第14話 生まれたての悪意
「後少しか……」
読んでいた図鑑の残り頁数が少なくなってきたことに気が付き、パラリと捲る。残り二十頁もないといったところか。
既に周囲に人はおらず、館内には僕一人だけ。
懐中時計を見ると、針は既に夜であることを示していた。
確か、閉館時間まであと数十分ほどあったはず。それまでには読み終わるだろう。アリナさんにも早く帰るように言われているし。
気合を入れ直すように深い呼吸を一つし、再び本に書かれた文字列に視線を戻した。
◇
『───』
人の言葉とは言えない不可思議な産声を発したそれは、もはや原型を留めていない人の皮を豪快に引きちぎり、姿を現した。
人間のような五体満足の身体を持ち、洗い息を吐き散らかしながら二足でその場に直立している。しかし、明らかに人間ではない。
全身の肌は灰色の鱗に覆われ、肩甲骨からは昆虫のような一対の羽。三日月に大きく裂けた口からは獰猛な牙が除き、両手の指先は鋭利な刃物のそれ。兎を前にした獅子のような瞳で、生み出した俺をじっと見つめている。
これは、大当たりだ。喰わせた餌が良かったな。
「さて、
「ギ──……しご、と?え、サ……」
片言の言葉と、ぎこちない仕草。しかし素晴らしい。生まれて十数秒でこちらの言葉を聞き取り、なおかつ発声までしている!
「そうだ。お前にはこれから、とある餌を喰ってきてもらう。簡単だろう?」
「──ィ、餌、ドンナ、の?」
外套の懐から、裏面に魔法式が書かれた一枚の写真を取り出す。魔法で念写されたものだ。
写っているのは、藍の髪と瞳をし、レイピアを腰に帯刀した一人の餓鬼。
鋭い爪で器用にそれを手に取った
「お前が喰うのはその餓鬼だ。証拠を残さず、跡形もなく喰らい尽くせ。ただし、油断は絶対にするな。舐めてかかると、逆にこちらが喰われることになる。喰われるのは──怖いだろう?」
問うた途端、蟲は眼球を赤く染めて片手を大きく振るった。
「怖イ、喰ワレルノハ、怖イッ!!」
「そうだろう?お前は既に、喰われる恐怖を体験しているんだ。二度とその恐怖を感じないよう、慎重に、最新の注意を払って殺しに行くんだ」
「──、了解。ダガ、ソノ前二」
蟲は羽を微弱に羽ばたかせ、ニヤッと口元を歪ませてバーの酒瓶へと手を伸ばし、コルク栓を瓶の先端ごと爪で斬り飛ばして呷り始めた。
「お、おい!」
「ギギ、仕事ノ前二ハ酒ガナイトナッ!!」
「──チッ、そうだった。餌にした男は毎晩酒を呷っているような奴だったか」
舌打ちし、俺もグラスに残った酒を一気に飲み干した。
恐乱蟲は寄生した人間の脳を喰らう際、癖や習慣などをそのままコピーしてしまうケースが多い。今回の場合、あの男の酒好きという特性が反映されてしまったようだ。しかも、かなり飲む。
「ほどほどにしておけよ?食事に支障をきたすかもしれない」
「問題ナイ。俺ハ、酒二強イカラナッ!!」
「それはお前が喰った男の話だろう……。はぁ、いいから早くいけ。でないと、獲物が逃げてしまうぞ?」
「……ソレハ、ヨクナイコトダ」
十本ほどの酒瓶を空にした蟲は瓶を投げ捨て、口元を拭った。容器の割れる高い音が鳴り響く。
「──魔力反応ヲ確認。スグ二ムカウゼ!!」
瞬間、蟲の姿が掻き消え、ガシャンッと窓ガラスが音を立てて砕け散った。駆け寄り、外を見ると、既に蟲の姿はいない。
代わりに、俺の手帳が一人出に開き、白紙の頁に文字が浮かび上がる。
『──魔力ハ東二向カッテ移動中ダ。十分二追ツケル』
「早速自分の能力を自覚したか……上等。少し問題行動が目立つが、やはり優秀な蟲だ。餌にしたあの男が、想像以上に恐怖を生産したようだ」
上質な恐怖心は恐乱蟲を強く成長させる。やはり恐怖を知らない者を喰わせるのが一番なようだな。
「これで片方の魔法士に手を打った。あとはもう一人の女の方だが……なんとかするだろうが、念の為連絡を入れておくか」
通信席を取り出し、魔力を込める。
と、数秒と立たずに通信相手が応答した。
『──生まれたか?』
「あぁ。しかも、非常に優秀な蟲がな。全く、作るのに手間がかかる魔法だぜ。まぁ、その分リターンに期待ができるがな。今、男の魔法士を始末しに向かったぞ」
『了解だ。私もこれから、例の場所へ向かう』
「一人で大丈夫なのかよ。お前、まともな魔法なんてほとんど使えないだろ」
『問題ないさ』
笑い声とともに、何か金属が擦れる音が聞こえた。
『私には、あの方々から授かった笛と魔獣──人間の死体を取り込んだマンドラゴラがいるからな』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます