6、おかしな日々

『さぁさぁ、お話の第2部をはっじめ』

「なくていいっつの」


 尻尾をいつものように薙ぎ払う。いつものように吹っ飛んだ2匹は、ふよふよと宙を泳ぎながら舞い戻ってくる。


『おいおい御主人、せめて始めさせろよ。つれねぇなぁ』

『つれね~、つれね~』


 リズとロアは相変わらず調子の良い事を言って笑った。あたしは特大の溜息を吐く。


「ったくもう。あの時、しっかり殺されときなさいよ。使えない使い魔がいなくなってやっと静かになったと思ったのに」

『へっへ~ん、残念だったなぁ? 使い魔は御主人と一蓮托生、御主人が死なない限り俺達も死ねないんだぜ~?』


『だぜ~?』

「あー、鬱陶しい。そして黙れ。……こいつが起きるでしょ」


 あたしは視線を落とす。


 地下水道の開けた通路の一角。松明がぱちぱちと音を立てている下で、あたしは正座をしていた。


 そして、膝の上には仰向けで目を瞑る男の顔。


 フリードレッグ。あたし達魔物の天敵である勇者、その資質を備えた勇者候補であるその男が、すぅすぅと静かな寝息を立てている。


 約束……いや、脅迫をされたその次の日から、こいつは毎日あたしの所に来た。


 理由は当然、あたしに精気を吸われる為に。


 今日でもう10日目だ。この光景にもようやく慣れ始めて来ていた。


『しっかし、変なヤツだよなぁこいつ。人間ってこんなヤツばっかなのか?』


 リズがこいつの顔を覗き込みながら言う。


「それなら魔物と人間は戦争なんてしてないでしょ」

『確かにな~。わざわざ自分から弱くなりたいとか、どうかしてるぜ』

『どうかしてるぜ~』


 まぁ、それは同感。ホント、どうかしてる。


 あまり人間に深く関わりたくはないけど、逃げたら殺される以上、歩み寄るしかない。で、思い切って『何で精気を吸われたいの?』と訊いてみた。


「それを話す必要性があるとは思えないが」


 ええ、そりゃあんたはそうでしょうけど。こっちはいつ殺されるか分からないから、せめて理由ぐらいは知っておきたいんだっつの!


 とはさすがに言えず、結果的に分からずじまい。けど最近、少しずつこいつの事が分かってきた。


 勇者候補はけっこう数がいるらしく、こいつはその中でもトップクラスの力を持っている事。剣を得意としているけど、魔法の腕も超一流な事。魔物を狩った数、種類、経験が尋常じゃなく豊富な事。……つまり、あたしが逆立ちしたって勝てない事。


 そして、


「っぅ、ぅぁ……」


 ……始まったか。あたしは急に苦悶の表情を浮かべたこいつの寝顔を見下ろし、少しだけ緊張で身を強張らせる。


 こいつは今、夢を見ている。夢魔であるあたしにはそれは分かる。もっと力を付ければ夢見……夢の中身を外から〝視る〟事も出来るだろう。


 そして夢魔は、夢を見ている人間の肌に唇で触れ、夢ごと精気を吸う。逆に、起きている相手の肌に唇を重ねると、精気を吸い取られてしまう。


 あたしはこいつの顔を覗き込み、頬を両手で優しく包むように持つ。息を整え、その額にゆっくりと口づけをした。


「ん……っ」


 夢を吸い、精を吸う。体の中に熱が流れ込み、一瞬だけ心臓の鼓動が大きくなる。


 言うなれば〝強くなる感覚〟なのだが、これに関しては何度やっても慣れない。ちょっとした生まれ変わり、といった感じで、しばらくは浮遊感に似た違和感が残る。


 それがようやく収まったところであたしは一つ二つと深呼吸、こいつの頬をぺしんと弱めに叩いた。


「終わったわよ。起きて」

「…………む、そう、か……」


 寝起きでぼんやりとした瞳をこすり、体を起こす。その後ろ姿はまどろみに揺られているように見えたが、


「よし、メシにしよう」


 振り返ったその顔は、見慣れた仏頂面だった。

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