第32話 移動
二人に追っ手を任せている隙に倉庫を飛び出した僕らは、極力目立たないように物陰に隠れながら移動し、主に教師陣が使用している研究棟に入った。
この研究棟は連絡通路で実習棟へと繋がっており、そこを経由して時計の高台──即ち時計塔へ続く最短ルートになっている。都合の悪いことに正面の扉には鍵がかかっていたので、窓ガラスを割って中に入らせてもらったよ。非常時だから、大目にみてほしい。
床や壁など、建物内全てが白い棟内を走りながら、僕は周囲の魔力を探知する。
「……今のところ、この棟内には人がいないみたいだ」
「ここにいた教師も全員出払っているってことだよね?」
「多分ね。けど、だからと言って安心はできない」
ミリーに告げながら、曲がり角の先に人がいないことを確認して進む。
ここまで大規模な奇襲を仕掛けてくる奴なんだ。全ての場所に敵を配置しておくに決まっている。魔力反応が見つけられないのは、本当に誰もいないからなのか、それとも魔力を完全に隠しているからなのか……。疑念は尽きないけれど、立ち止まっていることもできない。今はとにかく、時計塔を目指して進むだけだ。
「ねぇレイズ」
と、ミリーの傍を走っていたレナ様が不意に僕を呼んだ。
僕は一旦立ち止まる。
「なんでしょうか」
「確認よ。私たちは今、敵がいると思われる時計塔を目指しているわけだけど、このままリシェナを戦いの場に連れて行くつもりなの?」
あぁ、確かにそれは尤もな疑問だろうね。
命の奪い合いの場に、敵の最重要目標であるリシェナ様を連れて行くのはあまりにも危険すぎる。最悪、彼女だけを奪われて逃走される可能性もある。いや、そちらの方がありえる話だ。
「そのつもりはありません」
「え?」
驚きと疑問を含ませた声を上げたのはリシェナ様だった。
同様の表情で僕を見る。
「レイズ様、それは……私を何処かに置いていく、ということですか?」
「おいていく、というよりは身を隠していただくつもりです。実習棟は部屋数も多く、授業で使うのであろう備品が多く保管されていますから。隠れられる場所も多い」
「なるほどね。私とリシェナは姿を隠している間に、レイズとミリーは敵を叩きに行く、というわけか」
「はい。一時的にお二人とは別れることになるので、少々不安が残りますが」
僕がいない間に彼女たちが捕まってしまったら、と考えてしまうけど、より確実に敵を倒すには必要なことだ。敵を倒し、この怪しげな霧を消してしまえば、いつも通りの学園に戻るのだから。
話を聞いていたミリーは、ニヤッと笑いながら瞳に闘志を滾らせる。
「狩りと同じってことだね」
「うん。ミリーが前衛で、僕が止めを刺す。状況によっては臨機応変に対応し、その逆になることも考えられるけど」
「どのみちやることは敵を狩ることでしょ? 大丈夫だよ。私とお兄ちゃんなら、狩れない獲物はいないから」
「……そうだな」
色々と昔の記憶が頭の中に浮かぶけど、今は思い出に浸っている場合じゃない。一刻も早く時計塔に辿り着き、敵を倒さないと。
「まぁつまり、そういうことですので、お二人を戦いに巻き込むつもりは──」
止めていた足を踏み出して再び走りだそうとした時、僕の腕の裾が軽く引っ張られた。弱々しいが、確かな強制力を感じさせる。
振り返ると、リシェナ様が視線を下に落として暗い顔をしていた。彼女の右手は、僕の制服の裾を摘まんでいる。
「リシェナ様?」
「また、死にかけてしまうんですか?」
「……」
僕は思わず目を覆った。
このお姫様は、とてもお優しい方だったな。自分のことよりも、自分を護る人のことを第一に考える程のお人よし。考えてみれば、リシェナ様は僕が何かと戦うたびにボロボロになっているのを見ている。今回も、あんな風になるんじゃないかって心配してくれているんだろう。
僕は彼女の手にそっと触れた。
「死にかけるかはわかりませんが、確実に怪我はします。そこは、慣れてくださいとしか言えませんね。でも、死にません。必ず生きて、貴女の元に帰ってきますから」
「……わかりました」
小さく呟いたリシェナ様は、摘まんでいた裾を離した。
「戻ってきたら、真っ先に治療させてもらいますからね」
「それは心強い。思う存分怪我ができますね」
「もう! 怪我をしない努力は怠らないでください!」
この状況には相応しくない弛緩した空気。
過度な緊張は判断力も低下させるし、これくらいの方が寧ろいいかもね。
「はい、二人ともこんなところでイチャつかない。今は戦いの真っ最中なのよ?」
「い、イチャついてなんかないよ!」
「お兄ちゃん、もっと緊張感持って。本気で死ぬよ?」
「ごめんて。もう行くから──」
言葉を最後まで言い切ることなく、僕は手にしていたレイピアを一瞬で振り上げ、飛来物を弾いた。一拍遅れて後方から響いたのは、カラン、という甲高い金属。それが何なのか気になるところではあるけど、僕はそれを確認することなく雷撃を放った。
「……駄目か」
そんな言葉を零しながら、一歩前に進み出る。同時に、後方にいたミリーが隣に立った。
「なんか、妙なのが出てきたね。あれ、人なのかな?」
「半分は人間だろうね。でも、もう半分は……」
無意識の内にレイピアを握る手に力が入った。
眼前──行く手を阻むように突っ立っているものは、人間と形容しがたい姿をしていた。確かに、シルエットだけを見れば人間だろう。だが、紫色の体色に長い舌、血走った三つの目は、おおよそ人間のものではない。
上半身は何も身に纏っておらず、胸の中央には黒い心臓のようなものが露出しており、一定のリズムで脈を打っている。
僕はあの実験施設で見た、大量の子供残骸を思い出した。
「人間に魔獣の心臓を移植した成功例……いや、失敗例か」
「……嘘でしょ? そんなことが……」
「ミリー。今はそのことを頭の片隅に置くんだ。考えるべきは、奴をどう倒すか」
僕の雷撃は全て弾かれてしまった。先程の金属片を僕に投げつけたのも奴であり、戦闘能力は非常に高いだろう。
先に進むには、奴を倒さなければならない。
「ミリーが先行し、僕が後方から狙撃するのが一番確実、か」
「いや、それは無理だと思うよ」
ミリーは僕の作戦を即座に否定した。
「見ての通り、ここは狭すぎる。ここだとお兄ちゃんが使える狙撃用の魔法には制限がつくし、さっきの雷撃程度の威力だと傷一つ与えられない。かと言って、高威力のものを使えば私も無事では済まない」
「じゃあ、この場で奴を狙い撃つか?」
「それも考えたけど、後々のことを考えると、お兄ちゃんは少しでも魔力を温存しておくべきだと思うんだ。だから……」
ミリーは太腿に仕込んでいた二振りの短剣を手に取り、その刀身に炎を纏わせ、構えを取る。
いや、刀身だけではない。
身体の至る箇所から桃色の炎を噴き出し、その瞳に闘志と殺意を宿していた。
言葉にしなくとも、何を言っているのかはわかる。全く、頼りになる妹だよ。
「……死ぬなよ?」
「死なない──よッ!!」
爆発的な脚力で床に亀裂を作りながら駆けだしたミリーは人間擬きへと突撃。威力殺すことなく奴を蹴り飛ばし、近くの扉を破壊してその中へと放り込んだ。
この隙は、逃すわけにはいかない。
「行きましょう!」
二人を連れて、走り出す。
さっきから、誰かに助けてもらってばかりだ。
だからこそ、必ず敵を倒さなくてはならない。
窓から見える時計塔を一瞥し、僕は廊下を一気に駆け抜けた。
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