Chapter 1 conflagrate ④

 それから数日経ったある日のこと。いつものように学校で過ごしていた美月は昼休み中に全校放送で呼び出された。

「どうしたんだろ、みっちゃん」

「こないだの進路のプリントのことだったりして」

「それにしては、なんか先生の声が切羽詰まってたけど……ちょっと行ってくるね」

 食べかけの弁当を仕舞い、美月は急ぎ職員室へ向かった。

 職員室では担任教師が何とも言えない表情で美月を出迎えてきた。これから告げるべきことを、どう告げようか。困惑と驚愕が入り混じった表情だった。

「あの、影山さん。落ち着いて聞いてください。お父さんが……亡くなられたようです」

 そこから先の記憶は曖昧にしか残っていない。

 病院に駆けつければ、ベッドに横たわった父の顔には白い布が被せられ、その傍では母がむせび泣いていた。

 その後、医者はやけに早く父の死因を過労による心不全だと断定した。まるであらかじめそう定められていたかのように。

 だが美月に悲しみに暮れる余裕は与えられなかった。父の死亡にあたっての諸手続き、親戚一同への連絡、やるべきことが次々の山積されていた。

 父が死んでから、母は呆けてばかりだった。その母に代わり美月は親戚と一緒に中心となって慌ただしく葬儀の準備を進めていく。彼女自身の責任感の強さもあったが、忙しさが美月に余計なことを考えさせる余裕を与えなかった。

 美月はようやく父が死んだという現実を目の当たりすることができたのは、僧が上げる読経と抹香臭さが漂う頃だった。

 棺の中で眠る父を見下ろす。病院に搬送された時は血の色を感じさせない土気色の顔色も、死化粧が施され陶器のように白く整えられていた。

 父は苦しまずに逝けたのだろうか。たった一人で苦しんでいなかっただろうか。そうして父の今際に想像を巡らしている内に、父の死という悲しみに暮れることができた。

 ようやく、美月は堰を切ったように泣き喚くことができた。

 葬儀も一段落つき、後は出棺のみとなった時、ある訪問客の集団が会場に現れた。

 ニュースで見たこともある中年の男、そして数人の屈強な別の男たちが彼を取り囲んでいた。その場の空気が一変する。

 我来臓一。

 メガコーポ『ニッタミグループ』の総裁にして現役の参議院議員。

 世間では悪評を多大に集めつつも、巨大企業の長として、そして国家の運営者の一人として君臨している。

 過去に前歴もありながらも、未だに権力の座に居座っている。表沙汰になっている所業だけでも、美月からすればこの男が悪党であると判断できる。

 我来を取り囲んでいるのはボディガードなのだろう。

 美月は自分の胸が早鐘を打つのを自覚した。

 この場にいる人たちは皆、父の死を悼んでくれているのに、この男だけはまるでそのような様子が皆無だ。美月は父の死に顔を目にした時の我来の顔が、愉悦に歪んでいたことを見逃さなかった。

 この男は一体何をしに来た。

 なぜ人の死を笑えるのか。

 美月のその疑問はすぐに怒りへと変わることとなる。

「この私を裁こうと憤慨していた男の無様な死顔は、実に愉快だったよ」

 葬儀場のエントランスを通りかかった美月の耳に、そんな聞き捨てられない言葉が入った。声がした方へ振り向くと、やはりというべきか我来とその取り巻き達の姿があった。

「まあ、これで一安心だよ。データ上の情報などどうとでもなるが、生きた人間は思い通りにはいかないからな。しかし検事一人如きに何ができると思っていたのやら」

 取り巻き達への我来の言葉はあまりに下種張ったものだった。

「それ、どういうことなの……」

 自分でも意識せずとも声が漏れていた。我来たちが驚いたように美月へ振り向く。

 視野が極端に狭くなる。美月には我来にしか焦点が合っていなかった。

 ボディーガードたちが構えるが、我来はそれを制すると美月の元へ歩み寄った。

「これはこれは、影山検事のご息女でしたね。この度はお悔やみ申し上げます」

「さっきの『生きた人間は』どうこうということは何なの。貴方、父に何をしたの!?」

 気持ちの欠片も込められていない、込められているとすれば侮蔑しかない言葉を無視して美月は問う。

「まずいな。聞かれてしまったようだよ」

 微塵もまずいとは思ってはいない口ぶりだった。美月を見る我来の目にも侮蔑の念が込められているのを、彼女は見逃さなかった。

「まるで私が君の父親を殺したとでも言いたそうな目だな」

 目に映る者全てを見下すような目と言葉。

「例えそれが事実だったとしても、君のような子供に何ができる? 何もできやしないだろう。あぁ、欲しいのは金か? 一億くらいでいいかな?」

 美月の目が怒りと驚きに見開かれる。

 まるで端金のような言い方だった。そしてその程度の額などくれてやるかとでも言うように値踏みする。

 美月は拳を握り込む。手のひらに爪が食い込み血が滲み始める。

 暴力的な衝動がその身を駆り立てる。だが、彼女のタガが外されるその寸前に万力のような力が彼女の肩を掴み、美月の蛮行を寸前で止めた。

 美月は振り返り自分の肩を掴んだ者に敵意の視線を向けた。だが、すぐに強大なその威圧感に怯む。

 身長一八〇センチ後半とも思しき長身。その相貌にはいくつかの傷痕が薄く刻みつけられている。威圧感に満ちたその男は美月と視線を合わせると、ゆっくりと諭すように首を横に振った。

「葬儀の場の空気をぶち壊し、挙げ句故人を侮蔑するどころか、遺族に対してまで舐めた態度を取る。相変わらずだね、我来臓一」

 大男の背後からもう一人のスーツの男が姿を現す。髪を肩まで伸ばし身長は美月とさほど変わらない矮躯は、背後の大男とは何もかもが対照的だった。

 その二人の姿を目にした我来は、先程まで目にした他人全員を見下すような優越感に満ちたものから引きつらせた。

「久槻響也……! そ、それに羽田司……!」

 下卑た万能感に満ちていた我来の表情から血の気が失せている。周囲のボディーガードたちに緊張感が生まれた。

「他人様の葬儀で大人しく故人を悼むこともできないか」

 久槻と呼ばれた大男の怒気を含んだその低い声は、きゃんきゃん喚き立てる小動物を一喝する狼のもののようだった。

「なぜお前たちがここにいる……」我来の掠れた声。

「大学時代に世話になった人物の葬儀に出てはいけないなどという道理など無いはずだが」

「それとも何? 国会議員様は誰が誰の葬式に出ることにまで口を出すのかい?」

 矮躯の男、羽田の言葉にボディーガードたちが気色ばむ。気がつけば、式場にいる者たちの怒気を含んだ視線が我来に向けられていた。

「お前こそ何故ここにいる」

 鋭く重く圧のある久槻の声。

「もしかして自分の塀の中にぶち込もうとした検事へのお礼参りかな? ちょっと陰湿すぎやしないかい」

 あるいは、とねっとりと絡みつくような声とともに羽田は我来と額を突き合わせる。

「それとも、殺したくてたまらなかった人間がほんとに死んだか、この目で確かめにきたのかな? 死顔拝めて満足かい?」

 羽田が並べ立てる言葉の一つ一つが我来を後ずさりさせていく。

「僕達もお前を塀の中にぶち込むことができなくて残念だよ」

 矮躯の男のその言葉がトドメとなり、その空気と視線に耐えられなくなった我来は観念したかのように、式場を後にしていった。

「塩撒いときな、塩ー」

 羽田が茶化すように喚く。久槻の切れ長の目が鋭く我来の背中に視線を突き刺し続ける。その背中が見えなくなってようやくその緊張感を弛緩させると、改めて美月の方へと顔を向けた。

「大丈夫ですか? 申し訳ありません。このような場で騒ぎを起こすような真似をして」

 久槻に声をかけられ、美月はようやく詰まった息を吐き出し落ち着きを取り戻した。気がつけば汗が首筋をじっとりと濡らしている。

「私は玖月響也と申します」

 一見細身のように見えて、そのスーツの下には鍛え上げられた体躯が存在していることが見るだけでもわかる。美月に向けられた視線は優しげだが、その相貌に刻まれたいくつもの傷痕に少しだけ怯んだ。

「僕は羽田司だよ」

 そしてこの付き添いと自称した羽田という男は、我来以上に卑しい目つきをしている。美月は羽田に対しては警戒の目を向ける。

 葬儀場のラウンジ。羽田は自販機でジュースを二本購入すると、一本を美月に手渡した。

「ありがとうございます……」

 備え付けのソファに座って受け取ると美月は遠慮なくそれに口をつけた。糖分が緊張と怒りで疲弊しきった身と心に染み渡る。

「父とはどういったご関係ですか」

 美月は久槻に訊ねる。

「影山さんは私の大学の先輩でね。色々面倒見てもらっていたんですよ」

「僕は響也と違って前職からの付き合いだよ。僕達は元警察なんだ」

 なるほど。警察関係者であれば、検事であった父とは何かしらの接点はある。しかし、この二人は下の名前で呼ぶほどに親しい仲なのか。

「あの、じゃあ我来とは……」

 美月の問いに二人は顔を見合わせ、少し考え込むように互いに視線を逸らし眉根を寄せる。言葉を探していたのか、少しの逡巡の後に先に口を開いたのは羽田だった。

「あの馬鹿ね、ちょーっと悪いことしてたんで、世話してやっただけ。君がまだちっちゃい頃のことかなー」

「我来には逮捕歴があったことは知ってますが……」

「よく勉強してるねー。偉い偉い。その時、我来を逮捕(パク)ったのは僕達なんだよ」

「その時、送検を受けた検事が影山総悟検察官、君のお父さんでした」

 何かが繋がった気がした。

 以前、この二人に我来は逮捕され、そしてその送致を受けた検察官が父である。我来にとって、この三人は敵と見なせる存在だったのだろう。

 そして、その父が再び我来の悪事を糾弾しようとした。

 だから、父が報復として殺された。身内を攻撃されれば相手が何であろうと噛み付く警察と違い、検察官である父が反撃する心配が無いから我来は手を下しやすかったのだろう。

 その結論に帰結し、美月の中に昏い澱みが生まれ、それが熱を持ち始めたのを感じた。

「影山さん、改めてこの度はお父さんが亡くなられて心中お察しします」

 久槻という男は自分のような小娘に対しても目線を合わせ対等に接してくれている。久槻のそのような態度が、美月に信頼感を生んだ。

 だが、これまでの父との会話で彼らのような存在が現れたことはなかった。

 よくよく思い返せば、父がどのような仕事の詳細も知らなかった。尋ねたことは何度もあるが、その度に家族にも話すことのできない機密を取り扱っていると言われてはいた。検事という職業柄、仕方ないとは思ったが。

「父はどのような人物だったのでしょうか。どんなことをしていたのでしょうか。父は機密に関わるからあまり仕事のことを話てくれなくて……。私、父がどのように生きていたのか知りたいんです」

 美月のまっすぐな言葉と視線に久槻が薄く笑みを浮かべる。まるで娘の他愛の無い質問に答えてあげる父親のそれだった。だが、言葉を挟んできたのは羽田だった。

「ゆっくりトークといきたいけど響也、もうそろそろ僕たちも出ないと」

「あ、あぁそうだったな」

 久槻は申し訳無さを表情に浮かべて、美月に軽く頭を下げる。

「もし何か困ったことがあったら、遠慮なく我々に相談をしにきてください。あなたのお父さんからも常々、なにかあった時はご家族のことを頼まれていたものですから」

 そう言って二人はその場を去った。

 もしかすれば、この人たちについていけば、父の死について何かわかるかもしれない。

 葬儀場の出入り口に向かう二人の背中に美月は声をかけた。

「あの、お二人は一体……」

 美月の声に振り返る二人。彼女が何を言わんとしようとしていたのかを理解すると、久槻は自分たちが何者であるかを、自分たちの所属を伝えわすれていたことにようやく気づいた。

「申し遅れました。私どもはシマダ武装警備と申します。相談事があれば、お気軽に訪ねてきてください」

 聞き覚えのある企業名だった。

 つい先日、自分たちの日常を脅かした戦闘企業。

 人殺しの会社。

 どうして父がそんな連中と……。


 帰路につくトヨタ・センチュリーの車内の後部座席で我来は苛立ちを隠そうともしなかった。

「くそっ……まさかあんな所で久槻響也と羽田司に出くわすとは……」

 自分に手錠を掛けた二人の警察。その二人が以前、自分の送検を受けた検事の葬儀に出席していたとなれば、怪しまない道理は無い。だが、あの二人は既に警察を辞職したと聞く。

「おい、久槻響也と羽田司の現状はどうなっているのか調査しておけ」

「既に済んでおります」

 助手席の我来の秘書がミクスとモバイル端末を操作していた。

「現在、あの二人はシマダ武装警備に経営陣として籍を置いております」

「なんだと……」

 我来が目を見開く。だがその驚きの表情はすぐに邪な笑みへと移り変わった。

「そうかそうか、あのシマダか……。ナノマシンユーザーの件といい、むしろちょうどいい。『あの男』には存分に働いてもらうことにしよう。報酬はその分弾むと伝えておけ」

 我来の言葉に秘書が承諾するが、「しかし」と言葉を挟んだ。

「あの子供……確か影山総悟の娘に話を聞かされた件につきましては」

「ふん、子供一人に何ができる。例え真相にたどり着いたとしても泣き寝入りしか出来なかろう」

 

 父の出棺が終わり、後は火葬場で向かうだけとなった。葬儀会社が準備してくれたワゴン車に乗り込もうと葬儀場を出る美月。

「シマダ武装警備って名前、どっかで知っていたみたいだね」

 背後からの言葉に美月は驚き、身をすくめた。声がする方へ振り返れば、長髪の男、羽田司が立っていた。

「あの、お帰りになられるのでは……」

「そうだね、すぐ帰らなきゃいけない。だけどそれよりも、君のこともちょっと気がかりでね」

 正直なところ、美月は彼らとは関わり合いを持ちたくないと考えていた。戦闘企業。人殺しで利益を上げる外道ども。そんな連中と言葉を交わしたくない。

 だがその一方で、父がどうしてそのような連中と関係していたのかという疑問もあった。

「響也からは……久槻さんからは直通の連絡先はもらった?」

 美月は首を横に振る。

「しょーがないなー、あの唐変木。ああ見えて戦うこと以外は粗忽者なんだよね。あれじゃ奥さんも苦労してるだろうねー」そう言いながら、羽田は懐から皮のケースを取り出すとそこから一枚の紙切れを抜き出した。

「はいこれ」とその紙切れを美月に差し出す。美月はそれを怪訝そうに眺めた。そのミクスと同程度のサイズのカードには『株式会社シマダ武装警備 代表取締役最高情報責任者 羽田司』と横書きで印字されており、その右下にはミクスのアカウントと通話用の番号が記されている。

「あれ? もう知らないか。名刺って」

 ミクスが普及となった今日、名刺文化はほとんど潰えたと言える。美月は「あ、いえ、初めて見たもので」とどもりながら返した。その美月の様子に羽田は微笑みを浮かべる。

「響也がいつでも連絡してこいって言ってたけど、いきなり社に電話してお偉いさんを出せってのも無理な話だよね。この番号は僕の部屋に直通してるから安心してね。困ったことがあって響也に伝えたいことがあったらここに通話するといい。あと響也に相談し辛いことがあれば、僕に言ってもらっても構わないよ」

 例えば……と囁くように言葉を続ける。

「君のお父さんの死の真相は何だのか、とか」

 あるいは、と羽田の声が低く甘く蠱惑的なものへと変貌する。

「復讐したい。我来臓一をぶっ殺してやりたいとか……」

 その言葉に、美月は下腹部から脳天にかけて突き抜けるものを感じた。

 その言葉は、紛うこと無い甘言だった。

 その言葉が、美月の中で粘つき始めていた。

「なーんちゃって」

 その言葉が、美月の中で熱を持ち始めていた。


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