第10話 食い荒らす者
※グロテスクな表現と、かなり猟奇的にイカれたキャラが登場します。ご注意を。
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木造の壁や椅子がお洒落な店内に、レトロチックな音楽が流れる、薄暗いバー。
店内にいる客は、しがない一農家の私一人。他の客は何処にもおらず、マスターは裏へ酒を補充しに行ってしまった。その間に私が飲み逃げをしたらどうするのだろうかと思ってしまうが、ここのマスターはいつもそうだ。酒が足りなくなれば、どれだけ客がいようと店内から出ていく。無防備なことだ。
カウンターに腰掛けた私は、先に注文して置いたウイスキーの入ったグラスを舐め、一息。
仕事終わり、こうして静かに一杯やるのが日課でもある。最近は農作物の育ちも悪く、家に帰っても妻との折り合いが悪い。
この酒を飲む一時が、私の日々の楽しみでもあった。
グラスに入った琥珀色の液体を回し、カランと氷のずれる音を立てる。照明を内で乱反射させたそれは、まるで宝石のように美しい。
しばらく眺め、口をつけようとグラスを持ち上げる。と。
「貴方」
不意に横から声をかけられた。手を止めて向くと、黒い外套を被った色白の男。やや猫背気味で、如何にも不健康そうだ。
先程まで店内には誰もいなかったはずなのだが、いつの間に入ってきたんだ?
「思わず死を望んでしまうほどの恐怖に、襲われたことはありますか?」
男はメモ帳を懐から取り出し、問うてきた。
質問の意味はわからなかった。しかし、酒が回っていたのか、初対面の相手に話してしまう。聞かれて困るようなこともないしな。
「死にたくなる、ほどではないが。私も、結構体験したよ」
「ほぉ。それは?」
「そうだな──」
私は彼に、自分が人生の中で体験した恐怖体験なるものを語った。話した理由は……まぁ、酒の勢いと、単純に誰かと会話をしたかったのだろうな。一人で飲むのも好きだとはいえ、やはり話し相手も欲しくなる。
私の話を聞いている間、彼は時折頷いたり、相槌を打ったりと反応を示してくれた。
「──こんな感じかな?」
たっぷりと十数分ほど話しただろうか?話を終えて男を見ると、満足げに頷いていた。
「えぇ、ありがとうございます。大変面白い話を聞くことができました。そして──私の目に狂いはなかったようです」
言って、男は手にしていたメモ帳の一頁を破り、折りたたんで私に手渡してきた。
「これは?」
「開けてみてください」
「?」
言われるがままに髪を開けると──光が漏れ、一匹の芋虫のような幼虫が出現した。黄色い体色を持ち、うねうねと動きながら大きく口を開ける。
「ひ──ッ」
「喰らえ、
男が言った途端、幼虫は私の掌を瞬時に喰い破り、体内へと侵入。強烈な激痛と不快感。そして、肌の下で蠢くものに対する恐怖心が湧き上がった。
「ぎ──ああぁぁぁぁガアァァァッ!!!!」
絶叫し、床に転げまわる。滂沱の涙が溢れ出し、鼻水や口の端から漏れ出る唾液で顔がぐちゃぐちゃに。
痛い、痛い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いッ!!!
生まれて初めて感じる恐怖に、息が荒くなる。グラスに入っていた酒が床に撒き散らされるが、どうでもいい。今はこの恐怖と痛みから──男を見て、思考を止めた。何故か彼は、光悦とした表情で口を歪め、血走った眼で私を見つめていたから。
「そう、そうです。それです。それそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれそれッ!その表情ですッ!身体を喰らう虫を体内に入れられた不快感と、迫る死に、恐怖に染まったその表情ッ!やはり俺の眼に間違いはなかったッ!へははははははははははははははは!!」
「な、んで──」
「俺は最初から貴方に眼をつけていたんですよッ!そのためにバーに入って、接触を図った。そして会話をして確信しました。蟲を加工──成長させるのに最適な食材であるとねッ!」
「きょ、恐怖を、感じたこと、がある、話は、そのために?」
呆然と痛みに蝕まれながら尋ねると、男は異常な程首を傾げ、満足げな笑みを浮かべる。
「そのとぉぉぉぉぉりです!貴方が今まで体験してきたという恐怖を聞いて、確信しました。貴方は──本当の恐怖を知らない人であるとね!!」
「どう、いう?」
私は確かに、恐怖体験というものを語ってきた。両親が死んだ日、謎の影を見たこと。魔獣が人を食い散らかした形跡を見たこと。吐き気を催すようなことも、話した。それを、恐怖を知らないだと?
「確かに、貴方の話には恐ろしいものも含まれていたでしょう。ですがそれは全て、自らの死に直結しない程度のこと。本当の恐怖とは、自身の生命を脅かすものが目の前に現れ、既にどうしようもない状態の時に感じるものです。その恐怖を知らずに生きてきた惰弱な人間は、その場面に直面した時、とてつもない恐怖を感じることになる!!」
その時、私の腕に侵入した虫が大きく動き、手首から先を腕から食いちぎった。
「あがああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「あーあーあー。勿体ない、折角の肉が」
私の千切れた手を拾った男はそれを口元に運び──あろうことか、噛み千切り咀嚼しだした。口端から、真っ赤な鮮血が溢れ出る。バリバリと肉と骨を噛み砕く音が店内に響き、次いでごくりと飲み込む音。
「……素晴らしい。やはり良いぃぃ肉だッ!」
「ぐ──ぁぁぁぁッ!!」
いかれている。
口端についた血を舐めとり、狂気的な眼でこちらを見た。
「俺の占有魔法──恐乱蟲は、人間の血肉を喰らうことで成虫へと進化する。そして、糧となる人間が恐怖を感じれば感じるほど強く、逞しく、そして美しく成長するのです……」
永続的とも思える激痛を感じる時間。血が吹きだし、肉や骨を喰われ皮だけが残っていく。意識を手放したい……いや、もう死にたいというのに、一向に意識が落ちる気配はない。
「んー?あぁ、一体いつ死ぬのか、ってことを考えてますね?」
私の疑問は、しゃがみこんだ男によって解決された。絶望的な、事実をもって。
「恐乱蟲は皮以外の全ての部位を喰い散らかします。腕から胴体。胴体から足、足から頭。更に全てを喰い荒らすまで、寄生した人間が死なないように特殊な体液を分泌します。貴方の脳を食べ終わるまで、死ぬことはできません。その期間──およそ3日」
「み──ッ」
嘘だろう?まさか、この激痛に、3日も耐えなくてはならないというのか?その間、死ぬことも、意識を手放すことさえ許されず──。
「絶望しましたね?ですが、まだ早い。この蟲が最も激痛をもたらすのは──眼を食い破る時なのですから」
激痛と不快感の中、私の頭は真っ白になる。
叫ぶ気力も失った私は虚ろな眼で男を見つめ、全身を脱力させた。脳裏に、愛すべき妻の顔を思い浮かべて。
「それでは3日間、我が蟲のために十分恐怖を生産なさってください。貴方が喰われている最中に恐怖を感じれば感じるほど、この子は素晴らしい子になりますから」
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