Chapter 4 It's pay back time with blood and bullet. ②

 シマダ武装警備社屋から少し歩いた所にはスーパー銭湯がある。元々は鄙びた昔ながらの下町の銭湯といった風だったが、東京オリンピックに向けて数階建てのビル型スーパー銭湯に改築されたという。テロにより客入りが危ぶまれたが、今ではすっかり豊洲に居を構えるコンバットコントラクター達の憩いの場になった。

 夕方の開店と同時に一番風呂に向かう二人の男がいた。二人とも鍛え上げられた肉体を一片たりとも隠そうとせずハンドタオルを肩にかけて、ずんずんと大股で洗い場に向かっていく。レスラーのような巨漢と背の低い少年の後ろ姿は、親子は無理でも見ようによっては親方と弟子に見えなくも無い。

 親方の方は村木だった。鍛え上げられた肉体の筋肉量は見事な逆三角形を描き出しており、見る者が見れば美しいとも思える程だろう。まさしく鎧を纏っていると言っても過言では無いほどの、足し算型の鋼の肉体だった。だが、自慢の剃り上げているスキンヘッドにはわずかに毛髪が生え始めており、いつもの輝きに陰りがある。

 一方の弟子の方である夕夜は村木とは対称的に無駄な要素の一切を削ぎ落とした、引き算型の鋼の肉体である。一見すれば細身ではあるが、戦うために必要な力を凝縮した肢体は彫刻のように研ぎ澄まされており、夕夜の整った顔つきが上に乗っていれば色気すらも感じられる程だった。

 公衆浴場では先に身体を洗うのがマナーであり、そのまま湯船に飛び込むなど言語道断である。二人は洗い場に腰を下ろすとシャワーの蛇口を捻った。

「ひゃんっ、つめたっ」

 だが夕夜のシャワーヘッドが明後日の方へ向いていたせいで隣の先客に冷水がかかってしまったようだ。

「あ、すんません」

「いえいえ、お気になさらず」

 夕夜が素直に謝る。その先客も律儀にその能面を着けた頭を下げてきた。

 夕夜はシャンプーに手に取り、もう一度その先客の能面を目にして、

「お前っ、白拍子!」

『ケロヨン』と書かれた黄色い銭湯椅子から転げ落ちた。かこーん、と洗面器が落ちた音が銭湯の中に響く。夕夜の驚いた声にその隣にいた村木も立ち上がった。頭にはシェービングクリームが乗っかっている。

「こらこら坊や、開店直後で人がいないからといって騒いじゃいけないよ」

「あっはい……。いやそうじゃねえ! なんでお前がこんなところに」

 夕夜が立ち上がり身構える。白拍子も立ち上がり、二人と対峙した。能面の頭にはシャンプーハットを乗せている。

「なんでって言われても、僕だってたまには普通に足を伸ばせる湯船に浸かりたいと思うさ。そこに何らおかしいとこはないだろう?」

「何もかもがおかしいだろうっ!」

 能面を着けたまま銭湯に入っていることも、ついこの間まで殺し合いをしてきた間の者が呑気に裸で対峙していることも。

「ま、他に理由はあるけどね。実は君達に最新情報をお届けにわざわざ豊洲まで来たのさ。こっちがほんとの目的」

「なんだと……」

 村木が訝しむ。

「それに、こういう場所なら武器も怪しいツールも持てないからね」

 そう言って白拍子は両手を上げてみせた。

 顔見知りの傭兵同士でも仕事であれば殺し合いになるケースが多いのがこの業界である。そのため、基本的に任務以外の場で出会った場合はそういった遺恨は一切持ち出さないという一応の暗黙の了解が傭兵の間にはあった。

 だが目の前にいるのは見るからにそういった共通認識というものが通じなさそうな、奇天烈という概念が人の形をして歩いているような奴だ。

「殴り合いならできるが?」

 夕夜が拳を突き出す。

「君達はそういう無茶をやるような人間では無いと見込んでいるんだがね」

 そう言って白拍子は腰に手を当て足を広げて、えっへんとふんぞり返って見せる。 顔面以外生まれたままの姿で。

「……わかったから、足を閉じろ足を」

 脱力したかのように、夕夜は突き出した拳をだらりと下げた。

 身体を洗い終わった三人は、まず薬湯に浸かることにした。各種漢方薬から染み出した薬用成分は打ち身や打撲のみならず、切り傷や擦り傷、果ては銃創にも薬効があるという。生傷の絶えない傭兵にはありがたいものだった。

 少年の散切り頭とむくつけきの巨漢のスキンヘッドと能面の三人の頭が薬湯に上に並んでいる。

「田淵信次郎の行方を掴むのに手こずってるようだね」

「なんでそんなことを知っている」

 村木の低い声。

「その田淵を裏切らせた張本人が拙者の雇い主だからね。安心しなよ。シマダにもうこれ以上裏切り者はいない」

「お前、田淵と繋がってたのか」

 夕夜が気色ばむ。

「繋がりだけを見ればね。でも自分は田淵信次郎とは一度も会ったことも話したこともないよ。どんなことをしているのかは把握してたけど」

「お前の雇い主は誰だ」

 黙秘を許さない村木の声。白拍子は一度伸びをすると、おもむろに湯船から立ち上がった。ちょうど夕夜の目線の高さに白拍子の股間が現れる。

「おい、お前……!」

「露天風呂行きたーい」

 おもむろに湯船を出てバルコニーに出る白拍子。その後を夕夜と村木はそそくさと突いていく。

 バルコニーにある露天の岩風呂からは水彩都市を一望できた。西に傾き始めた陽が運河を微かなオレンジ色に染めている。

 夕夜はこの光景が好きだった。彼が如何にこの国を、東京を『クソッたれ』と蔑もうとも彼の持つ目の前の美しい光景を美しいと受け取ることだけは止めてはいなかった。

「我来臓一。皆さんご存知、現役参議院議員であらせられると同時に株式会社ニッタミグループの総裁。それがミーの雇い主であり、ついでに教えてあげると田淵信次郎の飼い主だよ」

 聞き覚えのある名を告げられて村木も夕夜も目を眇めた。

「そんなに驚かないね。自分の会社の役員だよ?」

「『やはり』と『まさか』って感じだ。具体的な証拠が見つからないから」と村木。

「お前が俺達を嵌めようって魂胆も疑えるが」

 夕夜も眇めた目を緩めてはいない。

「ふむん。確かにそういう考えもできるね。だけど妙な腹芸はもうやめよう。お互い、文字通り素っ裸だしね」

 言って白拍子は自分の左手首に巻いているロッカーの鍵を掲げてみせた。

「やつがれが君達を騙す魂胆など無いという証拠と詳細なデータはこのロッカーに保管してある。君達に上げるよ」

 白拍子が手首に撒いていたロッカーの鍵を夕夜に手渡す。

「なぜ、俺達にそんな貴重なデータを提供するんだ。お前は我来に雇われているんだろう」

 受け取ったロッカーの鍵を自分の手首に巻きながら、夕夜が問う。

「雇われていると言っても儂はフリーランスだし、別に我来の信条に感化されたわけじゃない。オイラが我来に営業かけたのは、ニッタミに潜入するためだよ」

 潜入という言葉に二人は互いに目を合せ、そしてその能面に目を向けた。

「我来は禁止されているナノマシンの研究に手を出している」

 ナノマシンの研究を再開させた我来。その我来に取り入る田淵。シマダ武装警備には雪村朝海というナノマシンユーザーが存在する。その彼女は先日拉致されかかった。

 各々の要素の間に濃い線が繋がる。

「それは我来が所属する『勉強会』に指示か何かによるものか?」村木が問う。

「そこまではわからない。確証を持てる証拠は何も出なかったけど……でも、そう考えることもできるね。今の政権にとって、ナノマシン研究の再開を望む連中は少なくないから」

「だから朝海が拉致されそうになったのか……!」夕夜が奥歯を噛む。

「そう。ナノマシン治験事故の生き残り、ナノマシンユーザーは奴らにとって喉から手が出る程欲しい貴重なサンプルだからね。その拉致の手引きをしたのが田淵」

「サンプル……モルモット扱いかよ……!」

 村木が剃りたての頭を撫でながら言葉を続ける。すぐに浮き出る玉の汗と浴場の照明に煌めく。

「田淵は最初から我来の手先としてシマダに潜り込んだのか……?」

「いえ、元々田淵は親会社の『コミュニケーションデザイン室長』だか『インフルエンサー』だかわけわかんない役職で潜り込んだ後に、厄介払いされてウチに押し付けられたはずですよ。最初から我来の手先となってたなら、親会社に在籍していた頃から何かしらの圧力があったはず。そう考えるのはちょっと難しいと思います」

 夕夜の反論に「そりゃそうだな」と村木は肩をすくめた。

「そんなにしょーもない奴だったの?」

 白拍子の能面が揺れる。

「元は広告屋だったらしい。その昔のやり方を傭兵業でも押し付けようとしてきやがって、どうにもいけ好かない男だったよ」

 白拍子の問いに村木が答える。

「口を開けば頓珍漢なことしか言ってなかったですからね。久槻さんや羽田さんからも明らかにハブられてましたし。なんであいつがウチにいるのかわかりませんでしたよ」と、夕夜も続けた。

「あぁ、だからかな」

 白拍子は合点がいったかのように能面をまた揺らした。

「ああいう手合はプライドが高いからね。戦闘プロパイダという未開の分野で自分の実力が通じるとでも思ったのか、あるいはその未開の分野でやりたい放題やりたかったのか。まぁ広告屋ってそんな連中だし。どちらにせよ、いざ入ってみたら自分の考えも実力も全く通じないわ、価値観の違う連中ばかりでプライドはズタズタ。そこから先はどんな経緯かわかんないけど、まぁ我来と通じる機会があって、悪巧みしたとか魔が差したとか……『あいつら舐めやがって〜ぼくちん本当はこんなにすごいんだぞ〜』的な?」

「そんなふざけた理由で馬鹿げたことを……!」

 夕夜は憤慨し湯を叩く。

「いつだって馬鹿げたことはふざけた理由で起こるもんだよ、ジュノンボーイ」

 言って白拍子は湯船から立ち上がった。ちょうど村木の目線の高さに白拍子の股間が現れる。

「だからお前……目の前にぶら下げんな!」

「ちょっと頭を冷やそうか。水風呂浸かったら、サウナに行こうよ」

 おもむろに露天風呂を出て中に戻る。夕夜と村木もそそくさとその後に続いた。

 サウナは低音のスチームタイプのもので、部屋の中央には塩が入った壺が置かれている。夕夜と村木、そして白拍子の三人は並んで蒸気を浴びていた。

「ちなみに雪村朝海を拉致ったバンに狙撃された跡あったでしょ? アレやったの拙者だから」

 サウナの熱にうだっていた夕夜が顔を上げる。

「なんだってそんなことを……」

「いやあ、さすがにああいう手管を使うのはねーわって思ってさ」

 それはナノマシンへの執着とも見ることができた。二人はそう認識する。

「俺から質問がある」

 村木が問う。

「おっけー、なんでも訊いてちょうだい」

「なぜお前はニッタミに潜入した。なぜ拉致されかけた雪村主任を助けるような真似をした。お前とナノマシンに何の関係があるんだ」

 白拍子は一つ伸びをする。鍛え上げられた肢体がポキポキと音を鳴らす。

「『ヒイラギ・シュウジ』」

 人の名前だろうか。夕夜と村木は唐突に告げられたその名を忘れないように小さく反芻する。

「君達に渡すデータにもあるけど、行方不明になっているナノマシン治験事故被害者の名前だ」

「それがお前の本当の名前か」

 ナノマシンに対する執着心、そしてここで告げられた名前でそう推測するのは、当然の帰結とも言えた。

 村木の言葉に白拍子は「てへぺろっ」と首をかしげてみせる。

「お前の目的はなんだ。復讐のためのテロか」

「テロ〜?」

 白拍子が笑う。的外れの言葉が笑いのツボに入ったのか、けたけたと能面を揺らし、そして、

「なるほど。それは棺型人口ピラミッドを下る砲艦銀鼠号のことかな?」

「は?」

 文章になっているようで、全く意味を成していない白拍子の言葉に夕夜は間の抜けた疑問の声を上げた。だが白拍子はその意味不明な言葉を続ける。

「右巻きヒキカエルと左巻きヤドカリによる死んだ兎の後ろ前脚がさぁ」

 意味不明な言葉を羅列し始める能面に、さしもの夕夜も村木もこの世ならざる形容し難いその様子に、強いて形容するとなれば冒涜的とも言えるその様子に、怖気を感じ立ち上がって白拍子から距離を取る。

「おっと失礼。驚かせてごめんね。清い第八骨髄の勢いが余ったようだね。これはデッドグリーンハウスクラスシナリオ……」

「……ところでよ、お前のその意味のわからんそれ、もしかしてナノマシンの影響なのか?」

 夕夜が訊ねる。

「血の巡りが良くなったからかなー」

 白拍子は首を回し身じろぎをする。

「……朝海もそんなわけのわからないことになりかねないのか」

「その心配は無いんじゃないかな。彼女、ナノマシンの影響は足に出たんでしょ。多少脳みその情報処理能力の上がったようだけど、それも他の治験事故被害者と同程度だと思うよ。ナノマシンがもたらす障害は基本的に一つだけだからね。僕が治験事故被害者を見てきた感じでは」

「それじゃお前は……」

「『俺』の中で最もナノマシンの影響が出たのは脳だけ。言い方を変えれば、最も脳に強くナノマシンの影響が出た」

「お前のその無茶苦茶な身体能力は、脳に巣食うナノマシンのおかげってわけか」

 村木が言う。確かに脳の影響はそのまま肉体にも及ぶ。生身でDAEと張り合うだけの戦闘能力は。それによってもたらされているのだろう。

「『ナノマシンのせい』って言って欲しいね。これでも被害者なんだよ、『俺』?」

 さて、と白拍子は言葉を続ける。

「話を戻そう。『俺』の目的はなんだって話だったね。一言で言えば、この国、この世界の破滅だ」

 何かと思えば、あまりに抽象的でありきたりな答えだった。夕夜は鼻を鳴らす。

「でもテロなんて言葉で片付けて欲しくないね。左翼的だとかアナーキズムとかそんな上っ面で言葉によるカテゴライズなんてされたくない。もっとプリミティブな情念さ。『俺』はただ『善良で一般的な日本人』がその善性と普遍性で破滅への道を自ら選択する無様な姿を見届けたいだけなんだ。『俺』はその背中を押してあげるだけ。静かな水面に小石を投じて、その波紋がどんな影響を及ぼすが見たいだけ。ケージの中のハムスターが殺し合いをして共食いをする姿を見つめていたいだけ。『まるである日突然、虐殺が内戦というソフトウェアの基本仕様と化したかのように』ってね」

「お前が『虐殺の文法』をばらまくって魂胆か」

 夕夜が白拍子の引用した言葉に反応を示す。

「そのお前の目的が俺達に有力なデータを渡すことと、どう繋がりを持つんだ」

 村木の言葉には棘があった。白拍子の目的に自分達が利用されるのか、という苛立ちが窺える。

「少なくともシマダの中に一人、『俺』と気が合いそうな人間が存在しているものでね。ちょっとそのお手伝いをしたいだけさ。……影山美月、彼女面白いね。あの様子だと我来を殺しても止まらないんじゃないかなぁ」

「それがお前の、背中を押すということか」

「押すのは彼女の背中じゃない。言ったはずだよ、『善良で一般的な日本人』だって……」

 白拍子は二人を一瞥する。

「あ、ちゃんと水分補給するんだよー」

 その言葉を最後に白拍子はサウナ室から出ていった。ガラス扉の向こう側では能面の男が股間に手ぬぐいを勢いよく叩きつけてる姿があった。ぴたーんっ、という音が銭湯の中に轟く。

「なんで俺達風呂入りに来たのに余計疲れてるんでしょう……」

「知らん……」

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