Chapter 2 Ignite ⑦

 影山美月がシマダ武装警備に入社してから、およそ半年弱。学徒労働者にして傭兵という特異な存在ではあったが、真崎夕夜と雪村朝海という先達が既にいたおかげで機動強襲課の面々はすんなりと彼女を受け入れた。

 無論、内心はどうかはわからない。キリカなどは早々に美月を歓迎したが、他のベテラン達の表情に僅かに陰りが浮き出たことを美月は見逃さなかった。

 そのような中で表立って彼女の加入に異を唱えたのが辛島だった。

「彼女自身が望んだことだ」

「あんたがそうやって煽ったんだろうが!」

 羽田が言葉を挟むが、辛島が口角泡を飛ばす勢いで怒鳴り散らす。

「羽田さんの言う通り、わたし自身が望んだことです」

 美月が言葉を挟み「それに」と続ける。

「貴方達大人に力が無いから何もしてこなかったら……力が無いからわたしが今ここにいるんです」

 辛島は絶句するしかなかった。他の面々も顔を沈める。

 彼女の経緯は皆、把握していた。美月が受けてきた仕打ちを鑑みれば、そう言い放つのも無理は無い。子供達がその国の在り方によって苦悩することは、掛け値無しに当代の大人達の愚かさによるものと言える。

 自室でシャワーを浴びている美月はその時のことを追憶していた。

「あの時は辛島さんに悪いことを言ってしまったな……」

 小声で述懐する。いつか謝らないと。辛島には悪いことを言ってしまった。

 その後、辛島は傭兵として戦うのであれば、せめて長生きして欲しいと辛島は親身になって生き残る術を教えてくれた。元々自衛隊員として北海道に駐屯していたという。特殊部隊に推薦されたこともあり入隊試験にもパスしたという実績を持つ辛島の薫陶もあり、美月はすぐに一流の傭兵として台頭することができた。

 傭兵達は良くも悪くも個人主義だ。こちらから訊ねれば答えてくれるが、基本的に相手の方から何かしら気を回して動いてくれることなど無い。社会人としてはある種の常識の一つかもしれないが。

 そんな中でも辛島はあれこれと気を回してくれることが多かった。実戦や戦闘訓練はもちろんのこと、日々のデスクワークや適度なサボり方、社屋近辺の美味い飲食店や腕の良い整体などを懇切丁寧に教えてくれた。

 ある日、美月は訊ねてみることにした。なぜこんなに親切にしてくれるのか、と。喫煙所のあるバルコニーから見える水彩都市が夕日の赤に染まっていた時のことだ。

「んー、まぁ新人の教育も任せられてるからねえ。任されたっていうよりも押し付けられたんだけど。まぁ夕夜や美月ちゃんが強くなってくれれば、俺が楽できるからってのがあるかな」

 それと、と辛島は続ける。

「月並みだけど、美月ちゃんが妹に似てるからかなぁ。なんちゃって」

 自分で言ってみせて苦笑するしかなかった。照れ隠しに、あるいは誤魔化すようにマルボロを咥え、火をつける。

「俺は……夕夜や美月ちゃんのような子供は戦うべきじゃないと、今でも思ってるよ」

 美月は黙る。

 辛島は優しい男だった。自分が女だから、というわけでもない。見てくれこそ遊んでいそうだが、少なくともこの男は銃を握ることが似つかわしくない。それほどに誰かの幸福と安寧のために祈り、動ける男だった。

「甘いと思うかい。まぁ実際甘いから……自衛隊も辞める羽目になったんだけどさ」

「その妹さんは今どちらに……」

 美月が訊ねると辛島はひどく困惑した表情を浮かべた。そして言葉を探すように遠くを見つめ、溜息とともに答えた。

「……死んだよ」

 そうしてその日は辛島と別れた。

 美月は排水口を見つめる。自分の肢体から熱い湯とともに汗が流れ落ちていく。だが自分の中にある澱みのようなものはこびり付いたままだ。その澱みは何なのだろうか。血か、それとも憎悪に煮詰まった感情か。少なくとも後悔の類ではない。後悔などであってはいけない。

 澱むなら澱め。その澱みが自分を死へと突き進ませる。その澱みが力の源となる。その澱みがわたしのタガを外してくれる。

 シャワーを止めバスタオルで髪を拭きながら鏡を見る。人殺しの目が己を見つめる。キリカや葵ほどではないが十分に出るところは出ている女性らしさのある肢体。だがそれ以上に去年とは考えられない程に隆起している筋肉が、自分が既に兵士となったことを表していた。

 美月はシマダに入り、日に日に充足感を得ていた。

 例えそれが、彼女の纏う血の匂いが日に日に濃くなることと比例しているものだとしても。

 その充足感と血の匂いとともに、美月は寝支度を整えるとベッドの中にその身と意識を沈み込ませた。


「影山さんの調子はどうだい?」

 シマダの社屋内の薄暗いラウンジでは自販機以外の灯りは既に消されていた。

 缶コーヒーに口をつけていた村木三四郎の貫禄のある背筋の浮き出た背中に羽田が声をかける。

「あぁ、あんたか」

 振り返り羽田の姿を確認すると、村木は飲み干した缶コーヒーをゴミ箱に入れてベンチに腰を下ろす。羽田は村木の浅黒い剃り上げたスキンヘッドを見下ろす形となる。

「あいつが入って、半年経つか経たないかくらいか。上手くやってくれてるよ。優秀過ぎるくらいだ」

 心配になる程にな、と村木は付け加える。

 台湾独立戦争において正体不明の台湾側の部隊の一人として、人類史上初めてDAEによる戦果を上げた傭兵だった。

 陸上自衛隊習志野基地第一空挺団に身を置き、その後稼げるからとフリーランスの傭兵として世界中の転戦。その実力を評価され、フリーランス時代から繋がりのあったシマダ武装警備に正式に雇われた歴戦の古兵だ。前線指揮官としても秀でており、個人の戦闘力においても機動強襲課内では最強と評されている。

 そのような彼であっても、子供を矢面に立たせて銃を掲げさせるということには抵抗を持つ程度の倫理観はあった。当時、まだ十五歳だった真崎夕夜を機動強襲課のコンバットコントラクターとして迎え入れる際にも一悶着があった。

 適当にそれなりの怪我をして引っ込んでくれればいい。そんな村木の思惑を嘲笑うかのように、夕夜は傭兵として目まぐるしい活躍を見せた。特に近接格闘においては類稀な才を見せつけ、今ではポイントマンを務め上げている。

 そして美月もそうだった。彼女の狙撃技術は機動強襲課随一のものであり、マークスマンあるいはスナイパーとして部隊には必要不可欠な存在となっている。

「ほんとに優秀だよ、あいつらはよ。実際、あの二人のお陰で俺自身もだいぶ助かってるものがある。だけどよ……」

 言葉を続けながら村木は煙草を取り出そうとする。

「駄目だよ、村木さん」

「いいじゃねえかよ、俺達のほとんど、煙草吸ってんだしよ」

「消防がうるさいんだ」

「じゃあ、しょうがねえな」

 たしなめられて、村木は取り出した煙草を仕舞う。

「村木さん、さっさとそんな倫理観は捨てたほうがいい」

 村木は無言を頷きとする。

「あの二人に対するこの世界の仕打ちはまるで倫理的ではない。ならば、あの二人も、そして彼女達を支える僕達も倫理観を以て世界に相対すべきではない。でなければ世界は……この国は平気で人を喰ってくるよ。尊厳も価値観も、何もかも。影山美月さんの父親がそうだったように」

 美月の父親、影山総悟の件は村木も把握はしていた。気の毒には思う。

 権力者にとって都合が悪いということで、この国は平気で人一人を陥れていることに躊躇しないという事実に村木は反吐が湧き上がる不快感を覚える。

「相手がこちらの尊厳を平気で踏みにじるような人間なら、こちらはそんな人間を喰らうほどの怪物に……人喰い狼にならなければならない。ささやかながらも大切なものを奪われたあの二人に教えられることは、もう奪うことや出されたイカサマの賽の目を握りつぶすこと、テーブルをひっくり返すことしか残されていないんだ」

 確かにこの糞ったれの世界に、この国に対しまともな倫理観を以て相対する義理など無い。

 だが、そのためにまだ十代の子供が人喰い狼にならなければない程に世界は腐り落ちているという事実に村木は深く溜息を吐いた。

「しかし、あんたがそんな風に子供のことを想うような殊勝な人間だったとはな」

「失礼な。でも僕は僕であの二人を利用する魂胆はあったけどね」

「あったのかよ。まあ、知ってたよ。あんたは善意で動かねえ人間だ」

「忍びないと思ったのは事実だよ。でもあの二人には最初から利用するつもりだと伝えたよ。その上で真崎君も影山さんも付いてきた。もちろん、僕のことを利用し尽くしてくれて構わないとも言ったし、実際あの二人は僕のことを大いに利用してくれている。実に頼もしい限りだ」

 その頼もしさは、十代後半の子供が身につける必要もなく、また身に付けてはならないものだ。

「全く……やってらんねえな」

「ああ……やってられないものだよ」

 村木が飲み終わった缶コーヒーをゴミ箱へ放る。投げられた缶は放物線を描き、からんと音を立ててゴミ箱に見事にシュートされた。

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