Chapter 3 Chiba city stampede ③

 東京都江東区東雲。

 鉄鋼団地と呼ばれる工業用地の中にシマダ武装警備の親会社である島田機械の研究開発部門を分社化させた『島田技研』の支社があった。ただし、表向きは島田機械の倉庫となっている。

 建ち並ぶ島田機械の倉庫の中に隠れるようにそこは存在していた。

 第二世代型DAE研究開発ラボ。何ら変哲の無い古ぼけた事務所の建屋の地下に最先端技術を集結させた研究施設が広がっていた。先日倒した千原姉の〈紫のモビーディック〉の残骸はここに回収され、解析が行われているという。その解析結果が出た。

 報告だけならリモートでも行えるのではないかと疑問にも思ったが、今回は四機の第二世代型DAEについても伝達事項があるということなので、羽田と共に〈サーベラスチーム〉は東雲に向かった。

 シマダ武装警備と同等の厳重なバイオメトリクス認証を抜けて、地下の研究所エントランスに到着する五人。ちょうど通りがかった技師の一人が目的の部屋まで五人を案内した。

「おーう、よく来たね」

 案内された部屋では一人の白衣姿の女性が端末に顔を向けていた。

 この部屋の主と思われる人物が椅子がぐるりと回り、羽田達へ姿を現す。

 劉雪梅(ラウ・シュエメイ)。島田機械台湾支社から出向してきたエンジニアである。胸元の開けたよれたネルシャツにジーンズというラフな格好。健康サンダルを突っかけた素足を五人に向けた。

「相変わらず胡散臭い顔ぶれだこと」

 流暢な日本語だった。

 雪梅は五人を一瞥すると、黒いアメリカンスピリットを取り出し一本咥えて、それが当たり前のことのように火をつけた。

「劉博士、ラボ内は原則禁煙では?」

 羽田も苦笑しながら指摘する。

「いーの。私の周辺だけは喫煙おーけー」

 雪梅がそう言うと、村木と辛島、そして夕夜までもが一斉に自分の煙草を咥えて火を着け始めた。

「影山ちゃんは吸わないの?」

「いや、吸いませんよ。というか普通、未成年は煙草なんて吸わないものですからね」

 ちらと夕夜の方を一瞥しながら美月が言う。

「よせやい、照れるだろ」

「褒めてません」

「君はいい子だな。あんな連中を見習っちゃいけないよ」

 別室には〈サーベラスチーム〉の四機のDAEが直立状態で安置させられているのが、部屋を区切っている窓ガラスから見えた。〈シンデレラアンバー〉のみがまだ修繕中のようでダメージを負った碗部が取り外されている。一方の他の三機は完全な状態であった。

「それじゃ博士、お茶もいいけど早速報告をお願いしたい」

「知らなかった、ウチが喫茶店だったとは。まぁどっか適当なとこに掛けといてー。茶は出さないけど」

 そうは言われたものの、椅子の数は明らかに足りない。美月はもうこのまま立ったままでいいやと思ったところで、村木がパイプ椅子を差し出してきたので、軽く礼を言って遠慮なく座ることにした。

「さて、対物ライフルを喰らってもなお立ち上がったガッツ溢れる千原姉についてだね。結論から話そうか。まずあの〈紫のモビーディック〉に変わったからくりは無かったよ」

「まさか本当に千原姉が尋常じゃないほどにタフだったとでも言うのか?」

「今のところはね」

 村木の疑問に答えるように雪梅が端末のキーを叩く。背後の美月達にも見えやすいよう、大きなホロスクリーンが立ち上がり〈紫のモビーディック〉の残骸が表示された。

「あの〈紫のモビーディック〉はとにかくカスタマイズされまくってたようだけど、それ以外に不審な点は見られなかった。自爆機構はあったけどね」

「そういったことが判明できる程度に自爆した際〈紫のモビーディック〉に損壊は無かったということなんですか?」

 辛島が差し挟む。

「そういうことー。さすがに頭部のシステムユニットは焼き切れてたけど、それでも何かしら変わったところは無かった。私は〈モビーディック〉側から何かしら装着者(ドライバー)に対し肉体的あるいは精神的に干渉する機構があるんじゃないかと睨んでいた。あんた達が使ってる第二世代型と同じようなのね。でも、その線は外れだった」

 美月はわずかに目を眇める。〈サーベラスチーム〉が駆る第二世代型には、今、雪梅が言及したようにシステム側から装着者の肉体的及び精神的に干渉する機能が搭載されている。電位的疑似神経接続。ミクス以上の大量の情報の網膜投影などがそれに当たる。その機能を担っているのが『スパイン』であった。

「そして〈紫のモビーディック〉に搭載されていた自爆機構は中身の人間を焼くのが主な役割だった。実際に検死の報告では、千原姉の遺体は損傷は著しくほとんどが炭化している始末だったよね。普通、カミカゼ仕様の特攻兵器というものはその自爆によって相手に大きなダメージを与えることを目的としているよね。でも今回のはまるで逆。敵ではなく装着している中身をぶち壊すことを目的としている」

「となると、千原姉自身に僕達に知られたくない何かしらの措置が為されていたという線が濃くなるね」と羽田。

「ご明察」

 雪梅は指の代わりに火のついた煙草を羽田に向けると、それを一口つけ灰皿に押し付けた。間髪入れずに今度は棒付きキャンディを咥える。

 デスクの上には作業や仕事に用いる端末等のツールの他、糖分補給のためのものか、チョコレートやキャンディなどの菓子類が雑然と散らばっている。ちょっと片付けてあげたいな、と美月は小さく息を漏らした。

「その答えを持っている千原姉のホトケ様はカッスカスの炭になっちゃってる。ここから先は検死に回しても駄目だったね」

 答えを導き出せなかったことに苛立ちを覚えたのか、雪梅は咥えていた棒キャンディをがりがりと噛み砕いた。

「薬物か何かってのは?」と辛島。

「憶測で物事を語りたくないから、わかんないとしか言えない。確かに重傷を負っても動けるようにするドラッグの類はあるけど……近距離でバレットの五十口径喰らったんでしょ? しかも胸に。薬物でアドレナリンどぱどぱ出してどうこうできるレベルのダメージじゃないでしょ」

 雪梅の回答に、それもそうだよなぁとため息を吐く辛島。

 対物ライフルはおよそ二キロメートル離れた位置の生身の人間をも粉砕する威力を誇る。〈モビーディック〉の装甲にによって威力はある程度減衰させられたとはいえ、そのような威力の銃撃を受ければひとたまりもない。実際に、あの時の千原姉は胸部に風穴を開けていたことを撃った当人の美月は鮮明に覚えている。あれで動けるほうがどうかしている。

「というわけで私から言えることはマジで気を付けたほうがいいよ、ってことぐらい。最近多いんでしょ。仕事の邪魔してくる同業の輩」

 ホロスクリーンから〈紫のモビーディック〉の画像が消える。

「千原姉についての報告は以上おしまーい。次、みんなのDAEについて」

 噛み砕いた棒キャンディの棒をゴミ箱投げ捨て、新たに煙草を咥え火をつける。再び端末を操作する。ホロスクリーンには四機の第二世代型DAEのデータが表示された。

「いい具合にデータが出揃ってて、私も含めみんな喜んでるよー」

 四機の第二世代型にはそれぞれ開発責任者が存在する。雪梅は〈黒瞥〉の開発責任者であり、そのコンセプトを生み出した張本人である。他の三人は現在出張中とのことで今この場にはいないが、雪梅を通じてデータは受け取っているようだった。

「で、シュナイダー博士と天宮博士から伝言。『そろそろ〈ティーガーシュベルト〉と〈エアバスター〉物足らなくなったでしょ? パワーアッププラン準備してるから期待してて。それまで死ぬな』だって」

 ほう、と村木は興味深そうに笑みを浮かべ、辛島は「お、マジっすか」と喜びを露わにした。

 シュナイダーと天宮。彼らもまた第二世代型DAEの開発責任者を務めている。

「で、〈シンデレラアンバー〉ね。派手にやらかしちゃったねー」

「……ごめんなさい」美月が謝罪を口にする。

「影山ちゃんはほんといい子だね。そのままの綺麗な君でいてね。まぁ、気にしなくていいよ。どれくらいのダメージを受ければ駄目になるかっていうのもテストの一貫だからね。しかし白拍子に遭遇したんでしょ? それでこれくらいで済んだなら上等上等。何はともあれ無事で良かったよ。人間は替えが利きにくいパーツだからね。一応、修理は急ピッチで進めているから」

 椅子を回転させデスクに背を向けると跳ね起き、雪梅は夕夜に詰め寄る。

「さてさて、それでは真崎君! 〈黒瞥〉の開発責任者として君に対しては厳しくいくぞぅ! それと君の左腕、新しいオモチャも用意したから。それもテストお願いねー」

 ずいっと顔を近づける雪梅に思わずたじろぐ夕夜。モルモットにされることも厭わないとは常々思ってはいたものの、いざその時となれば腰が引けるものだ。

 特に四人の開発責任者にとって夕夜の左腕、戦闘用義手(バイオニックアーム)は第二世代型DAEに用いる新技術や武装のテストとして格好の実験台であった。

 だがこれでも雪梅は四人の開発責任者の中では、まだまともな方である。

「ウチのきかん坊、よろしくお願いします」と村木。

「加減してやってくださいねー」辛島もその場を後にしながら手をひらひらと振る。

「はっはっは! 顔のいい男を好き放題できるなんて、女冥利に尽きるよ!」

「いってぇ!」

 雪梅が夕夜の岩石のように鍛え上げられた形の良い尻を引っ叩く。乾いた景気の良い音が響いた。

「影山ぁー、俺が穢されたら朝海にはどうかよろしく言わないでくれー」

 どう答えればいいのかわからず、美月は苦笑いを向けるしかなかった。


 羽田の事務手続きや夕夜のテストとその結果が出るまでの待ち時間の間、美月は地上階をふらふらと散歩をしていた。ラボ内は第二世代型DAEのテストを務めている美月であっても機密保持のための立ち入りが禁じられているエリアが多く、退屈しのぎにミクスをいじろうにも敷地内では外部ネットワークへの接続も許可されていない。

 自販機でジュースを買って喫煙所に通りかかったところで、煙草を吹かしている夕夜を見つけた。

 夕夜は先程まで着ていた詰め襟の学生服ではなく、全身をぴっちりと覆うタイツのようなボディスーツ姿だった。局部こそはプロテクターが装着されてはいるが、隆起している筋肉と身体のラインはほとんど裸と言ってもいい。

 スキンスーツと呼ばれるものだった。第二世代型DAEを纏う際、人工筋肉の動きを無駄無く装着者に伝えると同時に、強く脈動する人工筋肉や戦闘行為による衝撃から装着者の身を保護するためのものである。

 胸のラインまで露わになってしまうため、配属当初こそ年頃の美月にとってはあまりに気恥ずかしい装備ではあったが、慣れとは恐ろしいもので、初めて着用してから数週間もすれば特に気にすることもなくなった。最も、そんなことを気にする余裕さえ無くなったとも言えるが。

 ちなみにスキンスーツを着用せずともDAEの運用に支障はほとんど無いのだが、問題はその時着ていた服が脈動する内壁によって皺まみれになることと、ゴワゴワとした感触が不快で気になることがあることだ。美月と夕夜は時たま緊急時には学生服のままDAEを着用することがあったが、その都度翌日には学生服をクリーニング店に持ち込む羽目になっていた。

「先輩、テスト終わったんですね」

「おーう、ほんとしんどい」

 義手は調整中なのだろう。左腕の肘から先は無くなっている。夕夜は器用に煙草を摘んでいる右手だけで文庫本をめくっていた。

「本、好きですよね。先輩」

「ん? あぁ、まあな」

 まあな、という割には美月が夕夜の姿を見る時はいつも手に紙の本があった。電子書籍ではない。

 このご時勢、紙の本は貴重なものされている。

「紙の本ってかなり高値で取引されているものですよね。電子書籍じゃ駄目なんですか?」

 美月はかれこれ常日頃から疑問に思っていたことを訊ねてみた。

「紙の本の方がいい。電子書籍は味気ない。まぁ味気ないだけで済めばいい話なんだがな」

 夕夜は新しいショートホープを咥えて火をつける。二人の間にいがらっぽい匂いが満ちる。もう慣れたものだが美月はわずかに顔をしかめた。

「俺の好きな作品の登場人物が、紙の本は自分の感覚や精神を調整するためのツールでもあるって言ってたんだ。『紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ』って」

 文と言葉の一つ一つを味わい、書の中に広がる世界に意識を沈めながら紫煙を燻らす。夕夜にとって、これが最高の贅沢だった。

 今日の日本においては、書籍と言えば電子書籍が主流である。

 そして一人一人の経済活動が記録、監視されている現代において、それは『誰がいつどのような本を購入し読んだか』ということが政府に筒抜けであり、そこから『どんな本を読んで、どんな思想を持ったか』ということまで把握されることとなる。

 一方で紙の本は取引の際にキャッシュレス決済を用いることはほとんど無い。大抵のケースは今やほとんど姿を見せなくなった紙幣や硬貨が使用される。それ故にどんな本をいつどの店で買ったのかということも、第三者に知られることはほとんど無い。故に紙の本は『反社会的』とのレッテルを貼られあまり感心されない趣味と言っても良い。

「だからお前が電子書籍で読んだ本、全部政府に監視されてるぞ」

「それは……なんかイヤですね……」

 全ての経済活動が監視下にあるなら、電子書籍で自分が何を読んでいるのかも当たり前のことだが第三者が把握している。そのことを改めて実感して美月は目を眇めた。

 その眇めた目を夕夜が持つ文庫本に向けてみた。

「興味あるのか」と美月の視線に気付く夕夜。

「ええ、ちょっと」

「……貸してやるよ」

「いいんですか?」

「もう何回も読み返してるからな。でも汚すなよ。貴重だから」

 夕夜から手渡されたその本を受け取る。表紙をめくってみる。最初のページにはタイトルと著者名、そして翻訳者が印字されていた。

「『ジョージ・オーウェル』……『1984』……」

「知ってるのか」

「村上春樹じゃないんですね」

「そっちは『1Q84』な。一緒にすんな」

 夕夜の語気には僅かに棘があった。

「……どんな内容なんですか?」

「そうだな……九十年くらい前に書かれたイギリスの小説なんだが、今の俺達ならすんなりと理解できそうな話だ」

 美月は貸してもらった文庫本をぱらぱらと捲ってみる。

「これ、電子書籍は無いんですか?」

「それな、発禁喰らって絶版になって電子書籍も無いんだ。だから紙の本だけが残ってる。まぁブラックウェブを探してみれば残ってるかもしれないが。読んでみればわかるが、内容的にお上を怒らせるような話だしな」

 頑丈そうな革のカバーに覆われて大切にされているのがわかる。ページには所々経年劣化によるシミや汚れが見受けられるが、それはこの本が幾人もの読者の手を渡ってきた歴史だ。

「何というか、紙の本は自由なんだ」

 夕夜は煙草の煙越しに薄い笑みを美月に向ける。

「俺がいつどこでどんな本買って、そして読んだのか。正規の電子書籍だとネットワークを通じてそれが偉いクソどもに筒抜けだ。俺がどんな本を読んで、どんな感想を抱いて、どんな思想に影響を受けたのかが誰かに丸裸にされるなんておっかなくて漏らしそうだ」

 だけど、と言葉を続ける。

「紙の本は違う。紙の本は自由だ」

 夕夜の言わんとしていることは美月にも理解できた。紙の本のように物理的にスタンドアロンであれば、自分がどのような本を読まれているかなど他人が伺い知ることなど出来ない。

「今でこそ政府や検閲組織の御眼鏡に適うようなものじゃないと電子書籍として出版されないが、昔はどんな本だって出版されていた時代があったんだ。それこそ尻を拭く紙以下の価値しかない内容であってもだ。すごいだろ。今じゃ考えられないよな」

 夕夜は指先に熱を感じた。口を動かしている内にいつのまにかショートホープはほとんど灰になっていた。慌てて灰皿に押し付けて言葉を続ける。

「でも、そんな自由って俺は良いものだと思う。どんなしょうもない本でも世に出る権利はあったんだ……」

 今や、読書は喫煙と同じ扱いを受けている。世の一般的で善良な日本人としては眉をひそめて当然の行為だ。ましてや紙の本は蛇蝎のごとく嫌悪されている。それは自由だからである。

「ほんと、まるでレイ・ブラッドベリの世界だよな」

「それも作家の名前なんですか」

「『華氏451度』だ。それ読み終わったら貸してやるよ」


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