Chapter 4 It's pay back time with blood and bullet. ⑪
千葉県市川市某所。
市川動植物公園の看板を目にしてからしばらく脇道に逸れ、鬱蒼を生い茂る木々に飲み込まれつつある廃工場がそこにはあった。もはや骨組みしか残っていないような廃車が積まれ、錆にまみれた機械類が放置されている。辺りは林しか無く、深夜ともなれば人の気配は全く無い。
大声で泣いて喚いても、その悲鳴は誰の耳にも届かない。よしんば、届いたとしても誰も興味も意識も割かない。
今の彼らにとってはうってつけのロケーションだった。
「面白いもん見せてやるからお前も来いよ!」とキリカからメッセージを受けた美月も、葵の車に連れられてこの場にいた。出迎えてきたキリカと夕夜が野球のユニフォームを着ていたので何事かと驚いたが、見せられた田淵の姿に「趣味が悪い」としか思えなかった。
本当に趣味が悪い。それ以上の感情を美月は抱かなかった。重機で深く掘られた穴の中に放り込まれた四肢を拘束され全裸に剥かれた田淵の姿を見ても、ただ苦笑するだけで終わった。
羽田の言う通り、田淵に対する尋問は拷問へと段階を上げられていた。機動強襲課の一係〈フェンリルチーム〉と二係〈サーベラスチーム〉の面々は掘られた奈落の下に叩き落とされた田淵の姿を見下ろしている。
拷問の主導役は一係の三条である。元警視庁捜査一課の刑事の、昔取った杵柄というものだった。
「さて、田淵”元”役員。既に、久槻さんや羽田さんから同じ質問を受けたかもしれないが、もう一度最初からやり直そう。なぁに夜は長いんだ。時間の心配なんてしなくていい」
三条がキャスターのソフトケースを取り出すと、底を叩いて中の一本を取り立たせる。それを咥え火を着けた。ほんのりとバニラの香りが鼻孔をつく。
「なぜ俺たちシマダを裏切った。そしてなぜニッタミに、我来臓一に尻尾を振った。いや、その前にそもそも何故、広告代理店ごときの営業だったお前が戦闘プロパイダに入ったんだ。お前は最初から俺達を貶めるためにシマダに入ったのか」
「どうせ、広告屋から戦闘プロパイダ業への華麗な転身! って感じでてめえを誇示したかったんだろ。だけど、そんなに甘い話じゃなかった。『ぼくが考えた最強のビジネス』が通じないものだから、てめえのキャリアに瑕疵が付くとでも思ったんだろうよ」
キリカが吐き捨てる。
図星だった。田淵は何も言い返すことができず、黙っているしか他はなかった。
「お前の話、あんまりにも的外れなものばかりだったもんな。聞いてて常々馬鹿じゃねえのって思ってたけど」と夕夜。
「そ、その通りだ。お前らの言う通り、シマダの中に私の居場所は無くなっていた。我来さんと出会ったのはその時だった」
我来さんね……、と葵が忌々しげに吐き捨てる。
「我来さんは私をニッタミに招き入れ、さらには『勉強会』の一員として推薦してくださることになったんだ。そのための条件を出された」
「それが、ナノマシンに関する情報、つまり雪村朝海の身柄の引き渡し」
「それと、シマダ武装警備の機密の塊である新型DAEの強奪の手引き」
三条と千葉の言葉に田淵は黙る。皆はそれを肯定として受け取った。
『勉強会』への加入は即ち与党所属の、それも最有力派閥の政治家としての道が拓けるということだ。
「さっさと辞めるだけなら良かったのに、いらん欲をかいたな」
三条が吐き捨てる。「黙るな、続けろ」と投石して次を促した。
「ぐっ……ニ、ニッタミは近々、戦闘プロパイダ業に参入の予定だった。そのためにお前らの新型DAEを奪って手っ取り早く利益を出そうと考えていた。だから新型を奪う手引きをした」
「まだ足らねえだろ。亀石とシュナメールについては?」
キリカが足元に転がっていた石ころを投げつけながら訊ねる。田淵の情けない悲鳴が穴から上がる。
「か、亀石重工とシュナメールに手引きしたのも私だ。亀石は普段からお前らに積もるものもあったようだし、シュナメールは経営危機に陥ってたらしい。ニッタミへの連結子会社化をとりなすと打診したら話に乗ってくれた」
その場にいた田淵以外の全員が深く溜息をつく。
「そうかい。それじゃ次にナノマシンについてだ。なぜ今更ナノマシンなんだ。ナノマシンは医療目的であっても倫理的な観点からWHOによって実用どころか、研究すらも全面的に禁止されているはずだ」
「お前ら傭兵どものせいだ!」
葵が落ちていた工具を拾い上げて、穴の中に放り込む。うめき声がまた一つ。
「に、日本をナノマシン大国するためだろうが!」
田淵が吐いた寝言に、その場いる全員が「は?」と声を思わず漏らした。
「DAEなどという兵器とお前ら野蛮な傭兵どもが今の日本を支えている存在だというのが、政府にとっては不都合なんだよ! 日本人は国内外で兵器と兵力を商品として売って回っている死の商人であると、国際世論の批判の的になっている。日本が世界中から貶められているのは、お前らクソ傭兵どもせいなんだよ!」
「言ってることが無茶苦茶だ」とキリカは呆れてみせた。「で、そのナノマシンが兵隊を死んでも戦わせるような代物とはな。本末転倒じゃねえか」
「随分なお言葉じゃないか。確かに俺達がやっていることは褒められたことじゃない。だがな、オリンピックテロ以降、デフォルト寸前だった日本経済を立て直したのは俺たちのような、お前が言うクソ傭兵様なんだぜ。それを用が済んだら不都合な存在扱いかい。参ったねこりゃ。まぁ日本がこういうことやらかしてくれるのは今に始まったことじゃないがな」
「ならばなぜ朝海を……雪村主任を狙った。ナノマシン治験の被害者なら他にもいるだろう」 夕夜が質問を続ける。
「だ、誰がわざわざ雪村なんて面倒な存在を狙うと思った。こちらとて仕方なく雪村を……」
その言葉に、夕夜は短くなったショートホープを穴の中に吐き捨てる。「ひぎぃ」と悲鳴が一つ上がった。
「日本語わからないのか」
恋人に危害を加えようとした者が目の前にいるのだ。夕夜の身から発露している殺気は目に見えるほどだった。そんな夕夜を「へーい、ステイステイ」と村木がなだめる。
「今ニッタミで研究中のナノマシン……『オフィオコルディケプ』はまだ不完全だ。死に至るようなダメージを負っても戦える兵士を作り出すナノマシンだが、その制御にまだ問題があった。そのため完成されたナノマシンを持つ過去のナノマシン治験の被害者をサンプルとして必要としたんだ。ナノマシンの開発は難航していた。過去の治験事故を有耶無耶にしたくて、当時開発に関わった人間や資料のほとんどは葬りさられたようだからな」
田淵の説明は嫌に饒舌だった。怪しんだキリカが「それ本当だろうなー?」と言いながら投石する。穴からは「ほ、本当だ!」と悲鳴混じりの答えが帰ってくる。
「最初は適当な相手を狙うつもりだった。そのためにナノマシン薬害の被害者の情報を得ようと厚労省のデータベースを参照するはずだった。だが、奴らときたらデータひとつまともに管理できていなかったんだ」
今日、政権による政府統計の改竄、公文書の偽造は最早当たり前のものとなっている。そのため、日本国内の行政立法が集計している統計データを参照する際はアメリカのものか、あるいはブラックウェブを通じて中国政府のものを閲覧した方が信頼性は高いとされている。中央省庁がオープンソースとして提示している公式資料は既に政権と官僚によって手を加えられたものだと考えた方が良い。そこに事実など存在しない。そんなものよりも『赤坂(在日CIA)』が同盟国に対して行う監視、あるいは中国政府の仮想敵国に対する監視によって得た情報を客観的にソートされたものの方が遥かに信頼性が高い。ちなみに最も信頼性の無い公文書をアップロードしている官公庁は文科省と大蔵省とされている。
「それで、仕方なく雪村主任を狙った、と。……クソだな」
田淵のその供述に三条も思うものがあったのか、咥えていた火のついたままのキャスターを穴へと吐き捨てる。悲鳴がまた一つ上がる。
「どうせ、朝海は足が不自由だから狙いやすかったとでも思ったんだろ、っと!」
夕夜が、廃材と思しきその場に転がっていた錆びた金属片を投げつける。先が鋭く尖っており、肉を割いたような手応えがあった。田淵の悲鳴が上がる。
この場にいる者全員、田淵に対して何ら慈悲や憐憫の情も持ち合わせていなかった。
そうして拷問が続く。皆訊きたいことは訊き終えたのだろうか、質疑応答をしているのは三条と田淵の二人だけである。同じ質問を何度も訊ね、情報に嘘が無いか、理路整然としているかの確認作業である。
拷問は日付が変わる直前から始まっていたが、いつしか東の空は白みかける程に時間は経過していた。
両者の間ともに限界がきていた。キリカは連続する欠伸を隠そうともしていない。一方の穴の中の田淵はすっかり見るも無惨な姿となり果てている。精神も完全に折れたのだろう。既出の質問にはどうにか素直に答えられるが、新たな質問をすればうわ言のようにぶつぶつと言葉になっていない言葉を呟くだけであった。
そろそろ頃合いかと三条が判断する。
ワゴンの傍で通信を入れていた村木が皆の元に戻ってきたのはその時だった。
「久槻さんから連絡が入った。親会社の経営陣も含めたシマダグループの緊急取締役会が先程行われた。そこでニッタミへの報復を行うことが決定したそうだ」
「真夜中なのにご苦労なこった」と夕夜。
「それくらい、お偉方も今回の田淵のやらかしには相当頭きてるのだろうね」と千葉。
その言葉に美月は決して顔に出さなかったが快感にも似た高揚感を覚えた。
「機密である試作品のDAEをパクられて、おまけにこっちは四人も殺られてるんだ。田淵、お前さんと我来のアホがどこの誰に喧嘩売ったのか、その身を以てわからせる必要がある」
三条の言葉に田淵は意識を取り戻した。
「ま、まさかお前ら、我来さんを相手にするつもりか……」
先程まで散々心身ともに痛めつけられ憔悴しきっていた田淵が声を張り上げる。
「ただのいち企業の総裁ならまだしも、相手は政府与党の国会議員でもあるんだぞ! 今のこの日本で政権に表立って歯向かえばどうなるか、お前らでもわかるだろう!!」
「知るかボケが。お前は喧嘩売ってきた相手の顔見てやり返すかどうか判断するのか? 釈迦だろうがイエス様だろうが殴り返さなきゃ気が済まねえんだよ、こっちはよ」
キリカが吐き捨てる。
「おや、心配してくれんのかい。お優しいね」
だが、と村木は言葉を続ける。
「そんなもん百も承知だ。誰であろうが関係ない。もとより、上の連中もお国と事を構える機会をうかがっていたようだしな」
「それに最初から我来の首を目的でウチに入ってきたのもいるからね」
そう言って、葵は美月の肩に手を置いた。
美月は射抜くような視線を、穴の中で無様に転がっている田淵に向ける。
「狂ってる……!」
「狂ってて結構だ。ラリってなきゃこんな稼業やってねえよ」
キリカが吐き捨て、美月の肩を押して穴から離れた。
「で、あのハゲは結局どうするの?」
葵が訊ねる。
「今ネットを見てたんだけど、面白いものを見つけたんだが」
そう言って夕夜は自身のミクスを操作する。動画アプリが立ち上がり共有モードで皆にも見えるようにウィンドウを中空に表示させた。画面には田淵の顔が映し出されていた。ネット番組に出演したもののアーカイブだった。
『名前さえ売れれば、その過程なんてどうでもいいんですよ。むしろ炎上というのは、自分を手っ取り早く売り出すための有効な手段ですよ。だから私は炎上かんげ〜い! エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』
ネット上で自身が炎上していることに対して、このように返答してはしゃいでいるものだった。
キリカはそのワンシーンだけを繰り返す再生するように設定する。
『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』『エンジョイ炎上! ウィラブ炎上!』
「そんなに燃えるのが好きなのか、お前。じゃあ、やっぱりこれで決まりだな」とキリカが動画の再生を止める。
三条達がワゴンのトランクから液体の携行缶を運び出し始めると、蓋を開けて穴の縁に並べていく。それらが一斉に蹴り倒され、中身の液体が穴に注がれていった。
酷く鼻孔を突くむせ返るような強烈な臭いに田淵はむせ返る。水というには少し粘つきぬめりがある。口の中に入り込んだそれを唾とともに吐き出す。刺激が強く目が開けられない。何だこれは、と罵声を上げる前にその液体が何であるかをわかったため、ひっと言葉とともに息をひきつらせた。
ガソリン。
そして、次に何をされるのかは容易に想像できた。むしろそれしかなかった。
キリカは充満するガソリンの臭いに構わず、煙草に火をつける。紫煙をたらふく美味そうに呑み、そして吐いた。
「火葬代は経費で持ってやるよ。感謝しろよー」
そうしてキリカがとどめと言わんばかりに空になった一斗缶を蹴り落とす。ぐわんぐわんと歪んだ音を立てて、田淵の頭に当たった。
「田淵役員」
美月が穴を覗き込んで田淵を見遣る。屠殺される家畜を見送るような目だった。
「最期に一言、何か言っておくべきことがあるんじゃないでしょうか」
「き、貴様ら全員地獄に堕ちやがれ!!」
田淵が最期に呪詛を喚き散らす。美月は眉根を寄せて不快さを露わにした。辛島に詫びることもできないのか。
「地獄もクソもねえよ。あるとしたら、それはこの世だ」
そう吐き捨てると、キリカはガソリンの充満した穴に火のついたままの煙草を吐き捨てた。
奈落から炎が噴き上がる。悲鳴はほどなくして聞こえなくなった。
ようやくとも言うべきか。あるいは意外と早かったとも言うべきか。我来に照準を定める許可が降りた。その現実を前にして、美月は口の端が釣り上がるのを堪えられずにいた。ある種の恍惚ささえも覚える。
鉄と血と硝煙にまみれた、復讐の一ツ目髑髏(キュクロプス)たちが首をもたげ始めていた。
翌日、港区のタワーマンションで一機のエレベーターの墜落事故が発生したことを、NHKが朝のニュースが三分足らずで報じた。犠牲者は三人。女性一人とその子供二人だという。
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