Final chapter Tower of qliphoth ②
ららぽーと豊洲。
シーサイドデッキの備え付けのベンチに由紀と詩乃、そして美月の三人が腰掛け、水彩都市を眺めていた。
「いやーいい映画だったなー」
「そうだねー」
今日は三人で映画を見た。高校生の恋愛をテーマにした映画だった。
由紀と詩乃の二人は真剣にスクリーンに目を向けていたが、美月からすれば退屈そのものだった。ここ最近、夕夜のコレクションを借りて目が肥えてきたからか。そういえば、その夕夜のコレクションにはここ最近の邦画は皆無だった。邦画はあっても黒澤明などの往年の名作や比較的近い年代のものであっても山田洋次や是枝裕和といった一昔前のものしかない。つまりはそういうことなのだろう。
「夜になったら綺麗なんだろうねー」
「傍のレストランでディナーと洒落込みたいなー」
「彼氏と一緒にねー」
「彼氏いないけどねー」
「というか、そんなお金あればいいんだけどねー」
由紀と詩乃の他愛も無い会話に美月も笑みを浮かべる。確かに夜になれば水彩都市の瞬きが黒い運河に鏡のように写し出されれば見惚れるような光景になるだろう。
「いつかさ」
美月が口を開く。
「本当にそうなれればいいね。素敵な人と出会って、経済的にも余裕を持てて……」そして僅かに言葉を詰まらせながら「そんな日が来るといいね」と締めた。
美月の言葉に二人は「そうだね」と返す。その微笑みはどこか寂しさを湛えていた。
三人とも理解している。今、口にしたことも自分達が成人する頃には手の届かない高望みになるのだろうと。そんなささやかな望みさえ叶わない明日が確実にやってくることも。
明日が今日より良い日になるなんて誰も思ってない。一九八〇年代末からこの国の仕組みを崩壊させ続けた者たちは、この国を修復不可能なまでに壊し尽くし、喰らい尽くし、吸い尽くして、後のことは知らないとばかりに報いを受けることなく死んでいった。
不幸になっていくのはわかりきっているから、そのペースがどうか少しでも緩やかであることを祈ることしかできない。
せめて自分が死ぬまでは、致命的な破綻が訪れないで欲しい。
そのことだけを考えて、祈って、耐えている。
生きてなんかいない。
呼吸してるだけ。
故に「このままではだめだ」と気付き「ここじゃないどこかを知りたい」と願う子供の意志を踏みにじることが今の教育者と呼ばれる者たちの仕事の一つだった。
与えられた幸福感を享受し、そのことを疑問に思わない。
思考を停止する。
考えないことに、幸福は存在する。
多数大勢側の誰かが正しいと言ったから正しいというトートロジーを疑問に思うことなく受け入れることが、心の健康を保つ秘訣だ。
誰かの慟哭は「自己責任」、誰かの悲嘆は「甘え」、誰かの今日よりマシな明日を願う声は「香ばしい」という一言で揶揄していく。
そのような白けきった空気の中に傷つけられず快適に過ごすためにも、やはり考えないことが肝要だ。
誰かに隷属するのは辛いけど、自分の頭で考えて判断し、責任を持って行動することよりも全然マシだ。
有名ラーメン店で食事をし、ユニクロで普段着を買い、規制に次ぐ規制で再編集され無味乾燥となった深夜アニメの再放送に目を向けるだけの繰り返される日々。
その停滞は尊ばれるべきものだ。大切にされるべきものだ。
決して打ち破ってはならないものだ。決して変えてやろうなどと考えてはならない。
決して今日より良い明日を望んではならない。
中高生の少女たちが微笑みの中で享受する、永遠とも思える優しく何気なく愉快な日常というものは、いつだって目に見えない、目を背けたるようなグロテスクさの上に成り立っている。
悲劇は貴重なエンターテイメントとして消費され、深淵は覗かれることなく存在しないことにされていく。
日々の生活を送る上で、そういうったことは何ら間違っていない。目の届かない所に封じられた世界には瘴気が満ちている。その瘴気は市民社会にとっては害毒に他ならず、その害毒を人目に晒そうというのであればそれは反社会的行為と見なされる。
例えその害毒とされるものが、客観的事実や現実と称されるものであってもだ。
「ねえ二人共……」
美月が詩乃と由紀を呼び止める。二人は後ろを歩いていた美月へ振り返る。
「今日は楽しかった。ありがとう。これでまた何とかやっていけそうな気がする」
詩乃と由紀は互いに怪訝な顔を見合わせた。
「どったの美月、急に」
「いきなりかしこまっちゃってどうしたの」
美月は照れくさそうな笑みを二人に向けた。
「なんか。急にそう言いたくなって……。パパが死んでママも病気になってしんどい時に二人がいてくれたから、わたしは今日までなんとかやってこれた」
「な〜に言ってんの。当たり前のことじゃん!」
屈託無く笑って言ってみせる由紀。詩乃も淑やかな笑みを向ける。
「だったらさ、もしわたしたちが何か困ってたら、美月も話くらい聞いて欲しいな」
「なんか困ってるの?」
「勉強! 是非とも相変わらず学年トップの美月様にご教示を〜。今度の中間の数学、ちょっとやばそうなんだよ〜」
「またゆっきーはそんなことばっかり。みっちゃんだって忙しいんだよ。確かもうすぐおっきな仕事があるんだよね?」
「゛え、マジで!? せめてどこ出そうかヤマ張ってくんない?」
「ゆっきーさぁ……」
じゃれ合う二人の姿がなんだか無性に可笑しく思えて、美月も声に出して笑った。そしてその二人の姿が無性に愛おしく思えて仕方なかった。
背中に隠しているホルスターに収まったグロック26が己の存在を意識させるように妙に重たくなってくる。まるで「こんなことをしている場合ではない」と言っているかのように。
せめて友人と戯れているこの時間だけは忘れていたいのに。これまでにいくつもの敵の命を刈り取とってきたことを、敵の血にまみれたこの手を、近日中に行われるニッタミ本社強襲のことを。
そして、日に日にその熱さを増す復讐の焔のことを。
三人がららぽーとを出ると耳障りなマイク越しの音声が割り込んできた。
選挙演説だった。豊洲駅の前でくだらない事を喚き散らしているに違いない。三人はわずかに顔をしかめた。
「じゃあわたしたち有楽町線だからー」
「ばいばい」
地下鉄へ向かう二人と別れ、ゆりかもめ線の駅へ向かう美月。
その途中で選挙カーを目にした。
美月の表情が凍りつく。
先程までマイクでがなり立てていたのは現職の総理大臣である高山だった。その彼がマイクを手渡した相手に、美月は視線を釘付けにされた。
我来臓一。柔和だがその貼り付けたような笑みで集まった大衆を見下ろし、手を振っている。
美月からすれば父の仇だ。そしてその隣にいるのは父の仇を、そして多くの人々を陥れている悪の存在を容認している国家の首相である。
駅へ向かう美月の足が止まる。彼女の視線が、我来を見据えて捉える。
我来と高山はまるで太陽のような朗らかな笑みを振りまいていた。
美月の視線が我来の頭部に照準をつける。
「我来臓一」
右手をゆっくりと上げて、人差し指を立てる。 手を銃に見立てていた。
「お前は必ず私が殺す」
親指を折り、ハンマーを上げる。
「世界の全てを敵に回すとしても」
美月のその右手には見えないリボルバーのマグナムが構えられていた。
「お前が為してきたこと、お前が作り上げてきたもの、全てを否定してやる」
ばんっ、と小さく口に出して美月の右手がマズルジャンプする。
「一度しか殺せないのが、本当に残念だけど」
銃弾が本当に放たれていたら、きっと我来の頭が砕けていただろう。
少女は太陽に引き金をひいた。
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