験を積むべき、と思ったまでですわ」


「くっ……しかしミリア。こんな事を言いたくはないが、君が勇者候補となれたのは実力ではなく、家の」

「フリード。それ以上は、怒りますわよ?」


 ミリアーネが不敵に笑う。その威圧感に圧され、あいつは押し黙った。


「勇者の血を引いている〝だけ〟の没落貴族は、あまりでしゃばらない方が賢明だと思いますわ。誰とは言いませんけど」

「っ……」


 顔を逸らすあいつの様子に満足したか、ミリアーネは踵を返した。


「ああ、そうそう。ゆくゆくはあなたが魔王を倒す旅に出るでしょうが、その際はわたくしも同行いたします。お父様も、あなたの父君も了承済みですので、よしなに」

「……家名に箔を付ける為、か」


「勿論、あなたが護ってくれるのでしょう? 稀代の天才、フリードレッグ様?」

「…………」


 何も言わず、深く一礼するあいつ。ミリアーネはその姿を見下すように一瞥し、足早に去っていく。


 やがて顔を上げたあいつは、今までに見た事の無い表情で呟いた。


「……魔王との闘いすらも、政治でしかないのか……!」


 その一言を最後に、世界は終わりを迎える。誰もいなくなった暗黒の中、あたしは唇を噛んでいた。





 そして、風景が加速する。


 世界が生まれてはあっという間に消え、次々と移り変わっていく。


 誰もいないキッチンでおにぎりを握るあいつ。


 王様? っぽい偉そうなヤツの前で跪くあいつと、その横で跪きながらもムカつく笑みを浮かべているミリアーネ。


 父親である男と口論するあいつ。


 街中で道行く人に声を掛けられ、笑顔を浮かべながらもどこか寂しげなあいつ。


 そして、地下水道の入り口に佇み、悲壮な覚悟を表情に滲み出しながら歩き出すあいつ。


 こんなにも駆け足なのは多分、あいつにとってそれらがこれ以上なく空虚な日々でしかなかった、という事なのだろう。


 そして、もはや新しい世界が生まれなくなる。夢が終わったのか、と夢見を終わらせようとしたその瞬間、


「俺は一体、何の為に生きて来たんだ。バカバカしい」


 あいつの声が響いた。まるで呪詛のような、暗い声。


「〝輝かしい肩書き〟などいらない。〝名誉の死〟もまっぴらだ。お前の息子は、お前の婚約者は、使命を全うするどころか、淫魔ごときに力を奪われて野垂れ死ぬんだ。没落貴族らしく、惨めにな……!」


 ……バカだね、ホント。

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