第7話 怒り

「警備獣が全く意味をなさない?」


ナイフに付着していた血を拭き取っていた白衣の男に言うと、彼は眉を顰めてその手を止めた。


「それは……私の獣たちが全く歯が立たないと?」

「あぁ。侵入したのは少数の魔法士だが、一人一人が異常なほど強い。このままじゃ、警備獣を一匹残らず殺され、捕まえてきた餓鬼共が連れて行かれるぞ」


侵入した魔法士たちは既に地下へ続く階段を下っている最中だ。時間がかからずとも、幽閉している被験体たちを目の当たりにするはずだ。

あれは見られると、マズイことになる。別に捕まった際の罪が重すぎるとか、人間としての倫理に欠如している行為だとかを気にしているわけではない。唯、あれを見た魔法士が、どんな行動を取るのかを予想し、恐れているのだ。


俺の不安に気がついていないのか、眼前のこいつは全く検討外れなことをぬかす。


「それは非常にマズイですね。よくないですね。いけないことですね。大変な事態ですね。折角集めていただいた貴重なとなる彼らが連れされられてしまうのは……。既に大半は記憶を無くし、拷問による拷問で意思の疎通すら危うい状態とは言え……時間をかけて育て上げた彼らがいなくなるは非常にもったいない」

「では、どうする?奴らに対抗できるような魔獣がいるのか?」

「えぇ。私のとっておきが、二人」


気味の悪い笑みを浮かべ、奴は両手を2,3回ほど叩いた。


「侵入者を捕えろ。生死は問わん」


短く呟き、男は再びナイフを磨き始めた。

この男がとっておきと言う強力な魔獣。それを俺は見たことがない。が、決して過大評価などしないこの男が特別扱いするのだから、相当の力を有しているのだろう。


反響する音が消えかけたその時、この部屋から遠く離れた通路で、何やら獣の雄叫びともとれる声が聞こえてきた。どこか凶暴で、喜びも含んでいそうな声だ。

数秒後、声が止んだと同時に、何かを破壊する轟音が通路に響いた。


「本当は彼らを解き放ちたくはないのですが……緊急事態ならば仕方ありませんね」

「今のが、とっておきの魔獣というやつか?」

「えぇ。実験の最中、偶然生まれた凶暴で強力な合成獣です。幸い、私の指示には従いますので、上手く扱えば何よりも強い警備獣となります。が、少々問題もありまして」


困ったように笑い、施術台の上に横たわった少年を見やった。身体中が切開され、色々な臓器が取り出されている、空っぽの状態だった。


「彼らは気性が荒く、他の生物を見ると、何度もかんでも殺してしまう癖があるんです。それこそ、被害者──もとい被害獣が原型を留めずペースト状になるまでね」

「……なるほどな。敵だけではなく、警備獣や施設員まで殺してしまう、と」

「そういうことです。味方まで殺す必要なんてどこにもありませんからね。ただ、今回に限っては話が別です。既に多くの警備獣が殺されてしまったようですし、これ以上の被害を生むことがないための処置です」


言葉とは裏腹に嬉しそうに話す男に背を向け、俺は歩き出す。


「おや、どちらへ?」

「侵入者のところへ向かう。問題ないとは思っているが、万が一のこともある。その場合、俺たちが相手をしなければならないからな」

「心配性ですねぇ……、ですが、念の為お願いしますね。よっぽどのことがない限り、彼らで仕留められるとは思っていますが」


言葉を返さず、俺は退出する。

最強の獣。奴が生み出したのなら心配することはないのかもしれない。だが、拭いきれない不安感は、俺の中から消えることはなかった。



檻の内側に監禁されている子供たちに、僕とエルトさんは絶句しながらも歩みを進めていた。


「……酷い」

「あぁ。死んでいるわけではないだろうが、全員自我が消えかけているのかもしれない。俺たちが歩いていても、見向きもしないぞ」


囚われているのは、まだ幼い少年少女たち。麻のような奴隷服を着せられているが、ほぼ全裸のような有様だ。

身体の至るところには傷が目立ち、乱雑に縫われた跡も見える。不衛生なこんな場所でそんな処置では、細菌が入って病気になってしまうだろう。


「人体実験、ってとこだな。この施設は」

「そう、でしょうね……。彼らの身体に書かれている番号は、恐らく囚人番号的なもの」

「まだ年端も行かない子供をモルモットにするとは……」


エルトさんは舌打ちし、視線を鋭くする。隣にいる僕は、彼の体内で魔力が膨れ上がっていくのを直に感じた。


「落ち着いてくださいエルトさん。今は冷静に、安全第一で行動するべきです」

「わかってる。わかってるが…………足元凍らせてる奴に言われても説得力がないぜ」

「…………」


静かに突っ込まれ、僕は視線だけを足元に移す。

履いているブーツの周りは凍結しており、脚を動かすとバキッと割れる音が響く。白い冷気が漂い、檻の柵には霜を作っていた。


エルトさんに冷静にと言っておきながら、僕自身冷静なのは表だけだった。子供たちの悲惨で無残な姿を見せられて、心の中で憤慨していた。

……こんな光景を見て、怒りに身を震わせないやつなんていないよ。


「……とにかく、今は先を──」


静まりそうになり怒りを無理やり抑え込み、先へ進もうとした時、進行方向からこちらに向かって近づいてくる足音が聞こえた。走っている音ということから、相当焦っているようだ。

即座にエルトさんが炎を消し、小さな声で確認してきた。


「誰か来たぞ」

「みたいですね。僕ら──というよりグレースさんが魔獣を倒しすぎたから、様子を確認しにきたんですかね。なんにせよ、今は隠れたほうが……」

「──た、すけて」


聞こえたか弱い声に、僕らは会話を中断した。い汚らしい魔獣の声でもなく、大人のそれでもない声は、まだ幼い子供の声。

エルトさんが使用できない夜光眼を使い前方を確認すると、涙で顔をくしゃくしゃにした一人の女の子が走っていた。腕に着けられた鎖の着いた腕輪からは、地が滴っている。

そして少女の後ろからは、この施設の職員と見られる二人の男が彼女を捕らえようと追いかけていた。


「待てッ!!」

「くそ、手間取らせやがって!」


怒声を上げながら走るのは大人の男だ。小さな少女が脚の速さで敵うはずもなく、僕らの少し先の地点で長く淡い紫がかった髪を捕まれ、硬い地面に押し倒されてしまった。


「ウ──ッ!!」

「やっと捕まえたぜ。逃したら俺たちが殺されちまう」

「仕事を増やしやがって……もっと拷問されたいのか?あぁ?」


少女の頭を踏みつける男はニヤニヤと笑いながら、執拗に踏みにじる。

やがて満足したのか、髪の毛を掴んで少女を引きずり、来た道を引き返していく。


「ま、とりあえずベルマ様の実験には間に合うだろう。無事に捕らえたことを報告すれば──」


不意に言葉を止める。

見ると、少女が泣きながら髪を引っ張る手を叩き続けていた。少女の力故に、大した威力はない。寧ろ、男を怒らせるには丁度いいほどの力だ。


「……ちったぁ大人しくしとけッ!!」


青筋を浮かべた職員の男が拳を振り下ろし、少女の顔面めがけて殴りつける。彼女はすぐに来るであろう痛みに怯えて眼を閉じ、遅い来る苦痛に備えていた。


「──無理」


強化した脚で踏み込み、少女に向けて拳を振り下ろしていた男へと瞬時に肉迫。

何が無理って?それは当然、この女の子が嬲られるのを黙って見ていることだ。

突然現れた僕に眼を見開いた男だったが、そんなことは一切気にせず僕は掌で男の顔面を殴りつけた。派手に後方へと飛んで行った男は妙な形に変形し、歯が数本折れて床を転がった。

誰かを殴りつける頻度が多い。先日ロイドさんを殴りつけたばっかりなのに、また別の人を殴ってしまった。今回も前回も仕方ないとは思うけど。


「君、大丈夫?」

「ぇ……あ」


少女を抱きかかえると、至近距離で呆然とした様子の少女は僕の顔を見て、そんな声を出す。

殴られると思ったら、逆に男が殴り飛ばされたのだから、それも仕方ないことだが。


「な、なんだお前たちはッ!!」


僕と後方にいるエルトさんを見やり、もう一人の職員が驚きの声を上げる。

ふむ。どうやら少女を捕らえることだけが目的だったらしく、襲撃者である僕らのことは知らないようだ。驚いているうちに、始末したほうが……。


「待て。そいつは俺にやらせろ」

「……いやでも」

「でももクソもあるか。お前は今そこで寝てる奴をやったろ。次は俺の番だ」


鉤爪を打ち鳴らし、こちらに近づくエルトさん。仕方ない。相当怒っているみたいだし、ここは譲るとしよう。


「あ、あの……」

「大丈夫だよ。僕らはこの施設の人達とは違うからね。あと、あの人が見えないように後ろを向いていて。ちょっと、子供には刺激が強すぎるから」

「う、うん」


笑顔を浮かべ頭を撫でながらそう言うと、少女は言うとおりに顔を背け、僕の胸元に押し付ける。

お姫様抱っこの状態だから、どうしてもこういう姿勢になるのだ。

エルトさんと立ち位置を変わるように目配せし、僕は後ろに下がる。


「そういえば、この傷どうしたんだい?」


血が滴る腕の傷を治癒しながら尋ねると、彼女は僕の顔を見上げ、上目遣いに言った。とても均整の取れた整った顔立ちだ。可愛い。


「そ、その男の人に、引きずられた時に……」

「引きずられた?」

「……うん」


思い出したのか、僕のローブを掴み力が強くなった。そうか、引きずられて……。

落ち着かせるように頭を撫で続けながら、エルトさんに視線を送る。



「ちょっと待ってろ」



低い、怒気の籠もった声でエルトさんがこちらに向かって言う。目を伏せて了解を伝え、腕の中の少女に遮音の魔法をかける。


「おい、その餓鬼を渡せ」

「断る、といったら?」

「あ?断るなんて選択あるわけないだろッ!!」


男が手を翳すと、何もない虚空から巨大な金属のハンマーが現れ、手中に収まった。大きさは人の丈ほどもあり、押しつぶされれば即死だろう。

それを上方へと振りかざし、勢いよく振り下ろす。

しかし、エルトさんは軽く俯いたままその場から動こうとしない。男はにやりと笑い、勢いそのままに脳天をかち割らんと力を込める。が──。


「ッ!!?」


渾身の一撃であったハンマーは、エルトさんにいとも簡単に受け止められてしまった。しかも、で。

左手の鉤爪が金属であるハンマーに食い込んでおり、凄まじい力であることが伺えるほど亀裂が広がっていく。

いやはや、流石ですね。


「な、なんて力──」

消滅炎舞しょうめつえんぶ──」


超重量のハンマーを押し返し、開いた右手で握りこぶし──ならぬ握り鉤爪を作り、その手にを纏わせる。空気を焦がす炎拳を力いっぱいに振るい、男の腹部に突き刺した。


「──轟波ごうはッ!!」


蜃気楼を起こすほどの熱量の拳が男の腹部に打ち込まれ、その箇所がたちまち焦げることなく、融解、蒸発する。余波に当てられた柵も不自然に曲がり、まるで火災後の木造建築のような有様。

男は苦痛の顔を浮かべる余裕すらなく、ジュッと焼ける音を立てながら天井に殴り飛ばされた。頭部が天井のパイプとパイプの間に挟み込まれ、首吊りのような体勢に。腹部には大きな風穴が穿たれており、再起不能だろう。出血すらない。


そちらを見向きもせずに前へ進むエルトさんの背中を見ながら、自然と笑みが溢れた。


「本当に、うちの兵室にはとんでもない人が多いや」


僕もあまり人のことを言えないかもしれないのだけれどね。


エルトさんが持つ専有魔法の名は、消滅炎舞。

物体を即座に蒸発させてしまうほどの熱と炎を生み出す、シンプルにして強力無比な超位魔法だ。

温度の限界は、ない。

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