Final chapter Tower of qliphoth
Final chapter Tower of qliphoth ①
やはりそこは医療施設というよりもカタコンベと称した方が正しいかもしれない。
目を覚ましたソクは見上げた天井にそう思った。そして次にある疑問を自らに呈する。
なぜ生きている。
あの時、自分は背後からバレットの接射を喰らった。至近距離でしかも背後からの攻撃では、いかに防御力が高いとされる〈モビーディック〉であってもひとたまりも無い。実際、貫通した銃弾をその身に受けた感覚は今でも生々しく残っている。薄れゆく意識の中で、終わりゆく自分という存在を強く悔やんだことも覚えている。
ソクは上半身を起こす。痛みも違和感も無く体は動いた。手術着の下の自分の体を見下ろす。貫通銃創と思しき傷痕がいくつか見つかったが、しっかり塞がっている。まるで昨日今日穿たれたものではなく、何年も経った古傷のようになっていた。
「起きましたか、ソクさん」
手術着を纏ったフンセンだった。
そしてその背後には我来臓一の姿もあった。
「目が覚めたようだね。具合はどうかな」
見慣れた我来の柔和な笑み。
「ええ、なんともありません。ひどく撃たれたはずなのに……」
「そうだろうそうだろう」
うんうんと納得したかのように、あるいは自分の行いを確かめるように我来は頷く。
「彼なんか君より酷い状態だったのだが……ほら」
我来が目配せするとフンセンは自らの土手っ腹を見せる。そこにはまるで杭か何かで打ち貫かれたような傷痕があった。無論、これも完全に塞がっており古傷のようになっている。
ソクは目を見開いた。
「見てくださいよソクさん。俺も死にそうな目に遭ったんですが、ほらこの通り」
自分の受けた傷痕を見せびらかしてはしゃぐフンセン。
「これも、我来さんが研究をしている新しい技術のおかげなんだそうですよ。俺達、これでまた戦えますよ。死ぬような怪我を負っても死ぬことは無い。俺達は我来さんのおかげで最強の兵士になれたんだ!」
フンセンと我来は互いに抱擁する。その二人の姿をソクは猜疑の目で見つめていた。
あの時、自分は確かに死んだ。流れ出る血液の熱さに奪われていく己の体温。意識と共に砕かれた骨と捩じ切られた内蔵の痛みすらも薄れゆく中で浮かび上がった過去の光景、故郷の残した娘の姿はこの国で言う走馬灯というものだったか。
確かに瀕死の重傷からーー本当に瀕死で済むものだったのかも疑わしいがーー甦ったことは喜ばしい。だがこの身に施された治療は果たして本当に治療と呼べるものだったのだろうか。
ソクは自らの腕に繋げられている点滴に目をやる。
何ら変哲も無い透明な液体は雫となり滴り落ちていた。
自分達はこの男に何をされたのだ……?
時刻は午後十時。
参議院議員國中覚(さとる)はこの日一日の政務を終えると公用車で帰宅した。自宅の玄関前に到着すると、運転手である総務省職員に一声かけ降車する。都内港区の高級住宅街の一画に明治時代から続く國中家の邸宅が広がっていた。厳かな門の前に立つ。
月光と街灯に覚の高い背丈と長い手足の影が伸びる。
そのスマートな佇まいと知性と爽やかさを湛えた相貌は何も考えていない者を惹きつけるだけの魅力があった。
実際の所、内閣府特命担当大臣政務官、与党青年局長を務めてはいたが、政治家としての功績らしい功績は無い。だがメディア受けするその見てくれと中身は無いが耳触りだけは良い言動でそれなりの支持と浮動票を集める能力はあった。
要は客寄せパンダだ。そんなことは重々承知しているし、忸怩たる思いも抱えている。
そういう時、いつも脳裏にちらつく存在がいた。
自分の兄。その生来からの異端ぶりにより國中という家から勘当されられた男。自分よりも遥かに優秀な存在。
その存在がちょうど玄関の脇に夜闇に紛れるように佇んでいるのを認めると、覚は身をすくめた。
「やあ覚、久しぶりだね。お兄ちゃんだよー」
羽田司の姿がそこにはあった。
帰宅直前で緩んでいた神経が張り詰め、その悲鳴が耳鳴りとなる。もう秋も深まった夜だというのに汗が滲み始める。手足が痺れるような感覚に陥り、呼吸が浅くなる。
覚はこの男と対峙すると、いつも身を竦ませ怯懦するようになっていた。いつのことからだろうか。
幼い頃からだ。ずっとそうだった。この男を目の前にすると蛇に睨まれた蛙になってしまう。
「お前のような兄を持った覚えは無い……!」
息と言葉に詰まりながら、どうにか吐き捨てる。
「そんなつれないこと言わないでよ。今日はちょっとお願いがあって来たんだ」
「私とお前にものを頼める義理など無い……!」
拒否というよりも抵抗といった体だった。
「詳しいことは家で待ってる羽田さんから聞いてね。言うこと聞いてくれなかったらこっちにも考えがあるから」
ただの脅しではない。幼少の頃から目の前の男はやると言ったら本当にやってしまう男だった。そのことは覚は身に染みてわかっていることだ。観念したかのようにカクカクと首を縦に振る。
「素直な弟を持ってお兄ちゃん嬉しいよ。ご褒美に良いことを一つ教えてあげよう。そういやもうすぐ我来さんにご招待された『懇親会』の日だったっけ?」
「し、知らん」
「あるぇー? そんなこと言っていいんだ? せっかくお兄ちゃんが忠告しにわざわざやってきたっていうのに。……今度ニッタミでやるっていう『懇親会』に参加したら死ぬことになるよ?」
「お前……一体何を……」
「ついでにもう一つ教えてあげよう。明日朝一でお前が持ってるニッタミの株式、全部売ったほうがいい」
それで全てを察したのか、脂汗に塗れた顔を司に向けた。この男とこの男が率いる者達が何をしでかすのか、彼らが何を目指し何を見ているのか覚にはまるで理解できなかった。
国家のつつがない運営には多少の犠牲はつきものだ。少なくとも覚は何ら疑問も無くそう考えられる人間だった。覚からすれば個人の理で動く者のほうが悪であり、そして理解し難いおぞましい狂人でしかなかった。
「お前の……お前らの目的は一体何なんだ……!」
浴びせられた罵声にも近い言葉に、司は足を止めて答えた。
「皆が明日に怯えなくていい世界」
冷たい声音だった。非難の念を込めた声。
「政治家の勝手な都合で多くの人に迷惑のかかるオリンピックが強行されない世界。多くの人々が経済的に困窮してるのに自分が主催する花見に三倍の予算を出す馬鹿な政治家がいない世界。政府が政策の失敗を誤魔化すために他国や他者に憎悪を煽ることの無い世界。食べていくために子供達が働かされ学ぶ機会を奪われることの無い世界。理不尽に父親を殺された子供が銃を握る必要の無い世界。大人の都合で巻き散らかされた憎悪に巻き込まれた子供が片腕を失うことの無い世界。ろくでもないナノマシンのモルモットにされるような人々のいない世界」
覚を見据える司のその瞳には憤怒とも憎悪とも言えない、形容し難い深淵とも言うべきものが湛えられていた。
「國中という人間がいない世界」
國中家という有力政治家一族があった。
明治維新後の長州閥出身の政治家を祖とし、甘粕正彦と共に満州国の統治にも関わるなど國仲は常に国家の運営者の椅子に居座り続けていた。
太平洋戦争終戦後、当時の頭首はA級戦犯とされたが不起訴となり処刑を免れる。その後公職追放の身となったが、朝鮮戦争や警察予備隊創設を機に再び政界へ舞い戻って以降、國中の一族は与党中枢へ食い込む政治屋を生業としていた。
そして、二〇二〇年の東京オリンピックテロによって当時の総理大臣をはじめとした多数の閣僚が殺害されたことによる政治的空白の隙に、総理大臣の座に居座った國中祝(ことほぎ)こそが、今の日本の体制を組み上げた張本人とも言えた。
だが、國中の有力政治一族としての歴史と基盤に亀裂が走り始めた。
國中の一族に異分子が生まれたのだ。名は司という。待ち望まれた祝の長男である。嫡男として生まれたことをはじめ、全てにおいて司は國仲を継ぐ者としてふさわしい資質を持っていた。ただ一つ、生まれながらの叛逆者であること以外は。
イレギュラーとも言うべき存在。身の回りの全てに対し、そして何より権力というものに対し疑問を懐き、一切の感情論を唾棄し合理性を尊ぶ司は支配欲と忖度にまみれた政治の世界では厄介者でしかなかった。 ある意味、司は政治というシステムの運用保守においては天賦の才を与えられいたとも言える。それがただ、國中という方針にそぐわないだけだであり、そして致命的でもあった。
両親をはじめとした周囲の大人から与えられたものを、つまらないと一蹴し、自らの努力で物事を手に入れ成し遂げることを愉悦とした。
支配者からすれば帝王学を身につけた叛逆者ほど厄介なものはいない。ましてや血縁者ともなればなおさらだ。
政治屋と役人特有の不文律、暗黙の了解、不可侵領域といったものは司にとって考慮に値するものではなかった。
とにかく力ある存在に対して、叛意と疑問を示したくて仕方のない性分だった。
常に人懐こい柔和な笑みを浮かべるが、その裏にあるものは氷のような理性と合理の鬼であり、その笑みも相対する者に対する侮蔑でしたかない。 そしてその理性と合理は日本政府の国家運営の手法とは決して相容れない論理だった。
國中始まっての傑物。だがその実、國中に歯向かう叛逆者。
祝が用意した東京大学への裏口を拒否し、自力で京都大学へ入学すると、卒業の進路には國中の仕来りである財務省を蹴り警察庁官僚として中央官庁入り、ついには國中の家を出奔させられることとなった。
羽田という名字は、彼の側仕えからその時に拝借したものに過ぎなかった。
中央区勝どき黎明橋公園。
「大丈夫かい、羽田さん。こんなことして」
「私めはあくまで司様にお仕えする身。國中という家ではございません」
二人の男が公園のベンチで背中を丸めていた。
羽田と呼ばれたスーツ姿の老人が答える。髪と髭は真っ白ではあるが豊かな量で手入れも行き届いている。
羽田基博。
國中司が生家を出奔するにあたり、羽田と名乗り始めたとは彼の名字からである。幼少のみぎりから教育係として司に仕えてきた男だ。
「無理しちゃだめだよ。君には長生きして欲しい」
「司様のために死ねるのであれば、本望でございます。無意味に無様に生きながらえるよりも、仕えるべきお方のために死ねるのであれば、この老いぼれの命にも価値がつきましょう」
「そんなこと言わないでほしいな。それにまだ君の仕事は残っているよ」
まぁでも……、と羽田司は言葉を続ける。
「こんな世の中で長生きしてもしんどいだけだしね」
さて……と羽田司は話題を変える。
「覚(さとる)のほうはどうだい?」
「覚様にしては、よくやっているとは評価できます。まあ、司様には遠く及びませんが」
「君は昔から覚には手厳しかったよね」羽田が苦笑する。
「器でありません。國中として政を生業にするには、失礼ながら小物としか思えません。価値観が小役人なのですよ。司様と同じ種で腹から出てきたとは到底思えません」
國中覚。羽田司と血を分けた弟である。
羽田翁の評した通り、出奔した嫡男の代用と見られてはいるが。優秀な兄には遠く及ばない。父である祝があらゆる手を用い、覚を己の後継者たる立ち位置へと導いたが、些か役者不足が過ぎていた。
「ま、小物だから御しやすいんだけどね」
羽田司は手のひらにある小さな記憶メディアを握りしめた。中にはニッタミ本社社屋の見取り図などのデータが収められている。司が覚に強請り、羽田翁経由で渡されたものだ。
「そうはおっしゃりますが、司様もいささか甘いのでは。覚様にニッタミの株式を売り払うように忠告なさるなどと」
「そうは言っても、血を分けた兄弟には変わりないけどね。馬鹿な子ほどなんとやらってやつ? せめて只の役人程度で納まればもっとロクな人生になったのに。あーかわいそ」
國中覚もまた『勉強会』の一員であり、ニッタミ総裁の我来とは昵懇である。これからシマダがとる行為による余波から避けさせるために、司は半ば強引に覚に彼の持つニッタミの株式を売却するよう勧めたのだ。
「それじゃあ、そろそろ行かないと。しっかり準備をしないとね。戦いは戦う前の準備で決まるものだからね」
立ち去っていく司の後ろ姿を羽田翁はじっと見つめていた。
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