Chapter 1 conflagrate ③

 企業間武力取引。あるいは戦闘業務。それが先程まで美月たちがいたファミリーレストランの周辺で繰り広げられた戦闘行為の呼称だった。

 近場の警察署内では、先程の戦闘に巻き込まれたレストランの客が保護されていた。署内の警察官たちは客たちの世話に奔走していたが、美月はその光景を不満に煮える目で眺めていた。

 警察はいつだってこういった状況には後手だ。それも一通りの戦闘が終わった後から介入を開始する。警察は基本的に企業同士の戦闘行為に積極的に介入はしない。それで市民の平和を守っていると堂々と謳っているのだから呆れてくる。

「ごめんね、美月。先帰るね……」

 迎えに来た両親に連れられて、由紀が警察署を後にしてく。詩乃もまた同じようなことを言って、両親に連れられて美月と別れた。

 確かにもう身の安全は保証はされている。だがそれでも、言いようのない心細さに震えて仕方が無い。先程から婦人警官が美月に慰めの言葉を向けてはいるが、ありきたりの言葉など耳には全く入っていない。

 どうしてこの国はこんなことになっているのだろう。

 例え自分がジャーナリストになったとしても、大して世の中に影響を与えることなどできないのだろうか。もう自分たちはこんな壊れた世界でただただ日々をやり過ごすことしかできないのだろうか。

 そのような無力感が美月を侵し始める。

「美月!」

 男女二人分の自分を呼ぶ声がしたのはその時だった。声がした方へ顔を向ければ、父と母がこちらへ駆け出しているのが見えた。父の総悟は職場からかけつけてきたのだろう。母に至ってはこの真冬に上着を羽織らずサンダルをつっかけている。

 美月も羽織っていた毛布を捨ててソファから立ち上がって両親の元へ駆け出すと、総悟に抱きとめられた。父の両腕の中で安堵感が涙と共に湧き出してくる。

 娘の無事が確認できたためか、母が声を上げて泣き叫ぶ。美月もそれに誘われて嗚咽を総悟の胸に押し付けた。

 街中で平然と殺し合いをして金儲けをする連中と、それを咎めもしないどころか推奨する節もある権力者たち。いつだって悲しみと直面するのは普通の人々だ。

 やはり、こんな世界など間違っている。

 変えてやりたい。自分ではそれが及ばなくとも、世界を変えるようなきっかけ、楔を打ち込んでやりたい。

 それを可能とする手段が、今の所彼女の中ではジャーナリストであるという認識だった。

 翌日、美月は遅刻しながらもどうにか登校した。両親も無理せず欠席するよう勧めたがここで休んでしまっては、負けたような気がしたからだ。何に負けるかは具体的にはわからない。強いて言えば恐怖にであろうか。街中で平然と銃の撃ち合いをしている狂った連中どもと、それを野放しにしている国と法に対する反抗の意思の表明でもあった。こんなことで自分は屈しないということを、自分自身に示したかった。

 クラスメイトは心配して話かけてはくれたが、教員たちは特にこちらに対して特別な対応をすることはなかった。ホームルームを終えて教室から退室する担任の背中を軽蔑の目で見送る。教員という者達は本質的に無責任なものなのだから。

 由紀と詩乃の席に彼女たちの姿は無かった。無理もない。結局、自分も登校するだけで気力を使い果たし、日中はぼんやりと過ごし、そのまままっすぐ帰宅した。

「やっぱり明日は休んだら? すごくしんどそうな顔してる」

 遅れて職場から帰ってきた母が夕食の準備をしながら、美月の調子をうかがう。「そうしようかな」と美月も答えた。

 テレビではニュース番組が放映されていた。内容は先日、美月たちが巻き込まれた戦闘についてだ。

 母がチャンネルを変更しようとする。だが美月はその手を制止した。一体どこの馬鹿どもが自分の目の前で銃撃戦などしでかしてくれたのか知りたかった。

 事の発端は『亀石重工』と呼ばれる重工業企業の傘下、システム開発会社『津山インフォ』が競合他社から技術盗用したことらしい。郊外の亀石重工の工場で開始された戦闘は周囲の住宅地を全く意に介さず、周辺住民が堪らず警察へ通報。そして警察の要請を受けたシマダ武装警備との衝突が先日の戦闘ということらしい。

 企業が警察の治安維持能力を凌駕し、肝心の警察はまた別の戦闘企業の力を借りなければならない状況だという。

「亀石重工はかなり黒い疑惑があるからな」

「へえ? どんな?」

「紛争地帯に少年兵用のDAEを密かに開発製造して、輸出しているという話がある」

「少年兵用……」

 母が信じられないというように口元を手で覆い、声を漏らす。美月も父のその言葉に息を呑んだ。その重苦しい妻と娘の顔に父は話題を変えることにした。

「美月、仕事の具合はどうだい?」

「それがね、聞いてパパ。編集長が私に記事を書かせてくれるって!」

「あらすごいじゃない」娘の活躍に母も破顔した。

 学徒社員であっても一応はいち社員として認められているのだが、まだ十代後半の少年少女にできることなど限られている。大半が単純労働やサービス業の最戦前であり、それは過去にアルバイトやパートとしての業務が大半だった。

 美月もニュースメディアに勤めているとはいえ、任されていた業務は雑事が大半だった。だがある時、隠れて原稿を書く練習をするという具体的な熱意を見せていた美月に、先輩社員と編集長が彼女にチャンスを回してきた。

「まぁ、そこからが手こずっててね……提出した記事はボツばっか……」

 なるほどね、と総悟は茶に口をつける。

「始めたばかりだもの。そんなものじゃない」と母が慰めるが、美月は口を尖らせていた。

「報道というものは……本当に難しいんだよ。報道の役割というのは多くの人々に情報を届けるということではあるけど、その本質は権力に対する監視だということは、美月もわかってるね」

「今のマスコミはどうかわかったものじゃないけど」

 美月の物言いに総悟は苦笑した。

「この国がここまで落ちぶれた理由にマスコミの存在も含まれている。それはお前でもわかると思う。まぁ、マスコミの悪辣さなんて万国共通なんだがな」と父は苦笑いを浮かべた。

「いいかい美月、事実というのはその事象を観測する者を経た時点で何らかの主観を含んだ真実へと変質する。それはわかってるね?」

 その主観が事実をどこかの誰かにとって都合の良い情報へと書き換えられる。

「例えば美月、どうしてお前はジャーナリストになりたいんだい?」

「政府に蔓延る不正を正そうと……」

「そうそれだ。その正義感が主観というものだ。その正義感は多いに結構だよ」

 だけどね、と総悟は茶を啜り口を湿らせて言葉を続ける。

「正義感というものは悪意と同等に、時にはそれ以上に危なっかしいものなんだ。これまでの人類の歴史における大きな悲劇の半分くらいは行き過ぎた正義感によって引き起こされている。だからね、自分の正義感に引っ張られちゃいけないよ。そういったマスコミによって引き起こされた風評は数知れない」

 美月は父の、総悟の目を見つめる。

「これはジャーナリズムに限った話ではないけど、美月がこれからこの世界に生きていくにあたって大切なことが一つある。なんだと思う?」

 美月は顎に細い指をあてて少し考え込む。いくつか思い当たるが、これだというものが見つからない。

「……責任、かな」

「惜しいな。少し外れている。もちろん責任も大切だよ。じゃあ、その責任は何によってもたらされるか。それは想像力だ」

 想像力、と美月は小さく口の中で繰り返す。

「残念ながら大半の人間は『こうなったらいいな』という希望的観測を想像力と言い張っているけど、そんなものはただの妄想と言うべきだ。想像するということは、客観的事実と要素を加味して未来を予測することだ」

 そう言って父は茶を飲み干した。

「そういったことを肝に銘じていけば、美月、お前はきっと良いジャーナリストになれるよ」

 総悟は食卓から立ち上がると、美月の頭を撫でる。総悟のその言葉と手の熱が自分の中に優しく移っていくのを彼女は感じた。

 総悟はリビングに向かうと、心底くたびれたかのようにソファに身を沈めて呻く。

「実はパパも、今ちょっと見過ごせない事案を目の前にしていてね……」

 総悟は疲労を含んだため息とともに言葉を零す。

「最近の残業続きもそれが原因なの?」と母が茶を差し出しながら尋ねる。総悟も「そうなんだよぅ……ごめんよぅ」と苦笑いを露わにした。

「しかし自分の娘が、こうやって将来のことを深く考えていてくれたのは父親としても嬉しい限りだよ。そうだな、今度カメラを買いに行こう」

「いいの!?」

 思わず、美月は立ち上がる。椅子ががたりと音を立てて、母が「はしたいない」と咎めた。

「あぁ。中学の卒業記念と娘のジャーナリストとしてのデビュー祝いだ。前から欲しがってたみたいだし、こういったツールはしっかりとそれ専用のものを持たないとね。形から入るのもいいことだと思うよ」

 ミクスにもカメラ機能は搭載されている。日進月歩の技術により性能が日々向上しているが、それは一つの機能に特化した専用ツールにも言えることであり、業務で用いるのであればやはりカメラそのものは必要とされていた。

「カメラもいいけど、あなたほんと顔色悪いんじゃない? 疲れてるでしょ」言いながら、母が総悟に体温計を渡す。

「かもしれないな。ありがとう」

 美月には自覚がなかったが、彼女にとってはそんな今の日本の腐りきった現状もジャーナリストという崇高な目標を達成するためのひとつの要素でしか見ていなかった。

 彼女にとって、ろくでもないこの日本の現状もあくまで対岸にある火事のような観察対象でしかなかった。企業同士の銃撃戦に巻き込まれたことも、時間が経てば自身のヒロイン像を飾るための経歴に成り果てていただろう。

 高等部に進学した後も友人の由紀や詩乃、そしてこれから新たに出会うであろう友人たちと平和な日々を過ごすのだろう。それなりに苦労して偏差値の高い大学に入って、ジャーナリストとしてのあり方を学び、そして活躍していくだろう。

 この時までは何の疑いもなく、そう思い込んでいた。

 この国は、この世界はろくでもないが、そのろくでもなさが火の粉となって自らに、美月に降りかかるとは、この時は全く思っていなかった。

 そして、父との約束は果たされることはなかった。

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