Chapter 2 Ignite ⑧

 千葉県船橋市ふなばし三番瀬海浜公園。

 タレントの浜村大輔がデモを率いて野外で講演を行っていた。曰く、「ナノマシン治験事故など実際は無かった。被害者と名乗る者たちは国から賠償金をせしめたいだけだ」とマイクでがなりたてている。

 今日、芸能人やアスリートとのような文化人と呼ばれる者は一種のアジテーターの役割も果たしている。インフルエンサーなどという舌触りの良い言葉で呼称されることもあったが、やっていることは扇動に他ならない。

 そうした短絡的な扇動家の一人である浜村は芸能一家の嫡男として生まれた。幼少より名子役として名を馳せた彼だったが、年齢を経るごとにその名誉と富に傘を着せた横暴が目立ち、メディアの仕事は減っていった。

 メディアから干されれば知名度も落ちていく。収入もこれまでの絢爛な生活を続けるには追いつかなくなってきた。

 そんな折にナノマシン薬害被害者のニュースを見聞きした。生来より見聞も視野も価値観も浅薄で狭かった彼はそこで初めてナノマシン薬害のことを知り得ることができた。

 当初は被害者たちに対して上から目線の憐憫の情を向けていたが、彼らが後遺症として超感覚を抱えていることに、どういうわけか憤慨した。

 ナノマシン被害者たちが苦しんでいる脳の働きが過敏になったことによる超感覚など、浜村のような短絡的な考えしかもたない者たちからすれば嫉妬の対象でしかない。彼らが抱えている認知の歪みによって嫉妬する要素の一つでしかなかったのだ。

 そんな被害者たちが国を相手取った提訴をしていることも、浜村にとっては気に食わないことだった。

 思い通りにいかない自分の人生に対する憤懣のぶつけ所を見つけてしまった。

 最初はオンラインサロン上で自身の意見を表明しているだけだった。便所の落書きにも劣る駄文をぶちまけているだけでも、彼の憤懣はわずかながら慰められた。

 だがその駄文は同じような考えを持つ者たちの同意を集め始めた。その同意は浜村に形容し難い快感を与えた。満たされた承認欲求は麻薬のように次を求めていく。その欲求に従い、浜村の言動はより過激なものとなり、いつしか浜村は同じ考えを持つ者たちから担ぎ上げられるようになった。

「ナノマシンによる治験事故など自己責任の何物でもないでしょう! それに国は謝罪を済ませ和解を申し入れた! だというのに、彼らはそれを拒否したのです! これはどう考えても、国家への反逆です! 恐ろしいとは思いませんか! ナノマシンの治験を受けた連中は! 我々よりも脳の情報処理能力が優れているというのです! これのどこが事故なのか! そんな連中が我々に日本国に叛意を示しているのですよ!」

「そうだそうだ!」という観衆の声。その声を上げる誰もが、深く物事を考えていない。

 自らの一挙手一投足、言葉のひとつひとつが全肯定されている。その上、金も勝手に手元に流れてくる。

 浜村は真面目に芸事に励むのがほとほと馬鹿馬鹿しく思えてくるのに、時間は要さなかった。

 そしてこの日、浜村はこれまでの生涯の中で最も万能感を味わっていた。大勢の同じ考えを持つ者が自分の言葉、自分の振る舞いを全て認めてくれている。

 1000メートル以上先から銃口を向けられていることも知らずに。


 三番瀬海浜公園から1200メートル程離れた、河川を挟んだ二俣新町にある工場跡地の中にあるビルの一室。

 事務机や椅子、引き出しなどが打ち捨てられている空きテナントの一室。そこに辛島と美月がいた。

「演説、盛り上がってきたみたいだね。内容はゴミだけど」

「頭痛がするくらい頭悪そうな演説で気が滅入りますね」

「これくらいで参ってちゃ、アスピリンがいくらあっても足りないよ」

 観測手用のスポッティングスコープを覗き込む辛島の視線の先ではお立ち台で楽しげに喚いている浜村の顔があった。視界の片隅に彼我の距離と今日の気温と湿度、そして風の方角と風速、そしてミクスによる浜村の演説を中継しているストリーミング動画が表示されている。音声は直接聴覚神経へと伝達されている。

 その隣では美月がフィンランド製スナイパーライフル・TRGー42を伏射体勢で構えている。銃口の先にはサプレッサーが装着されていた。

 美月はいつもの学校のブレザー姿だった。逃走中に不審に思われないようにするための措置である。

 美月の視界にはレンズ越しに浜村の禿頭を捉えていた。その隅では辛島と同じように気温、湿度、風速、そしてターゲットとの距離などの狙撃に必要な要素が網膜投影で表示されていた。ミクスに搭載された戦闘補助用アプリによるものである。

「射線、クリア」美月が言う。

「いいねぇ。一番盛り上がったところにぶち込むんだね。美月ちゃん、演出家だね」

 軽口を吐きながら、辛島も美月と同じ戦闘支援用アプリによる情報を拡大表示させる。突風を吹く様子は無い。浜村の演説の演出に急激な変化は見られない。突発的な状況が発生はしないと判断できた。

「状況に変化の兆候は見られない。胴体狙い(ハートショット)からいっとく?」

「いいえ、一発で頭を仕留めます」

 美月は一瞬だけスコープから目を逸らし、空を見上げる。 網膜の開き具合を調整する運動だ。

 狙撃による暗殺を行う際のいつものルーティン。これから行う殺人に対する懺悔か、あるいは暗殺の成功を祈るためのものか。辛島が最初に美月のこのルーティンを見た時はそのように見えた。結局のところ、彼女にとってただ一点を見つめて緊張した眼球の焦点を和らげるための運動に過ぎなかったのだが。

 そして彼女にとっては、懺悔をしたり祈る神など存在しないものだった。

 彼女にとって神もまた狙撃の対象に過ぎないのだから。

 神に遭うては神を撃ち、仏に遭うては仏を撃つ。それが影山美月の持つ宗教だった。

 再びスコープに目を戻し、視線をターゲットの浜村に注ぐ。息を吸い、止めて、トリガーにかけた指をそっと優しく引き絞る。

 TRGー42が死の宣告を斉唱した。


「さて、ここで皆さんにお伝えしたい大切なことがあります」

 そう言って浜村は両手を大仰に上げて、自らの気持ちをありったけ込めて宣言する。

「私、浜村大輔は現政権与党の推薦を受け、次期参院選に立候補するこ」

 満願の意を込めて言い放とうとしたその途中で、浜村の額にラプアマグナム弾が命中。彼の禿頭がトマトのように弾けた。

 一拍の間、その場にいる者は眼前で発生した事態に呆けることしかできなかった。

 マイクが壇上に落ち、ゴトリという音がスピーカー越しに響く。

 浜村は上顎から上が砕けて消え失せていた。残った下顎の並びの悪い歯の上から舌がだらりと垂れ下がる。ゆらりゆらりと前後左右に柳の枝のように揺れた後に膝から崩れた。

 転がるマイクがハウリングを起こし、悲鳴のような音が轟く。

 そこでようやくその場にいた者たちはパニックに陥ることができた。


 美月が手動でボルトを引くと、空薬莢が排莢され軽い音を立てて床に落ちる。転がったその空薬莢を美月は拾い上げて、ポケットに仕舞った。自分達の痕跡を遺さないためである。

「ヘッドショット、命中。目標ダウン。いつ見ても美月ちゃんの狙撃は惚れ惚れするよ」

「辛島さん」

「どったの?」

「あの……浜村の死体の横にいる女と……子供ですね。あの二人は何者です?」

 スコープを覗き込んだままの美月が尋ねる。頭の砕けた浜村の横に女と子供が寄り添っていた。二人は浜村だったそれを必死で揺さぶっているのが見えた。

「んぁ? あぁ〜あれは確か……」

 辛島はスポッティングスコープを覗き込んだまま、ミクスを操作する。スコープを覗いている方とは反対側の目に情報が網膜投影される。映し出されるのは女と子供の顔写真。その顔写真とスコープから見える二人の顔を見比べる。 シマダの情報部はターゲットの家族、その他周辺の人間関係も全て調べ上げていた。

「あれは……浜村の嫁と子供だね」

 辛島が言い終わるや否や、TRGー42の銃声が一つ。美月がボルトを引き、排莢するとすぐにさらにもう一発。

「ちょちょ、マジでっ!?」

 慌てて辛島がスコープを覗き込み直す。視界の先では頭の潰れた死体が三つ。

「何やらかしてくれてんのっ!?」

「障害になる者は全て排除して構わない。そう指示されたはずです」

 スコープから目を離した美月が辛島に目を向ける。死んだ魚のような、あるいは氷のような目だった。

 辛島は何度もこの目を見たことがある。女子高生がしていい目ではなかった。そして美月がその目で捉えた敵を逃したところを、辛島は見たことがなかった。それ以上に、1000メートル離れたターゲット二人を立て続けにヘッドショットで仕留めてみせたことに舌を巻いた。浜村の妻と子供は倒れた浜村とはそう変わらない距離に位置しており、ミクスに搭載された弾道計算支援アプリによる補助もあったが、それらの要素を差し引いても美月の狙撃能力は驚異的でもあった。台湾独立戦争をはじめとした、いくつもの戦場を渡り歩いてきたベテランのガンスリンガー達も美月のスキルに驚き、そして称賛した。これで銃を握り始めておよそ半年経つか経たないかだというのだから、辛島は自分は自衛隊時代に何をやってきたんだか、と溜息を吐くことがたまにあった。

「ああいった生き残りは、いずれ私達の障害に成り得ます」

 なるほどね、と辛島は美月の氷の目を一瞥し納得する。

「とはいえ、ここでその将来の障害を全部排除するってのも無理な話だよ。そろそろお暇の時間だ。というわけで〈HQ〉、狙撃班(スナイプユニット)撤収する」

 ミクスによる通信をオンにする。通信先のコールサイン〈HQ〉である指揮官の久槻が応答する。

『了解した。これよりシークエンスを撤退(フェイズ3)へ移行』


 シマダ武装警備社屋の一室。窓の無いその部屋には代わりにいくつものモニターと端末が並んでいる。モニターの表示をはっきりと視認するため部屋の照明は消されており、モニターのバックライトが煌々と輝く。

 そこは機動強襲課作戦行動時に利用される司令室であった。

 仁王立ちでモニターを睨みつけているのはシマダ武装警備の戦術顧問であり機動強襲課の司令を務める久槻響也。その隣で端末を操作しているのはコールサイン〈カラード〉の守口佐和子である。

 〈カラード〉の役割は〈サーベラスチーム〉が装備する第二世代型DAEの運用監視である。第二世代型DAEは装備時における身体的及び精神的負荷は大きい。その負担を減らし、同時に装着者の生体反応を監視するのが彼女の仕事だ。


 JR京葉線二俣新町駅付近でトレーラーが控えていた。ハンドルを握っているのは〈フェンリル2〉の葵だった。助手席には〈フェンリル1〉の三条がついている。

 本来なら美月達狙撃犯が陣取っている廃ビル近くで待機していたかったが、周辺の区画を利用していた企業のほとんどが倒産しており廃墟ばかりとなっている。さらに浜村のような与党の推薦を受けている人物が街頭演説を行っているとなれば、周辺には警察もうろついている。そんな所に仰々しいトレーラーを停めておけば職務質問の餌食になるのは目に見えていた。

「こちら〈フェンリル1〉、了解した。これより狙撃班の回収に向かう」

『みんな聞こえる? こちら〈ミストレス〉』

 司令室にいる久槻達も含め全員に通信が入ったのはその時だった。女の声。朝海のものだった。

『警視庁のNシステムをハックして確認してたんだけど、首都高湾岸線東京方面から怪しいのがこっちに向かってる。多分敵ね。トレーラー三台にワゴンも五台。いつものお邪魔虫。でも数が多い。今日の奴ら本気だよ』

 シマダ武装警備社屋の一室。司令室とはまた別の部屋。照明はついておらず、モニターのバックライトや機器のランプのみが灯っている薄暗い中、部屋の中央で揺り籠のような座席の中に朝海が身を沈めていた。レンズのついていないゴーグルで両目を多い、その両手は中空に浮いたキーボードを叩くような動作をしている。

 朝海の目の前には自身で設計した電子戦用の仮想空間が広がっていた。いくつもの画面が表示され、手元にもキーボード映し出されている。

 朝海はいくつもの画面の中から一つを手元に引き寄せる。高速道路が映し出されていた。映像認識方式によるナンバー自動車読取装置によるものだ。

〈ミストレス〉、それがシマダ武装警備におけるウィザードレベルのハッカーである雪村朝海のコールサインである。

 そして彼女の担当は電子戦。機動強襲課の戦闘業務をネットワークからバックアップするのが彼女の役目である。

「警察はレベル低いから私が仕事する分には楽なんだけど、半年前に作ったバックドアで未だに出入りし放題ってなると逆に心配になるよ」

 そう言いながら、鼻歌混じりで次々の警視庁のNシステムからの映像とナンバーの情報を拝借していく。追手のトレーラーとワゴンのナンバーを照会。どれも被害の出ている盗難車と回答が出た。


『こちら〈ミストレス〉。ごめん、ナンバーから身元を洗えなかった。どいつもこいつも盗難車だよ』朝海からの通信。

「気にすんな! 全員ぶっ殺してやることには変わりはないんだからよ!」

 キリカがそう応えると、周囲から苦笑が漏れる。

『こちら〈HQ〉、私はまだ何も指示してないが……』

 久槻が呆れるように言うが、『まぁ撃滅することには代わりはないがな。可能であれば身元を洗い出せる情報を掴め』と続けた。『あのトレーラーのサイズから、おそらく敵勢力にはDAEが存在すると思われる。〈サーベラスチーム〉が前衛として迎撃、〈フェンリルチーム〉はこれを援護しろ』

『敵勢力、湾岸市川料金所を出たよ。あいつら料金も払わずETCぶち破ってきた。もうじき二俣新町駅を通過。来るよ!』

「〈ミストレス〉、周囲の警らにあたっていた警官どもは!?」三条が訊ねる。

『さっさとケツまくって逃げちゃったみたい。ほんっと、いっつも税金分も仕事しないよね』

「気にするな。警察なんてそんなもんだ」

 三条は古巣に対する愚痴と共にマグプルマサダ・アサルトライフルを構えた。

 トレーラーが河川上の橋に道を塞ぐように停車。カーゴ後部が開放され中から二機のDAEが飛び出し、周囲のクリアリングを行う。

 一機は紺色の第二世代型DAE一号機〈ティーガーシュベルト〉。〈サーベラス1〉である村木が装着している機体である。

 もう一機は漆黒の三号機〈黒瞥〉。こちらは〈サーベラス3〉、夕夜がが装着している。

 狼のようでもあるいは鬼のようでもあるそのマスクのカメラアイに、コバルトブルーの光が灯る。システムが戦闘モードを入ったことを示している。

 彼らの後に〈フェンリルチーム〉が続く。〈フェンリル2〉のキリカ、〈フェンリル4〉の千葉がマグプルマサダを構えて周囲の警戒にあたる。そしてトレーラーの運転席から〈フェンリル3〉の葵、〈フェンリルチーム〉のリーダーで〈フェンリル1〉の三条が同じくマグプルマサダを手に降車、戦闘態勢に入る。

 更に続くのは真紅のDAE、二号機の〈エアバスター〉と白銀の四号機〈シンデレラアンバー〉だ。だがこの二機の内部に装着者はまだ存在していない。

『こちら〈カラード〉、〈エアバスター〉と〈シンデレラアンバー〉の自律モードの管制を行います』

 四機のDAEのオペレーターを務める〈カラード〉、守口からの通信が入る。この二機も他の二機と同じようにカメラアイに光が灯った。

『装着者(ドライバー)の位置情報入力、座標追尾開始。〈エアバスター〉、〈シンデレラアンバー〉、ランチ!』

 真紅と白銀の二機のDAEが自らの主の元へ疾走する。

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