第19話 執事と宮廷魔法士
「はぁ……はぁ……」
貧血で若干白く変色した身体で街を駆け抜けること数分。僕は何とかオーギュスト公爵家の屋敷へ辿り着いた。屋敷の前で一度立ち止まり、膝に手をついて大きく息を吐き、呼吸を整える。
あの敵と戦った場所からこの屋敷までの距離がかなり近かったこともあり、この身体でも早く到着することができた。すぐにでもロイドさんの元へ向かわないと。
正面玄関前の大きな門を開けて中に入る。と、屋敷から一人の若い赤髪のメイドさんが驚きながら駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですかッ!?」
「えぇ、何とか。少し血を失ったので、軽い貧血状態になっているだけです」
急いで走ったりすると激しい息切れに襲われたりするけれど、歩く分には問題ない。
けどま、顔や服は血塗れで、肌は病的に白くなっているから大丈夫そうには見えないか。
僕が使える治癒魔法は、あくまで傷口を塞いで出血を止めることしかできない。失った血を元に戻すには、全く別の系統の魔法を使わなければならないのだ。
不健康そうな僕の腰に手を回して支えてくるメイドさんに手を振り、尋ねる。
「僕の容態は心配しなくてもいい。それより、ロイドさんはどちらにいらっしゃいますか?すぐに彼に伝えなければならないことがあるのですが」
「し、執事長なら、中庭の花に水を上げていると思いますが……」
「中庭ですか……」
現在地からのルートを頭に思い浮かべ、その道へと向かう。と、急に視界が歪み、壁に手をついてしまった。
「っと」
壁に触れていた手に力を込め、再び歩きだす。
すると、背後から足音が近づき、僕の腰と肩に手が添えられた。見ると、先程のメイドさんが。
「こんな状態の人を一人で行かせられません!せめて、お体をお支えします」
「……ありがとうございます」
「メイドですから、当然です」
顔を向けて微笑み、僕はメイドさんい支えられながら、中庭へと進んだ。
◇
「……帰ってきたみたいね」
自室の窓から中庭を見下ろし、探していた人物が歩いてくるのを確認。椅子にかけてあった上着を羽織り、ベッドに寝転んで学園の参考書を呼んでいたリシェナへ声をかけた。
「リシェナ、ちょっと中庭まで出てくるわね」
「中庭?こんな時間に?レナって、夜の散歩が好きな人だっけ?」
リシェナは起き上がって小首を傾げながら、参考書の読んでいた頁に栞を挟んだ。
その様は、同性である私から見てもとても可愛らしく、思わずドキッとしてしまうほど。けれど、決して表には出さない。
「そういうわけじゃないけど、ちょっと気になる人が中庭に見えたから、会いに行こうかと」
「気になる人?」
「そ。貴女の想いび──」
言い終える前にリシェナは目を見開いて立ち上がり、大急ぎで上着を羽織って私に詰め寄った。
凄まじい速度……。
「わ、私も行くッ!」
「……」
「べ、別に変な意味とか他意はないんだけど、なんとなく今日は月も綺麗だし何だか身体も暑いし、外の涼しい空気を吸って浴びて吐いてリフレッシュしたい気分なだけで──」
「はいはいわかったから!一緒に行きましょうね!」
興奮気味に言葉を連ねるリシェナをポンポンっと軽く叩き、連れ添って扉へと向かう。
この子、こんなに積極的な性格だったかしら?ほんの少し前までは大人しく引っ込み思案、弱々しい子だった記憶があるのだけれど……。今のリシェナにはそんな面影はない。顔を赤らめながらも据わった目で私の後をついてくる。ちょっと怖いわ。
親友のそんな変貌に感慨を感じながら、私はすれ違う使用人たちへと手を上げて応じた。
◇
「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
「え?は、はい!」
中庭の入り口──綺麗な桃色の花を咲かせる植物で作られたアーチの前で、僕はメイドさんにそう言い、身体を離してもらう。
時間が経過したからか、大分マシになってきた。一人で真っ直ぐ歩くこともできるし、呼吸も落ち着き、目眩も消えた。残存魔力もそれなりに残っているので、魔法を放つこともできるだろう。
既に屋敷からいなくなっているであろうアリナさんの後を追っても問題ない。
だけど今は──いた。
目的の人物の背を視界に捉え、声をかける。
「ロイドさん」
近寄りながら声をかけると、彼は水やりの手を止めて僕の方へと振り向き、驚きの声を上げた。
「ど、どうなされたのですかッ!?」
「大丈夫です。既に傷は塞いでありますから。それより──」
手を振って静止させ、先程倒した男と生物が話していた会話の内容を伝える。これは……彼が知らなくてはならないことだ。
「ロイドさん、落ち着いて聞いてください。東都の農作物が枯れ果ててしまっている原因がわかりました。あれは自然現象なんかじゃない。人によって行われた、事件です。何者かがマンドラゴラという人造魔獣を創り出し、農作物や生物の生命力を吸収していることで、起きているんです」
「……」
「そして、そのマンドラゴラという魔獣は、人間の死体を核として生きている。その核に、貴方の奥様──シエラさんの遺体が使われているんです」
あの時の会話は全て記憶している。あんな形で真相を知ることになるとは思わなかったが、何にせよ不幸中の幸いというやつだった。危険な目にあった引き換えに、情報を得ることができたのだから。
「ロイドさん?」
彼は何も言わずに下を見たまま、何の反応も示さない。しかしよく見ると、握られた拳は微細に震え、手の甲には筋が張っている。
そして、もう片方の手に持っていた如雨露を地に落とし、掠れた声を絞り出した。
「……申し訳、ございません」
「──え?」
「……既に、存じ上げております」
「は?」
どういう、ことだ?
既に知っていた?何を?この事件の真相を?奥さんが魔獣の核にされていたことを?
「……どういう、ことです、か?知っていた?まさか、今言った全てを?」
「…………はい。東都で起きている作物の不作に、魔獣の核にシエラの遺体が使われていることも、全てでございます」
「……」
頭を下げるロイドさんを見て、僕は呆然と言う。その声は、自分でも自覚できるほどに震えているのがわかった。何で?当然──怒りだ。
けれど、激怒にはまだ程遠い。今はまだ本気で怒るときじゃない……。
「……理由を、聞いてもいいですか?どうして知っていたのか、を」
その問いから数拍の間を開け、ロイドさんは重々しく語った。
「……シエラが亡くなった数日後、私はとある男と知り合いました。妻を亡くしたばかりの私はその失意を誰かに聞いてもらいたく、彼に色々と話しました。私がシエラに対して未練を残していると知った男は、こう持ちかけてきたのです。『彼女の命を、蘇らせてみないか?』と。私にとって、それは飢餓状態で目の前に差し出された果物同然の提案でした。何の疑問も抱くこと無く、私はその男の手を握り返してしまった」
「……その結果が、これ、ですか。……ロイドさん」
限界まで握りしめた拳からは血が滲み、奥歯をギリギリと噛みしめる。
そして下を向いているロイドさんへと近づき──胸ぐらを掴みあげ、顔面を殴り飛ばした。身体強化を用い、体重を乗せた思い拳。
受けたロイドさんは後方へと吹き飛び、地面に落下。しかし、それだけでは終わらない。瞬時に詰め寄った僕は彼の襟首を掴み、無理矢理立たせて屋敷の壁へと押し当てた。
「──ぐッ」
「ふざけんなよッ!!亡き妻を蘇らせるために、こんなゴミのような計画に奥さんの遺体を提供した?舐めてんのか?その自己中心的な考えと行動で、どんだけの人が被害を受けたと思ってんだッ!!」
「──ッ、以前にも申し上げましたが、私は妻に対して大変大きな未練がある……。もう一度彼女と会うことができたのなら、どんな罰でも受ける覚悟がございます!!」
「あんたが罰を受けるとかはどうでもいい!!僕が言いたいのは、あんたの野望に関係のない人たちを巻き込むなッ!!どれだけの人の生活に影響した?どれだけの人が作物の生産を中止するはめになった?あんただけの問題じゃないんだッ!!なんでそういうことが考えられないんだッ!!」
「──ッ」
思わず力が入ってしまい、ロイドさんが息が詰まったように苦しそうに呻く。僕は少しだけ力を緩め、正面から彼を睨みつける。
「それに、貴方は騙されているんです」
「……騙されている、ですか?」
「はい」
再び会話を思い出し、伝える。
「奥さん──シエラさんを蘇らせる、という点に嘘はなかったようです。ですが、彼らが貴方に約束したのはそこまで。蘇らせたシエラさんは廃棄され、計画を実行した者たちによって作られた生物の餌になる予定だったんです」
「……そ、んな」
手を離すと、ロイドさんはその場にズルズルと崩れ落ちた。
「それでは……シエラは……」
「その点に関しては問題ないです。僕が先程処理しておきました。その生物と、生み出した術者をね。生憎、僕はそう簡単にやられるような雑魚ではありません」
言い捨て、僕は彼に背を向ける。
「──どち、らへ?」
「決まっているでしょう?既に現場に向かっているアリナさんの元です。恐らく今、問題を対処していると思いますから。すぐに駆けつけ、援護します」
「そんな、身体で……無茶な」
「無茶でも行くんです。これは貴方が撒いた種ですが、出た芽を摘むことは貴方にはできない。ならば──」
ローブを翻し、僕は毅然とした態度で言い放つ。
胸元には、宮廷魔法士の証である紋章が、月光を浴びて煌めいている。
「出た芽を摘む。いや、根本まで引き抜き処理するのは、僕たち──宮廷魔法士です」
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