第14話 生まれたての悪意

「後少しか……」


読んでいた図鑑の残り頁数が少なくなってきたことに気が付き、パラリと捲る。残り二十頁もないといったところか。

既に周囲に人はおらず、館内には僕一人だけ。

懐中時計を見ると、針は既に夜であることを示していた。

確か、閉館時間まであと数十分ほどあったはず。それまでには読み終わるだろう。アリナさんにも早く帰るように言われているし。


気合を入れ直すように深い呼吸を一つし、再び本に書かれた文字列に視線を戻した。



『───』


人の言葉とは言えない不可思議な産声を発したそれは、もはや原型を留めていない人の皮を豪快に引きちぎり、姿を現した。


人間のような五体満足の身体を持ち、洗い息を吐き散らかしながら二足でその場に直立している。しかし、明らかに人間ではない。

全身の肌は灰色の鱗に覆われ、肩甲骨からは昆虫のような一対の羽。三日月に大きく裂けた口からは獰猛な牙が除き、両手の指先は鋭利な刃物のそれ。兎を前にした獅子のような瞳で、生み出した俺をじっと見つめている。

これは、大当たりだ。喰わせた餌が良かったな。


「さて、ワームよ。生まれたばかりのお前には悪いが、早速仕事をしてもらうぞ。なに、難しいことじゃない。餌を一匹喰ってくるだけだ」

「ギ──……しご、と?え、サ……」


片言の言葉と、ぎこちない仕草。しかし素晴らしい。生まれて十数秒でこちらの言葉を聞き取り、なおかつ発声までしている!


「そうだ。お前にはこれから、とある餌を喰ってきてもらう。簡単だろう?」

「──ィ、餌、ドンナ、の?」


外套の懐から、裏面に魔法式が書かれた一枚の写真を取り出す。魔法で念写されたものだ。

写っているのは、藍の髪と瞳をし、レイピアを腰に帯刀した一人の餓鬼。

鋭い爪で器用にそれを手に取ったワームはジッと見つめ──大きく口を開けてそれを丸呑みにした。


「お前が喰うのはその餓鬼だ。証拠を残さず、跡形もなく喰らい尽くせ。ただし、油断は絶対にするな。舐めてかかると、逆にこちらが喰われることになる。喰われるのは──怖いだろう?」


問うた途端、蟲は眼球を赤く染めて片手を大きく振るった。


「怖イ、喰ワレルノハ、怖イッ!!」

「そうだろう?お前は既に、。二度とその恐怖を感じないよう、慎重に、最新の注意を払って

「──、了解。ダガ、ソノ前二」


蟲は羽を微弱に羽ばたかせ、ニヤッと口元を歪ませてバーの酒瓶へと手を伸ばし、コルク栓を瓶の先端ごと爪で斬り飛ばして呷り始めた。


「お、おい!」

「ギギ、仕事ノ前二ハ酒ガナイトナッ!!」

「──チッ、そうだった。餌にした男は毎晩酒を呷っているような奴だったか」


舌打ちし、俺もグラスに残った酒を一気に飲み干した。

恐乱蟲は寄生した人間の脳を喰らう際、癖や習慣などをそのままコピーしてしまうケースが多い。今回の場合、あの男の酒好きという特性が反映されてしまったようだ。しかも、かなり飲む。


「ほどほどにしておけよ?食事に支障をきたすかもしれない」

「問題ナイ。俺ハ、酒二強イカラナッ!!」

「それはお前が喰った男の話だろう……。はぁ、いいから早くいけ。でないと、獲物が逃げてしまうぞ?」

「……ソレハ、ヨクナイコトダ」


十本ほどの酒瓶を空にした蟲は瓶を投げ捨て、口元を拭った。容器の割れる高い音が鳴り響く。


「──魔力反応ヲ確認。スグ二ムカウゼ!!」


瞬間、蟲の姿が掻き消え、ガシャンッと窓ガラスが音を立てて砕け散った。駆け寄り、外を見ると、既に蟲の姿はいない。

代わりに、俺の手帳が一人出に開き、白紙の頁に文字が浮かび上がる。


『──魔力ハ東二向カッテ移動中ダ。十分二追ツケル』

「早速自分の能力を自覚したか……上等。少し問題行動が目立つが、やはり優秀な蟲だ。餌にしたあの男が、想像以上に恐怖を生産したようだ」


上質な恐怖心は恐乱蟲を強く成長させる。やはり恐怖を知らない者を喰わせるのが一番なようだな。


「これで片方の魔法士に手を打った。あとはもう一人の女の方だが……なんとかするだろうが、念の為連絡を入れておくか」


通信席を取り出し、魔力を込める。

と、数秒と立たずに通信相手が応答した。


『──生まれたか?』

「あぁ。しかも、非常に優秀な蟲がな。全く、作るのに手間がかかる魔法だぜ。まぁ、その分リターンに期待ができるがな。今、男の魔法士を始末しに向かったぞ」

『了解だ。私もこれから、例の場所へ向かう』

「一人で大丈夫なのかよ。お前、まともな魔法なんてほとんど使えないだろ」

『問題ないさ』


笑い声とともに、何か金属が擦れる音が聞こえた。


『私には、あの方々から授かった笛と魔獣──人間の死体を取り込んだマンドラゴラがいるからな』

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