第8話 執事との会話

「こんばんは」


屋敷の庭園へと足を向けた僕は、先程窓から姿を確認した人物へと近づき、声をかけた。

その人物は花に水をやる手を止め、朗らかな表情でこちらへと振り返る。


「これはレイズ様。このような夜に、散歩でも?」

「そんなところですね。少し外の空気を吸いたかったので。ロイドさんは、水やりですか?」

「はい。私の育てている花に、水をと」


言って、執事さん──ロイドさんは再び水やりを再開する。月下に咲き誇った白い花々が、水を浴びて生き生きと輝いている。

その花々に近づき、一輪の花弁をそっと撫でた。肌触りも良く、すべすべだ。


「見たことのない花です。これは、東都にしかない品種で?」

「はい。これは、月下桔梗げっかききょう。純白の花弁と、黄色い柱頭を持つ花でございます。その名の通り、満月の夜、月明かりが降り注ぐ時でないと花弁を開かないという特徴があります」

「へぇ……」


満月の夜にしか咲かない花……か。しかも、東都でしか栽培されていない品種。見ることができたのは、幸運なことかもしれない。


「お好きなんですね。この花」

「えぇ。とは言っても、この花だけですが」


ロイドさんは苦笑を漏らす。


「元々、妻がとても好きな花だったのです。今日のような満月の夜には、二人で眺めておりました」

「あぁ、そういうこと」


奥さんと一緒に見ていたら、いつの間にか好きになっていたということか。まぁ、その方がしっくりくる。だってロイドさんの外見、失礼だけどかなり怖いから。花が好きとか全然似合わない。本当に失礼だな……ん?好きだった?


「あの、失礼ですが、奥さんは……」

「……数年前に」

「──、すみません」


謝る。

そうだったか。ロイドさんの奥さんはもう……、嫌なことを聞いてしまった罪悪感が、僕を襲う。

その様子を感じ取ったのか、ロイドさんは極めて明るい声で笑ってくれた。


「お気になさらず。妻は今でも、天国からこうして私の育てている月下桔梗を見てくれているはずですから」

「……そうですね。あ、そのために、ここで栽培を?」

「それもありますが、少し違いますね」


如雨露を両手に持ち、笑顔。


「こうしてこの花を見ていると、妻と過ごした日々を忘れずにいられるのです。一緒に食卓を囲んだ時間も、二人で街を歩いた時間も」

「………」


愛情深い人だ。亡くなられた奥さんのことを、今でも愛し続けているのがわかる。


「ところで、本日の調査で、何か収穫はございましたか?」

「残念ながら、見ただけでは何とも言えませんでしたね。エインさんが一部の土や枯れ葉を採集して、詳しく調べてくれていますが……」

「なるほど。今は結果待ち、ということでございますか」

「そんなところです」


正直、期待はできないけどね。

アリナさんの大地干渉でもわからなかったのだ。それを、言っては悪いけど、ただの植物学者がわかるとは思えない。


「そういえば、エインさんはロイドさんが呼んだんですよね?以前からの知り合いだったと聞いていますけど」

「はい。以前、東都の酒場で知り合いまして。此度の異変の原因を突き止めてくれるのではないかと思い、お呼びしました」

「へぇ、ロイドさんも、酒場に行かれるんですね」


意外だ。いつも屋敷の中で仕事をしているものだとばかり思っていた。


「普段は滅多に。ただ、当時は妻を亡くし、数日ほど自棄酒に浸っておりまして……」


指先で月下桔梗の花弁に触れ、恥ずかしげに頭を掻く。


「エイン殿が、何か解決の糸口を見つけてくれればいいのですが……」

「まぁ、最初から一日で解決できるとは思っていませんからね。数日以内に何かがわかれば、上出来ですよ」

「そうですね」


月が位置を変え、同時に建物や植物の影が短くなる。如雨露で注がれた水滴が月光を反射し、月下桔梗の白い花弁の美しさをより一層引き立てているようだ。


「……妻は」


ぽつりと、ロイドさんが紡ぐ。


「──シエラは、本当に美しい女性でした。私のような男には勿体ないくらい、よくできた人で」


僕はロイドさんの語りに、黙って耳を傾ける。大切な人の思い出を語っている時に、相槌を打つのも何だか失礼な気がしたから。


「出会った時から、一緒にいる時間が増えるごとに惹かれていきました。嬉しさに笑い、悲しさに涙し、楽しそうにはしゃぎ……彼女のあらゆる面が好きだった。結婚してからも、喧嘩一つせず、円満な家庭を築いていきました」


ですが、とロイドさんが悲しげに目を伏せる。


「シエラはある日、不治の病にかかってしまいました。身体の自由を奪われ、日を重ねるごとに弱っていく、難病です。病名は──生命衰弱せいめいすいじゃく


聞いたことがある。

確か、突発的に発症する原因不明の病で、日を重ねるごとに生命力が枯渇していき、死に至る。発症から死亡までの期間は定められていないが、およそ50日。その期間内に手足が動かなくなり、寝たきり状態へ。そして最後は言葉を発することもできなくなり、静かに眠るように息を引き取る。

この病気を題材にした演劇もあるほど、有名な病気だ。別名、50日病とも言われている。


「最期は、私の手を取り息を引き取りました。その時、シエラは私に何かを言ったのですが……残念ながら、聞き取ることはできず……」

「とても、愛していた……失礼。今でも愛しているのですね。奥様のこと」

「えぇ、今でも愛しております。彼女以外の女性など、私には考えられない」


目を開き、当然のことを言うように言って、天を仰いだ。


「愛しているから、彼女に対して未練も大きい。もっと二人で色々な場所に行きたかった。色々なことをしてみたかった。もっと……彼女の温かな手を握っていたかった」


訪れる沈黙。

広い庭園には草木が揺れる音と、夜鳥の囀りが響く。身体を撫でる風が、無性に冷たく感じた。

そのまま時間が経ち、ロイドさんが笑ってこちらを向いた。


「申し訳ありません。お客様に、このような辛気臭い話をお聞かせしてしまって」

「いえ、とても素晴らしく、ロイドさんの奥様へ対する愛情を感じることができました。素敵なお話を、ありがとうございます。奥様のことについては、お悔やみ申し上げますが」

「いえいえ。こちらこそ、胸に閉まっていた話を誰かに聞いていただき、心が軽くなりました」

「……ただ、申し訳ない」


僕は頬を掻き、曖昧な笑みを浮かべる。


「僕自身は、ロイドさんのように誰かを愛したことがないので……心の拠り所となる方がいなくなってしまう気持ちを、共感できませんでした」


恋愛に勤しんでいる余裕は、僕にはない。と同時に、誰かを好きになるようなことなんて今までの短い人生では一度たりともなかった。愛する人がいる気持ちも、いなくなってしまう気持ちも、わからなかった。

僕の申し訳ない言葉に、ロイドさんは笑い、優しげに言った。


「まだお若いのです。これから必ず、我が身を犠牲にしてでも護りたいと思う──愛する人に出会えますよ」


僕の肩に手を置いて、ロイドさんは屋敷本館の方へと去っていった。


「……そんな人と、出会うのかな」


僕はしばらく立ち尽くし、揺れる月下桔梗の花を眺め続けた。

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