第15話 追跡者

「はい、今、屋敷の方へと向かっている最中です」


街中の道を滑りながら、僕は耳元に通信石を当てながら話す。既に月が空に上っており、辺りは薄暗い夜の街へと変貌していた。

見上げていると、通信石からは不満そうな声。相手は──言わずもがな。


『早く帰ってこいって忠告したはず』

「すみません。読みかけの本が、思ったより読み終わらなくて。申し訳ないとは思っています」

『全く。先輩の言うことは素直に聞く』

「だからすみませんって」


通話の相手──アリナさんに平謝りをし、建物の角を曲がり切る。そこで一旦立ち止まり、懐から三枚の氷漬けになった葉を取り出した。


「ところで、この耐電花草たいでんかそうについてなんですが……」

『役に立てなさい』

「役に立つかどうかはわかりませんけど、とりあえずそのまま食べられるとのことでしたので、数枚食べてみました」

『……なんで今?』

「え?いや、味が気になったので」


別に使い道があるわけでもないし、何ならここで全部食べてしまっても問題はない。一枚を月に向かって掲げ、覆っている氷に月光を反射させる。光に透過されて、葉脈がくっきり鮮明にわかる。


「まぁ、THE山菜って感じでしたね。特に苦いなんてことはなくて、衣をつけて揚げたら美味しいと思います」

『料理用じゃない……』

「単なる感想ですからね。それと、食べて数分経ちましたが、身体の表面が少し熱を持っています。魔力が肌に集められているんでしょうかね」

『そう……はぁ』


ため息が聞こえてきた。


『珍しい魔法植物に無駄遣い』

「うっ、否定できないですが……使わないで放置されるよりはマシだと思いますけど」

『まぁいいけど。私がレイズにあげたものだし──』


アリナさんが不自然に言葉を区切った。何か、予期せぬものを見て、声をつまらせたような、そんな感じに。


「アリナさん?」

『レイズ。貴方がいる場所から屋敷まで、あとどれくらいかかる?』

「どれくらいって……全力で飛ばせば、数分足らずで到着すると思いますけど」

『急いで来て。全力で』


真剣な声音。アリナさんがここまで緊張感のある声を発することは滅多にない。つまり──。


「何かあったんですか?何か、よくないことが」

『今は説明している暇はない。貴方はすぐに屋敷に戻って私と合流』

「……わかりました。すぐに──」



──パリン



不意に、人っ子一人いない無人の街中に、そんな甲高い音が響いた。脚を止める。

体内の魔力を高め、瞬時にレイピアへの柄を掴む。姿は見えないが……嫌な予感だ。


「すみませんアリナさん。どうやら、客人のようです」

『……チッ、まぁ一人なわけ無いか……』


舌打ちと不機嫌そうな声。爪を噛んでいる様子が用意に想像できる。


『仕方ない。レイズはそっちの相手をしてあげて。で、始末したらすぐに私に連絡すること』

「了解。ご武運を」


通信石を懐にしまい、先程の音の発生源へと足を向ける。同時に、レイピアも抜刀。最大限の警戒とともに、街灯の下へ。


「ガラスの……破片?」


街灯の光を反射していたのは、ガラスの破片だった。音を立てて割れたのは、あれで間違いがないだろう。

だが、一体誰が?

辺りに人の気配はないし、ガラスが自然と落下してくるような場所もない。明らかに割れるには不自然な環境だ。

周囲を警戒しながらレイピアの切っ先でガラスの一部を突いた──瞬間。


「──ッ!!」


ガラスが突然跳ねるように弾け、左腕に鋭い痛みが走った。咄嗟に後方へ跳躍し、ガラスから距離を取る。左腕を見ると、魔法ローブごと、肌が浅く切り裂かれていた。数瞬ほど遅れて、血が滲む。

明らかに異常な物体だ。このまま放置しておくのは、マズい。一刻も早く消し飛ばす!


「──高炎矢こうえんやッ!」


炎属性遠距離中級魔法──高炎矢。ガラスを溶かす高温の矢がガラスの破片へと迫る。しかし直前、割れたガラスが一人でに宙へ浮かび、炎の矢を回避。

遥か後方へと空中を移動し──破片が再集結し、鱗を纏った一本の腕へと変わり、虚空へと消えた。


「ガラスが……腕に──いや、逆か」


消えた箇所を睨みつけながら、僕はレイピアに魔力を走らせる。


「聞いたことのない魔法だ。身体の一部を切り離し、ガラスに変化させる魔法なんて……」


恐らく、占有魔法だろう。

アリナさんのようにインパクトがあるわけでも、リシェナ様のように特定の分野で多大な効力を発揮するわけでもない。しかし、今のような不意打ちは非常に有効だ。ただの破片だと思い込んだ対象を、不意をついて切りつけ殺害する。生粋の暗殺専用魔法だ。


「……本体は、どこだ?」


先程から一向に姿を見せない。このまま隠れてやり過ごすつもりか?

流石に、僕の姿を視認せずに攻撃することは不可能だろうから、近くにはいるのだろうが……上等。


「──大気振動たいきしんどう


無属性中距離初級魔法──大気振動。

文字通り、大気を揺らし、衝撃波を発生させる魔法。本来は物体を軽く揺らす程度の力しかでないが、通常の数倍もの魔力を込めることにより、窓ガラスを破壊する程度の威力を出すことができる。周囲の建物の窓ガラスに日々が入る中、道の中央虚空より突然、灰色のガラス片が出現し、音を立てながら地面に落下。破片が散らばる。


貰った。既に魔法は即座に発動できる状態。今度こそ、燃やし尽くすことができるッ!!

炎の矢を放つも、先程のようにガラスが逃亡を図るようなこともなく、道の真ん中で完全に消滅した。


「一先ず、片腕分は──」

『残念ダッタナ』


その声が聞こえたと同時に、全身数か所に鋭い痛み。赤い鮮血が傷口からブシュっと溢れ出し、地面を染める。


「な──ッ!」

『オ前ガ消滅サセタノハ、タダノガラスダ』


僕の腹に、何かに殴られる強烈な衝撃が生まれる。絶妙な捻りを加えられ、後方へと吹き飛ばされる。


「カハ──ッ」


壁に叩きつけられるも、何とか倒れ込むことだけは避ける。

肺の空気を全て吐き出し、荒く呼吸を繰り返す。

それでも何とか正面を見ると、先程まで僕が立っていた場所に、何かが浮かび上がった。

体中を魚のような鱗に覆われた、人間の形をした謎の生物。獰猛に口を歪め、僕を見て笑っている。


「なるほど……身体を周囲の景色と同化させて、姿を見えなく、することもできるのか。しかも、建物の細かな模様までも、再現するほど、高度な擬態……」

『正解ダ。俺ノ能力ハ、カラダヲガラスニ変化サセ、体表ヲ保護色ニスル』

「暗殺に長けた能力だな……」


口の中の血を吐き出し、問う。


「何故僕をすぐに殺さない?お前の能力ならば、すぐに僕を殺すこともできただろう?」


姿を隠し、鋭い指で頸動脈を切り裂くこともできたはずだ。だが、それをせず、態々僕の前に姿を現した。その意図を汲み取ることができない。


『オ前ニハマダ、足リナイ』

「足りない、だと?」

『ソウダ。オ前ニハマダ、恐怖ガ足リナイ。モットモット俺ニ恐怖シ、俺ノタメノ上質ナ餌トナレ!!』

「く──ッ」


背中から生えた羽を羽ばたかせ向かってきたため、僕は咄嗟にその場から離脱。助走が必要な薄氷膜を用いての移動は悪手。脚力を強化し、石畳を駆け出す。


『無駄ダ。オ前ニ魔力ガアリ続ケル限リ、何処マデモ追跡ヲヤメナイ』


再び保護色になり、僕を追跡してくる。

一先ず、今は一旦距離を取るべきだ。このまま戦っても、悪銭を強いられる可能性が高い。

今は、体勢を立て直す。


迫る羽音を聞きながら、僕は夜の東都を駆け抜けるのだった。

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