Chapter 3 Chiba city stampede
Chapter 3 Chiba city stampede ①
数年前。
北海道札幌市内。
そのビルの地下階は公式には存在しないことになっている。
「自衛隊の存在意義が『国民の防衛』であるならば、現在日本国民を合法非合法拘らず、日本政府が理不尽に搾取し害するのであれば、自衛隊にとって日本政府は撃滅の対象となる。まぁ無茶苦茶な論理展開だな」
申し訳程度に空調を利かせた密室。
「辛島宏樹三等陸尉。いや、もう〝元〟だったか?」
自白剤漬けになった意識が自分の名前を呼ばれたことを認識するまで数拍を要した。
「家族は……なんだ、いないのか。つまらん」
つまらんとはどういうことだ。大方、自分に家族が存在していたのなら利用する魂胆だったのだろう。だが残念だったな。家族ならばもういない。貴様らが手出しできるような人間、自分の弱みになるような存在はいないということだ。くそったれめ、と混濁した意識の中で毒づく。
不快感に身を捩らせようとするが四肢は微動だにしない。手脚は粗末なパイプ椅子にがんじがらめにされていた。
自分がこのように拘束されている理由は自覚している。自衛隊内の、ひいては日本国の秩序を乱すような思想、行動を起こしていた疑惑があるとされているし、実際に企んでいた。
正確にはそのような計画に参加するかどうか、悩んでいたところだ。それ故に治安維持機関に身柄を逮捕される所以はある。
だが目の前の男は警察でも、自衛隊内の警察機能を務める警務隊でも無かった。
社会衛生省公安局。
東京オリンピックテロ以降、日本は国内外に潜伏しているとされる脅威に備え、国民に対する監視に注力している。表向きはテロとの脅威に国民総出で立ち向かうというお題目ではあったが、その実、古により連綿と続く日本人が持つ支配欲の発露に過ぎない。相互監視社会の構築の成功により、人々が持つ他人への支配欲は満たされていった。自らがさらに大きな存在に支配されているということを自覚せずに。
社会衛生省はそういった国民への監視体制を総括するために設立された、新たな中央省庁の一つであった。公安調査庁、警察庁警備局と各都道府県警の公安課、そして防衛省情報本部の一部を総括、ばらばらだった治安維持機関を一枚岩することで、内憂外患に対する監視体制をより強固のものにさせた。その取締の範囲は思想や表現にまで及んでいる。
とは言え旧所属組織による派閥が生きており、未だに縦割り行政が横行している。完全な一枚岩とは言えない状況だった。
有りていに昔風に言えば、特高警察とも言える。あるいはゲシュタポか、それともシュタージか。辛島自身もその定義は完全に理解できていない。もしかすれば、国家の運営者たちもその全貌を把握しきれていないのではないだろうか。
「防衛大学校を優秀な成績で卒業。勤務態度も勤勉で、過去に危険視されるような思想も言動も特に見受けられなかった。上官から特殊作戦群選抜試験の推薦をされるほどの君がなぜこんなことを? 正直、我々も今、君がこの場にいることを驚いているくらいだよ」
男はデスクの上に紙資料をばらまく。コピー不可の特殊インクで印刷されているものだ。
「北海道の独立、クーデターとは……また大それたことを考えていたな」
そうだ。老人達が我が物顔で未来を食い潰ししていくことしかできないこんな国と自分の地元が心中しなければならない理由などどこにもない。北海道の経済状況、食糧事情は既に本州と切り離しても問題無いほどに充実している。
脈絡の無い搾取のための法律など日本においては常である。東京オリンピックテロ以降、緊急事態と称してそういった充実した北海道の経済状況を搾取しようとするような特別立法法案を立案すると、道内での政権への不満は沖縄以上に苛烈なものとなった。政府もそれに比例するように社会衛生省による抑圧を強化するようになっていくと、独立という二文字が道民の間でも現実的なビジョンとなり始めた。
だがそれに対しさらなる圧力を以って政府側は対峙した。北海道内の地方選挙において、党員を大量に派遣した上に『実弾』の使用も厭わないなりふり構わなくなってきた。
比例するように独立の気運も高まる。そして水面下ではクーデターの文字が蠢くようになるのは必然とも言えた。
だがその情報も既に社会衛生省の知るところであった。クーデターは失敗に終わり、北海道独立も水泡に帰すことになった。
その数カ月後。
「辛島宏樹元三等陸尉だね?」
「はっ」
名を呼ばれ、辛島は気をつけの姿勢を改めた。自衛官時代と比べて黒い髪は幾分か伸びているがバリカンで整えられている。纏うリクルートスーツの下にはまだ生々しい傷跡が見え隠れしていた。
東京都江東区豊洲。シマダ武装警備社屋の一室。
辛島はデスクを挟んで羽田と久槻との面接を行っていた。
「先の北海道のクーデター未遂事件では大変だったみたいだね。聞くところによると、君はただ巻き込まれただけなようだが」
「いえ、実のところは……」
口を開いた辛島を羽田が制する。手を前に突き出すと、次に人差し指を立てて「お口チャック」と唇に沿わせる。
「君は真面目すぎる。もう少し、肩の力を抜いたらどうだい? 今は税金で食べてる身分じゃないんだし、もう少しはっちゃけても許されると思うよ。そんなしゃちこばってないで。この面接も私服で良かったのに」
「いえ、そういうわけには……」
羽田と久槻が苦笑いで顔を見合わせる。そして久槻は辛島の方へ向き直り、
「既に知っていると思うが、君の北海道クーデターに関わったという容疑は晴れているが社会衛生省のブラックリストに名を連ねている。おそらく、今後は日常生活を送るにしても様々な監視と支障があるだろう」
そして羽田も言葉を続ける。
「でもウチでコンバットコントラクターとなってくれれば、そういった不便もある程度は都合できる。いくら政府と言えど僕らには安々と手出しはできないからね」
辛島の目の前にいる二人の男、羽田司と久槻響也も辛島と同じように社会衛生省のブラックリストに名を連ねている。元は官僚であるにも拘らず日本国の国益に反する者とされた二人であったが、聞けばその政府と言えども迂闊に手を出せない強大な力の持ち主であるという。それどころか、その国家の運営に連なる一部の機関すらも彼らの手を借りることがあるという。国家としては憎々しいにも拘らず、そのような者達の手を借りなければならない。それほどの力のある者の下に就けば確かに当座のそれなりの自由は確保されるだろう。
そんな自由なんかいらなかった。
きっと、これは罰なのだろう。
あの時、クーデターに参加するか否か。その決断を迫られたというのに、我が身可愛さに曖昧な態度を取った優柔不断さに対する罰だ。北海道独立という理想を語るだけの口ばかりで行動を起こさず、与えられた役目を果たさず死に場所を過ち、そして生きながらえてしまった自身への永劫の罰。
だから銃を握らなければならない。
もう彼には新たに死に場所を定める権利などなかった。
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