Chapter 3 Chiba city stampede ②
JR新宿駅東口ロータリー。
丸ノ内線へと続く地下通路出入り口に大きな石碑が鎮座していた。慰霊碑である。
二〇二〇年東京オリンピック開催日。開会式会場が木っ端微塵となったと同時に、都内二十三区の山手線主要ターミナル駅においても同時多発的に爆破テロが発生していた。
その日、この場も火の海と化していた。慰霊碑はその時の犠牲者の鎮魂のために置かれたものである。
横断歩道を渡った先、かつてはアルタと呼ばれたビルから三人の少女が姿を現した。大島由紀と平田詩乃、そして美月だった。由紀と詩乃の手には戦利品と思しき紙袋が抱えられているが、美月は手ぶらだった。
ビルの所持会社が変わり新たに建て替えられた今でも、大型街頭ビジョンの前は変わらずアルタ前と呼ばれていた。
それは今日と比べれば多少なりともマシであった昔日に対する郷愁か。
「美月、何も買い物してなかったけど」と由紀が訊ねる。
「お金が無いとか、そういうことじゃないよ」美月は苦笑いで答えた。何も買う気がしなかった。ただそれだけのことだ。
「パパの知り合いが見かねてくれて、その人の会社に入ることができたの。ママに仕送りできるくらい給料は良いし。お金の心配は無いよ」
美月の言葉に由紀と詩乃の二人が顔を見合わせる。
「それならいいんだけど、みっちゃん、溜め込むタイプだから……」
久しぶりに会うことができた友人二人は、それが当たり前のことのように美月の身を案じてくれていた。二人と会うのは父の葬儀の時以来である。
「何かあったら絶対相談してよね。愚痴でもいいから」
「そうそう。私達、どんなことがあっても美月の味方だからね! 授業のノート、いつでも見させてあげるから!」
「ゆっきーのノート、スカスカじゃん」
「気持ちの問題だよ! 気持ちの!」
二人のやり取りに美月は笑みを零した。
「それじゃ二人とも、今日はここでお別れだね」
JR東口の改札前で美月は足を止める。
「ごめんね〜みっちゃん、私達これからお仕事で」
「土曜日に駆り出すとかほんとふざけんなっての。せっかくの土曜日だし美月とご飯行きたかったー!」
彼女たちは何も変わっていない。あの日から。
変わってしまったのは自分の方だ。
改札を通り雑踏の中に消えていく友人二人を見送る美月。テロに遭ったにも拘らず、相も変わらず世界一の乗り入れ数を誇る新宿駅の人の波間に二人の背中はあっという間に消えていった。
学校へ行き、その後に職場で働く。ただそれだけが許されている無味乾燥な毎日。
部活も、勉強も、恋も、興味をもったものを探求する余暇も今の子どもたちには与えられてはいなかった。
ただ淡々と今日という日をやり過ごしていく。それだけであった。
どこかで食事して帰ろうか、でも土曜日だしどこも混んでいそうだなと考えを巡らしていたところで、声を掛けられた。
「アノ、チョト、オシエテクダサイ」
声を掛けてきたのは日本人ではなかった。浅黒い肌に彫りの深い顔つき。訛りの強い日本語から日本人では無いことは明らかだ。東南アジア系だろうか……。
「英語で構いませんよ」
美月が英語でそう答えると、男は不安に満ちて強張った表情が安心感で和らいだ。
「ありがとうございます。助かりました……」
男の言葉も英語に切り替わる。ひとまず安堵したかのように息をついていた。
「道をお訊ねしたいのですが……アニメイトはどちらにありますか?」
「ア、アニメイト……ですか……?」
美月はその手の分野にはあまり詳しくなかったが、それが何を示すのくらいかは予想できた。アニメショップか何かだろう。
「ミクスはお持ちではないのですか?」
「それが……まだ現地の適応設定が上手くいってないもので……」
休日の新宿ともなれば慣れない人間にとっては何かしらのイベントが催されているのかと思えるほどの人手だ。ましてやテロで破壊されても、新宿駅近辺の地下通路の猥雑さはそのまま建て直された始末だ。ミクスによるMRマップを網膜投影しても気を抜けば迷うほどだ。そんな場所をミクス無しで土地勘の無い外国人が歩くとなると、新宿の街は迷宮と化す。
中年の外国人の男がアニメショップを探している。観光客か何かだろう。その裏で美月は物騒な想像も立てて、それにも備える。
美月は男から分からないように右足のブーツを見遣る。ブーツの側面には折りたたみ式の小振りのナイフが仕込まれているのを確認した。
アニメイトの位置は口で説明するには少し難しいと思えたので、美月は目的地まで案内することにした。
「アニメとかお好きなんですか?」
その道すがら、美月が雑談がてら会話を振る。
「いえ、故郷にいる娘からお遣いを頼まれてまして」
車道側を歩いている男が苦笑しながら、メモを取り出した。
「なるほど、そういうことでしたか。どちらから参られたんですか? 日本には仕事で?」と美月。
「キルジナです。そうですね、日本には仕事で来ました」
キルジナという国名を美月は胸の中で反芻する。食料不足と紛争、ジェノサイド。ニュース番組でキャスターが情感を込めて、その惨状を語っていたことが思い出される。そして我来がキルジナに対し、多額の寄付と支援を行っており、そのおかげでここ最近は情勢が安定しているということも。美月はわずかに眉根を寄せ、ほんの少しだけ奥歯を噛んだ。
だが自分と我来の因縁を目の前の男にぶつけても詮無きことだ。それくらいの分別はある。
そうこうしている内に新宿ピカデリーの裏手にあるアニメショップに到着した。
「娘さんのお目当てのもの、あるといいですね」
「ありがとう」
そうして美月は男と別れる。男は美月の背中が新宿の雑踏の中に消えていくまで小さく手を振り続けた。
親切な子がいるものだ。やはりこの日本という国は良い国だ。男の胸の中に暖かいものが満ちていく。
「さて娘からのお遣いをさっさと済ませようか。しかし何だこれは……『ダンスのプリンスさま』?」
男が入店しようとしたその時に、通信の着信音が耳朶に響いた。その通信を受ける。
「はい、ソクです。はい……我来さんの指示で……なるほど……承知しました。では二時間後に……」
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