Chapter 3 Chiba city stampede ⑥

 シマダ武装警備社屋内の司令室で久槻は苦悶していた。

 最初から目標など無く、敵はこちらを嵌めるつもりでいた。だが、辛島が敵に拘束されたことで即時撤退も許されなくなった。残った〈ティーガーシュベルト〉と〈黒瞥〉が同時に突撃をしかければ、まだ可能性はある。だが……それ以上のことは現場の村木も同じことを考えているだろう。

「あの、久槻さん!」

 守口の声に「今度はなんだ!」と思わず声を荒げてしまう。「いやすまん、何があった」と言い直した。久槻の顔を振り仰いだ守口の顔は蒼白しており血の気が失せていた。

「それが……警備課三係からの……エマージェンシーコールです……!」

 警備課三係。現在、朝海の警備を担当している者達だ。久槻が僅かに目を見開く。

「繋げ!」

『……こちら警備課三係の……篠崎です……』

 通信越しの声は途切れ途切れであり、言葉の合間に苦痛に満ちた喘ぎ声と吐息が混ざっている。

「どうした、何があった!?」

『正体不明の勢力からの……襲撃を、受けました……。雪村情報主任が……拉致されました!』

 その通信が何を言っているのか、すぐに意味を把握することができずに一瞬呆けたような表情を浮かべる久槻。だがその予想だにしなかった事態に対処する冷静さを取り戻す。

「篠崎、被害状況は?」

『警備課三係は私を除き死亡……私は腹部を撃たれましたが、今すぐどうこうってわけではないです。敵勢力は宅配便業者を装って襲撃してきました……雪村主任を拉致した目的は不明です……』

 久槻にもなぜ彼女が狙われたのかは判断がつかなかった。正確には心当たりが有りすぎるのだ。彼女の技術力が目当てと考えるのが妥当だろうか。ならば拉致されたからといってすぐに命をどうこうされるということは無いと見て良いだろう。だからと言って、拉致されるのを黙って見ているというわけにはいかない。

 機動強襲課が虚偽の任務で危機的状況に陥られたと同時に朝海の拉致。偶然とは考えられない。

 もしや、この任務自体が罠だったか。脂汗が久槻の首筋を濡らす。普段朝海はシマダ武装警備の社屋で活動を行っている。何かしらの目的で敵が彼女の身柄を欲するのであれば、確かに今日の彼女の社外への出張は拉致するのに最適の状況だ。

 司令室の扉が開き、羽田が姿を現したのはその時だった。いつものニヤついた表情は無く、今は緊張感を孕んだものとなっている。

「状況は僕も把握したよ。他の手の空いていた警備課は僕の指示で動かした。だけど、ちょっと厳しいね……」

 豊洲から幕張までの距離の間に、拉致実行犯は逃げおおせるだろう。モニターに映る幕張周辺のマップには一つの光点が点滅していた。朝海が持つミクスによるビーコン機能だ。だがこれもいつまで保つかわからない。拉致実行犯が朝海のボディチェックを隈なく行えば、そこでビーコンと共に朝海の行方は途切れる。早急に対処する必要があった。

「今動いている〈サーベラスチーム〉と〈フェンリルチーム〉から戦力を分割するしかない」

 第二世代型DAE、特に機動力に優れている〈エアバスター〉か〈黒瞥〉なら走って追跡は可能だ。

〈サーベラスチーム〉の中で最も身体能力に優れているのは〈黒瞥〉の装着者、夕夜であり、現時点で行動を封じられていないのも彼である。


「朝海が……!」

 雪村朝海についての報せは任務中の〈サーベラスチーム〉と〈フェンリルチーム〉にも届けられた。動揺を隠せない夕夜。その〈黒瞥〉の肩に千葉が「落ち着いて」と言うように肩を掴む。皆平静を保っていたが、それも努めて自らを落ち着けているに過ぎなかった。一名、「あ゛ぁ!? なんだそりゃ!?」と怒鳴っているキリカを除いて。

『これより部隊を分割して雪村朝海情報主任の救出活動を行う。〈サーベラス3〉、〈フェンリル2〉、以上の二名は現作戦領域より離脱。拉致された雪村情報主任を追跡、救助しろ!』

〈サーベラス3〉の夕夜、〈フェンリル2〉葵の視界上に幕張新都心付近のマップが投影され、赤い光点が点滅を開始した。朝海の位置を示すビーコンである。幕張から東京方面へと向かっている。

 夕夜が前方を見遣る。敵〈モビーディック〉に抱えられ力なく項垂れている〈エアバスター〉がズームアップされる。

 立て続けに発生する喫緊の事態に、さしもの夕夜も浮足立っていた。そんな夕夜の肩を村木が掴む。

「いいから行って来い! それとも何か? 自分がいないとこの状況に対処できないとでも思ってるのか? 自惚れやがって。上司舐めてんのか」そう続けて力強く、夕夜を押し出した。

「……後をお願いします!」

 絞り出すような声とともに、夕夜は疾駆し戦闘領域を離れていった。敵の銃撃がその姿を追うが、それを咎めるために美月達が応戦する。葵もすぐ傍の港職員の事務所と思しき建屋に駐車されていた中型バイクを強奪すると、夕夜を追った。


 揺れる車内の中で朝海は目を覚ました。頭に残る鈍痛に呻く。まだぼやける視界に映るのは、おそらくバンか何かの車内だった。顔を隠している武装集団の一人が、目を覚ました朝海を一瞥する。

 自分は拉致されたのだろう。この日、朝海は幕張に拠点を構えるシマダの協力会社との打ち合わせとなっていた。担当者が出るまで朝海と警備課の篠崎と他三人は会議室で待機していた。

 案内された会議室はガラス張りとなっており、朝海の位置からはエントランスが見えていた。担当者が来るまでの間、端末で打ち合わせの準備をしていた朝海だったが、ふと顔を上げると宅配業者が現れたのが見えた。そして銃声。宅配業者の者が応対に現れた社員を射殺したのだ。それを皮切りにして次々と宅配業者を装った襲撃者達が姿を現すと、いくつかある会議室を改め、そして美月達の前に現れた。

 今自分がこうやって拉致されているということは、付き添いの警備課の者達は全滅したのだろう。朝海は目を眇める。

 身を捩らせながら自分の身体を確認する。目立った外傷は無い。一発殴られのか鈍痛がするが、身体を弄ってくるようなボディチェックは行った後も見られなかった。

 襲撃の際、朝海は自分の胸のブラジャーの中にミクスを咄嗟に仕込んだ。彼女の持つミクスには緊急事態に備えたビーコン機能がある。今頃、本社と実働部が事態を把握し自分のことを追跡してくれていることだろう。

 それでも恐怖が湧き出してきて仕方ない。動かない脚が無造作に投げ出されている状態は、朝海にとっては不安極まりなかった。

 怯懦を振り払うように、朝海は首をもたげて拉致してきた者たちへ視線を向けて、連中の目的は何なのか考えることにした。

 身代金か。シマダへの示威行為か。あるいは私の持つ技術力か。

 それとも、ともう一つ朝海が持つ要素に考えが及ぶ。だがまさか、と否定する。否定したかった。

 自分のこの身にまだ居座っている存在。ナノマシン。

 シマダ武装警備に拾われるまで、幾度か製薬会社などから声をかけられたことがある。だが連中の目的は見え透いていた。連中のお目当ては自分の体内にまだ居座っているナノマシンだ。企業倫理という概念すら腐り落ちてる日本企業からすればWHOによる禁止措置など最初から遵守するという考えは無かった。

 救助は来てくれるだろう。しかし、それで自分が無事に救出されるかどうかは別問題だった

 朝海は改めて自らの身の上を恨んだ。目の前の現実を否定するように、強く瞼を閉じる。

 瞼の裏に浮かんだのは、漆黒の鎧を纏った少年の顔だった。


 ビルの屋上から屋上へ、家屋の屋根から屋根へと飛翔する黒い鎧の姿はさながら忍者そのものであった。〈黒瞥〉の運動性能をフルに活かして夕夜が朝海を拉致した誘拐実行犯を猛追する。夕夜と葵は拉致実行犯が浦安市に入ったところで、敵の姿を捉えていた。

 その下の道路で並走するように葵が駆るバイクが唸りを上げている。時に反対車線にも出ながら車輌と車輌の合間をすり抜けていく。葵の危険運転に驚きと怒りの意を示すクラクションがけたたましく鳴り響く。それらを全て無視して背にしていく。

 二人の視界上には周辺のマップが投影されている。目標が存在する方向が矢印で示されており、その彼我の距離が表示されている。距離を示す数字は勢いよく目減りしている。

 やがて目標を示す光点がマップ上に表示される。そしてその目標の背中が見えるまでに追いつく。視界上の片隅にアラートと共に目標が拡大表示される。

 クイックデリバリーと呼ばれる車種の宅配便用のバンだ。車体には緑の社名ロゴが印字されている。

 夕夜は低いビルの屋上から道路上に降下し、さらに追走する足を早める。いくらDAEの強力な膂力による支持があるとはいえ、若干息が上がっていた。

 夕夜は脇腹部のホルスターに収めているハンドガン・ファイアボールを一挺抜き、狙いを定める

 タイヤを撃ってパンクさせるか。しかしそれでは横転した際に中で囚われている朝海は怪我では済まなくなる。

 バンの背部ドアが開かれる。拉致犯と思われる覆面の男が姿を現すと、バイポッドで床置きにされたデウK3・ライトマシンガンの銃口を向けてきた。

「くそっ! そんなもん街中でぶっ放すな!」

 夕夜が回避行動を取る。だがその分、追走の足も緩みバンとの距離が開かれる。さらに迎撃にもう一人敵が現れる。RPGの大穴がこちらを覗き込む。

「マジかよ!」

 発射されたロケット弾を飛翔して回避。背後で爆発が置き、爆圧が夕夜の背中に襲いかかる。その勢いのせいでわずかに着地をしくじり、さらにバンとの距離が開いてしまった。

 幕張から浦安にかけての往来での銃撃の伴った突然の追走劇に、そこかしこで悲鳴が上がる。

 突如、夕夜の目の前に乗用車が降ってきた。先程のRPGで吹き飛ばされた路駐の乗用車だろう。アスファルトの路面に激突しフロント部分がひしゃげ、夕夜の行く手を遮った。

「くっそ!」

 夕夜、背面高飛びで降ってきた乗用車を回避する。だが宙を舞っている夕夜にバンの後部座席からいくつもの銃口が睨みつけていた。火線が夕夜を襲う。致命打にはならなかったが、バランスを崩した夕夜はその勢いのままに路面に叩きつけられた。

「真崎君、大丈夫!? 乗って!!」

 後ろから走ってきたバイクの主、葵が速度の下がった夕夜に追いつく。夕夜は身を翻し、バイクの後部座席に跨った。葵がさらにアクセルを捻り、エンジンの戦慄きが更に高ぶる。

 再び夕夜達がバンに追いすがる。諦めの悪い二人を追い払おうと、バンからK3が火を吹く。

「邪魔すんな! 死ねっ!」

 夕夜、ファイアボールを抜き連射する。50口径のAE弾がK3を構えていた敵の頭部に命中。撃たれた敵はそのままバンから転落した。

 事切れて転がってくる敵を葵はハンドルを捻り回避。

「林(イム)さん、前!」

 前方には十字路。信号は赤。左右から青信号を信じ切った乗用車が横切ってる。

 バンは赤信号にかまうこと無く十字路に突入。横切る乗用車の隙間をどうにか掻い潜って通過することに成功した。

 だが葵達のバイクは明らかに通過も停車も間に合わないタイミングだった。ならば、と葵は臆せずアクセルを捻り続けた。

「行って来い! さっさとお姫様助けに行きなさい!」

 葵の激に夕夜はその意図を察し、足を上げて後部座席で膝立ちになる。

 葵達のバイクが横切ってきた乗用車の横っ腹に激突する。慣性と衝撃で後輪が跳ね上がった。夕夜、その勢いを利用して飛び上がった。

 弾丸のように飛翔する漆黒の鎧。みるみる内にバンとの距離が縮まる。

《左腕ワイヤーアーム射程距離圏内》

 AIによる音声が耳朶を叩いたのはその時だった。バンに照準がロックされる。

 劉雪梅による夕夜の新しい戦闘用義手。左腕のバイオニックアームを振りかぶり、ボールを投げるように振り下ろす。

 ばしゅん、と空気が破裂する音と共に左手首から先が射出された。太いワイヤーで左腕と接続された左手がバンの後部ステップを掴んだ。

「愛してるぜ、劉博士!」

 義手に内蔵されたモーターが急速にワイヤーを巻き取っていく。感謝の言葉と共に勢いよくバンの車内に飛び込むと、その勢いを利用して敵の一人を蹴り飛ばした。DAEの飛び蹴りを喰らったのだ。背骨か腰を砕いたことだろう。

 残り二人の敵はすぐさま夕夜へとAKー47の銃口を向けた。

「アホかお前ら!」

 夕夜が絶叫する。床には朝海が寝転がっているというのに、この狭い車内で銃をぶっ放す馬鹿がどこにいる。

 夕夜はすぐさま向けられたライフルの銃身を掴み、相手から見て外側へと勢いよく向けた。銃弾は放たれることなく、トリガーガードに引っかかり相手の指が折れた。激痛に悲鳴を上げる敵をそのまま殴りつける。加減をしてはいるが、夕夜の腕力とDAEの特殊人工筋肉による膂力により、簡単に敵の顔が潰れた。

 背後から襲いかかってきた別の敵を背面回し蹴りで対処する。蹴り飛ばされた敵は車内の内壁に叩きつけられ、そのまま意識を失う。

 夕夜はそのまま車内前部に乗り込む。助手席に座っている敵を殴打すると、ドアごと走行中の車内から蹴り落とす。

 運転席の敵が夕夜に向けてハンドガンを向け発砲する。だが9ミリパラベラム如きでは通用しない。夕夜は右腕で銃撃をガードすると、「気は済んだか? それじゃ死ね」と同じように車外へと蹴り飛ばす。

 空いた運転席に座ると、ブレーキをゆっくりと踏み込む。バンが停車した。

 手慣れた手付きでシフトレバーをパーキングにしてシフトレバーを引くと、夕夜は寝転がっている朝海の元へ歩み寄った。

「ナイトが助けにきたぜ」

「遅い! この馬鹿!」

 〈黒瞥〉の鬼にも狼にも似た相貌が今ほど頼もしいと思ったことは無かった。張り詰めていたものが切れたのか、朝海は涙声で叫びながら、両腕を夕夜の方へ伸ばした。夕夜は屈むと彼女が伸ばした腕を自分の首に抱きつかせ、朝海の両足と背中に腕を回して抱き上げた。

「怪我はないか?」

「こいつらに一発、殴られた」

 すると夕夜は昏倒している敵の一人の背中を強く――無論手加減はしているが――蹴っ飛ばした。

 追いついた葵がデウK1・サブマシンガンを手にしながら駆け寄ってきた。夕夜に抱き上げられた朝海に声をかける。

「大丈夫、朝海ちゃん?」

「あいつらに一発殴られました」

「オーケー。あいつら死ぬよりこっぴどい目に合せてやるから」

「ってか林さん、あんだけ派手にぶつかっておいて無事なのか」夕夜が心配そうに問う。

「大丈夫、慣れてる。ああいうのにはコツがあんのよ」

 そういう問題なのか、と夕夜は怪訝そうに停車したバンに向かう葵の背を見た。

 バンに乗り込んだ葵は、夕夜が倒した敵を拘束しながら通信を入れた。

「お姫様はナイトが無事確保したよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る