Final chapter Tower of qliphoth ③
都内某所。白拍子が拠点としている寂れた小さなビルのワンフロア。
その事務室兼応接室に二人の訪問者がいた。ニッタミの職員である。
自分はソファに陣取り、訪問者を粗末なパイプ椅子に座らせていた。
「えーっと、つまりオイラにシマダ武装警備の殲滅作戦に本格的に参加して欲しいってこと?」
訪問してきたニッタミ職員の一人である久保田が「ええ、その通りです」と答える。
「なるほどなるほど。ついに来るべき時が来たようだね」
ソファに腕を投げ出し、顎を撫でる白拍子。その大きな態度に久保田が鼻白むが、すぐに作り笑顔で覆い隠し、「ええ、是非に。白拍子様にもご協力を願いたいと弊社総裁切っての望みです。無論、報酬も相応に用意させて頂きます」
「報酬も相応ってどれくらいなのさ。具体的にいくらくれんの? ってか今の文言じゃ今日までのちっぽけなおちんぎんより多くなるってことが確約されるわけじゃないじゃん。ってか減ることもありえるじゃん。てめーらニッタミはそういう手管で大勢の人間をだまくらかしてきたんだろ?」
白拍子はこれまでもあまり従順な態度は一切示していなかったが、仕事ぶりそのものは殊勝ではあった。故に態度の悪さとその言動の意味不明さに目を瞑れば、ニッタミ側からすれば仕事のできる信頼のおける取引先ではあった。
だがそれにしても、今日の白拍子はやや験があるように思えた。白拍子の言い分に久保田はさすがに不快感を露わにする。
白拍子は二人に対して指を指すと「どーちーらーにーしーよーおーかーなー」と選び始めた。「てーんーのーかーみーさーまーのーいーうーとーおーり」と左側の男で指は止まった。
「お前、名前なんての?」
さっき言ったはずなのだが、と若干の無礼を感じながらも指刺された男は「久保田です」と答えた。
「んじゃ、お前は」と白拍子は今度は選ばなかった男に訊ねる。
「加藤です」男が答える。
「ふ〜ん、へぇ、そうなの……」と訊ねた当人が既に全く興味を無くしていた。
「お前らの名前とかやっぱどうでもいいや。そんなことよりさ、ちょっと俺の話を聞いてくれない? 面白い昔話をしてあげるよ」
白拍子の纏う空気が変質した。傍に控えていた宇春は伏せていた瞳を見開く。
宇春は何度かこれを目撃したことがある。その精神の不安定さからか、あるいはただの気まぐれなのか一人称を変える白拍子だが、滅多に『俺』という一人称は使わない。
「柊修司。この名前をどこかで聞いたこと無い」
目の前の能面男の問いに加藤と久保田は「いえ……」と首を横に振った。
「ンモー、勉強不足だなぁ。仮にも禁止されているナノマシンで色々と悪戯を企んでるんだろ、お前ら。あ? 医療用ナノマシン治験の暴走事故、その被害者の一人。消息をくらましてる最後の一人の名前だよ、ボケが」
宇春はこの部屋の空気がヒリつき始めたのを感じた。
能面の男が『俺』という一人称を用いている時、それは彼が『白拍子』としてではなく『柊修二』として振る舞っている時だ。
傭兵としてではなく、ただ一人の、怒れる男として。
この後の展開がある程度予測できた宇春は、大きく溜息をつくと同時に奥の部屋へと引っ込んだ。
「ある日ある日、この世界の片隅に、一人の男がいました。その男は特に悪いこともせず、かといって目立った特技も無い至って普通の人間でした。その男は普通の家庭で育ち、普通に何かを頑張って、普通に生きて、まぁ目立った不幸も無く平々凡々な一生を送ることになったでしょう。ですがある日突然、病が彼を襲います」
久保田と加藤は困惑し互いに顔を見合わせる。だがそんな二人に構うこと無く白拍子は言葉を続けた。
「ALS。『筋萎縮性側索硬化症』。簡単に言えば神経の運動ニューロンに異常をきたして、全身の筋肉が硬化していく難病だ。有効な治療手段は無く、いずれ身体機能が低下して死に至る。じわじわとね。身体が言うことを効かなくなるんだ。その絶望感たるや。そして何よりも俺が怖かったのは、周囲とのコミュニケーションが取れなくなることなんだよ。声帯が動かなければ声を発せられない。四肢が石のようになれば何かしらの手段で意思を伝えることもできなくなる。全身が動かなくなっても、かろうじて眼球は動かせたから視線による文字入力なんてデバイスもあったけど、それができなくなるのも時間の問題だった。でも恐ろしいことにそんな状態でも意識というものははっきりしているんだ。俺はあの時、間違いなく肉の牢獄の中にいた」
何を言っているんだこの男は。久保田と加藤の困惑に恐怖が入り混じり始める。そんな二人を全く無視して、白拍子は言葉を続ける。
「そんな哀れな男にも救いの手は差し伸べられたのです。それが厚労省と政府主導の新薬……ナノマシン治験。その結果は君達も知っているところだ。戦後最大の医療事後。治験参加者三百人中、今日まで生き残っている事故被害者は五十人。その内一人、その柊修司という男の行方は知れません」
最後に「俺以外は……」と付け加える。
「WHOにも禁止されている医療用ナノマシンなんかで悪戯企ててるものだから、誰の名前くらいか把握してるはずだよね。医療用ナノマシン治験の暴走事故、その被害者の一人。消息をくらましてる最後の一人の名前だよ。知ってろよ、それくらい」
そんなことも知らなかったのか、と苛立ちが声音に孕んでいた。
「治験者の体内に居座ったナノマシンは宿主が二度と同じような病に罹らないよう、その肉体や遺伝子の欠陥を修復、そして肉体と脳の強化まで始めたんだ。だが不完全なナノマシンにそんな仕事が完璧にできるはずもなく、治験者は患っていた難病の完治と引き換えに新しい障害を抱えることになるし、情報処理能力が強化された脳は外部の刺激に対して敏感になってしまった。このストレス半端無くてさぁ、ちょっとした物音もものすごい騒音に聞こえて慣れるまで気が狂いそうだったよ。
だけど脳が外部の情報に対し敏感になったことを、さも超能力者が現れた、自分よりも優れた新しい人類種が生まれたとでも勘違いする馬鹿も大勢現れた。この間、頭がトマトみたいになった浜村大輔みたいにね。
ニッタミはそういう被害者を利用して、禁忌の技術に手を出そうとしているんだ。そんな連中をかつて『柊修司』と名乗っていた俺が簡単に『敵』を見過ごすと思うかい?」
ソファから立ち上がる白拍子。首をかしげて能面を揺らす。久保田と加藤にも肌で感じるほどに、事務所の中の空気を冷やすほどに、能面の男からは激情が発露されていた。
別室で作業をしていた宇春が覗き込む。その白拍子の後ろ姿を宇春は初めて見た。殺意を露わにするところはこれまでに幾度も目にしてきたが、あれは違う。宇春は息を呑む。
憤怒だ。白拍子は怒りを露わにしていた。
「でだ。じゃあ、久保田くん。君に一つお願い。今から俺が言うことを、そのまま我来のくそったれに伝えてよ」
名を呼ばれた久保田がびくりと肩を震わせる。
「我来臓一の首を獲るのは、シマダじゃなくてこの『俺』だ」
加藤と久保田の二人は目の前の能面が何を言っているのか、日本語は理解できるが上手く飲み下すことができなかった。何故こんなことを言うのか、理由がわからなかった。二人は目を丸くして、困惑を表情に出す。
「で、加藤って言ったっけ?」
「あ、はい……」
「お前さんは死んでくんない? 顔と声がムカついたから八つ当たりするわ」
「……は?」
ガラスが砕ける耳障りな音が轟くと、白拍子の事務所から加藤が飛び出してきた。そのまま落下した加藤は自分達が乗り付けてきたワンボックスの手前のアスファルトに叩きつけられる。
ワンボックスの中で控えていた加藤と久保田の護衛を務めるコンバットコントラクターたちが慌てて飛び出してくる。何事かと彼らが落下してきた加藤を確認する。目と鼻と口から血を吹き出し、首を曲げてはならない方向へ曲げられている。舌打ちをすると、コントラクター達は各々の武装を構え階段を駆け上る。
「白拍子ぃ!」
コンバットコントラクターたちが喚き立てながら、考え無しに白拍子の事務所に殺到する。
我来をはじめとしたニッタミはクオリティを二の次に人件費を安く済ませようとする悪癖があった。むしろそのような考えしかないと言ってもよい。この場にいるコンバットコントラクターたちも安価で雇われた者たちであり、実戦経験の乏しい反社会的勢力上がりでしかない。事実、閉所では取り回しし辛いH&Kのライトマシンガンを持つ者もいれば、サイドアームのハンドガンにサプレッサーをつけっぱなしの者までいる。
久保田はコンバットコントラクターたちの姿を認めると、涙と鼻水にまみれて恐怖に染まった顔で彼らに助けを求めてきた。コンバットコントラクターたちは久保田に逃走を促し、各々装備した銃器を構える。
白拍子は部屋の中央に立っていた。
「んじゃ、宇春ちゃん。貴重品ちゃっちゃっとまとめちゃって」
奥の部屋に引っ込んでいた宇春に指示を出す。「もうやってます」と宇春が答える。
コンバットコントラクターたちは白拍子の戦闘方法に関する情報は把握していた。この狭い室内ではワイヤーを振り回すことなど不可能だ。勝てる、とコンバットコントラクターたちは勝利を確信する。
そしてその認識が致命となる。
コンバットコントラクターの一人がハンドガンを放つ。
だが白拍子はこれを回避。まるで銃弾の軌道が手に取るように見えているとしか思えない、最小限の回避動作だった。
「気は済んだ? この狭い部屋ならいつもの得物(単分子ワイヤー)を使えないという君らの判断は正しい。正しいけど、今回は拙者の方がすごかっただけなんだなぁ」
ひゅんひゅんと空気を裂く不快な音が事務所の中を跳ね回る。
「使えないんじゃなくて、ただ使いにくいだけなんだよね」
白拍子の異常なまで怪力と身体能力、そして複数の単分子ワイヤーを同時に操る技量と集中力は医療用ナノマシンの暴走によってもたらされたものだ。
コンバットコントラクターの一人が持っていたH&K MG43ライトマシンガンがなます切りにされる。そして、その男の頭と首がずるりとずれて、床に落ちた。
悲鳴、そして肉を裂く音と水音が収まった頃合いに宇春が血の赤に染まった事務所に戻る。不注意で足元の肉塊を踏んづけてしまい、「哎呀(アイヤ)っ……」と足を上げて気持ち悪さに呻く。
「宇春ちゃん、済んだかい?」
「……済むも何も、これ一つで済むかと」
奥からラップトップを手にした宇春が姿を現す。契約書などの重要書類は常日頃からこまめに全てオンライン上にバックアップさせていた。電子化の賜物である。
事務所を後にする二人。ある程度まで距離が離れた所で宇春は手元のデバイスを操作する。MR機能が無いどころか物理ボタンで操作する折りたたみ型のクラシカルなデバイス。数桁の数字によるパスコードを入力しエンターを押し込む。先程まで自分達がいた事務所からつんざくような音と衝撃波とともに、爆風と炎が吹き出した。
この日を迎えることは遅かれ早かれ把握していた。そして、この日のために全ての準備を滞りなく行ってきた。
前を歩く白拍子の後ろ姿を宇春は見つめる。彼女が持つ白拍子に関する最初の記憶は、あの背中におぶさっている時のものだった。
中国北京市郊外の失地農民。それが宇春の生まれだった。
オリンピックに連なる北京市郊外の農地の強制収用。代替地として充てがわれた耕地は耕作地とはとても言えないものだった。痩せている以前に汚染されていた土地ではこれまでのように農耕で生活することができず、大人達は出稼ぎに行くしか他はなかった。
流民同然の貧しい生活。二〇二〇年代から中華人民共和国はアメリカにも並ぶほどの栄華へと到達した。だが宇春はその恩恵の中に存在することは許されなかった。
耐えかねた父達は抵抗し、そして当たり前のことのように官による暴力によって滅せられた。
あの能面の男に拾われたのはその時だったと、今でも覚えている。
「じゃあ行こうか。宇春ちゃん」
この男は自らを神であるとさえ言ってのけた。その彼の話のあまりの素っ頓狂さに目を丸くするしかなかったが、今なら彼のその思想にある程度理解はできた。
そもそも〝白拍子〟という存在が被造物であるが故に神を名乗ることに深く納得することもなかったが、する必要もなかった。神であろうとなかろうと、宇春にとって白拍子は仕えるべき存在なのだから。国の身勝手さに振り回され、そして国に牙を剥く同じ志を持つ者同士だ。
強いて言えば祟り神のようなものだ。憎悪を満たす器となり、そして撒き散らす邪神。神道が主な宗教で現人神なんてものを信じ切っているイカレポンチが大勢いるこの国ではなんら遜色無い。
ならば、私は喜んでこの神に仕えよう。
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