第27話 超位魔法

「距離は……10キーラってところかなぁ」


王都をぐるりと囲う防壁──その南側にやってきた僕は、視覚強化の魔法を使用するまでもなく見えた大きな怪物の姿に、そんな気の抜けるような声を出した。

巨大な2つの狼の頭を持ち、尻尾は七匹の蛇。体長は……20メーラくらいあるのかな?王宮の本館くらいありそうだ。普通の魔法士が相手なら、まず倒せない。先日のキマイラよりも危険で凶暴で、強いのだから。


それを……僕一人で……そろそろ本気で訴えてもいいのかもしれないな。

いや、この場にいるのは僕一人ではないんだけど。

ちらりと横を見ると、防壁の上からの光景に足を竦ませている人の姿。


「だ、大丈夫なのですか?レイズ様……」

「倒すのは簡単です。殿下」


僕を不安げに見る王女殿下──リシェナ様に、僕はそう答えた。

どうしているのか、と言われれば理由はシンプル。ここに来る前、僕に抱きついていたリシェナ様にミレナさんが「王女殿下も、今は不安でしょう。大丈夫です、王宮まで、レイズ君が送り届けますので」といい、一緒に連れて行けと僕に言ったのだ。酷い。本当に酷い。危険はないとはいえ、女の子にあの凶悪な魔獣を見せるなんて……え?アリナさん?あれは女の子じゃなくて化け物だよ……知られたら殺されるな。


「か、簡単って……相手は危険種に指定されている魔獣なんですよ?一流の魔法士が10人いても、勝てるかどうかの……」

「よく知られていますね。ですが、ご安心を。それは一般的な一流魔法士──つまり、上級魔法を使える程度の魔法士の場合です。僕ら殲滅兵室の魔法士は、その程度の魔法士ではありません」


レイピアを抜き放ち、魔力を纏わせて足元へと突き立てる。


「殿下には以前、貴女の占有魔法──心眼について教えていただきましたね」

「え、は、はい」

「そのお返し、というわけではありませんが、僕もお見せします。僕の、とっておきの魔法を──解錠かいじょう


突き立てた箇所を起点として魔法式を描いた陣が形成され──光の粒子が僕の前に収束し、黄金の弓が出現した。ゆっくりと重力に引かれて落下し、僕の手の中へ。張られた銀の弦を引っ張り、異常のないことを確認する。うん、大丈夫。


「弓……ま、まさか、この距離で狙撃をッ!?」

「?そうですが」

「ふ、不可能です!この距離を届かせることができる魔法士なんて──」


殿下が信じられないものを見たような眼で見てくるけど、僕は本気でやるつもりでいる。というか、いつも王宮から狙撃するほうが、的が小さいから難しいんですよ?

それに比べて、オルトロスは距離はあるかもしれないけれど、的は大きいし動きは鈍い。


「大丈夫ですよ。必ず倒しますから」

「……その弓を用いて、ですよね?見たところ、相当の業物に見えますが」

「ご覧の通りです。名は、星王弓せいおうきゅう。と──」


黄金の弓──星王弓を持つ手とは逆の手を前に突き出し、目を閉じる。同時に、星王弓に魔力を込める。すると、足元の魔法陣から8つの矢が出現。一定の間隔を空け、僕の周囲を回る。


「──雷を」


言葉にすると、8つの矢のうち一つ──蒼雷を纏った矢が僕の手中へと収まり、他の矢は魔法陣の中へと消えていった。

迸る稲妻を纏う矢を星王弓へと構え、狙いを定める。標的は当然──あのオルトロスだ。


ミレナさんの情報が正しければ、あれは以前収集した魔法式の描かれた魔石を持つ魔獣と同種の存在である可能性が高い。それもそうか。オルトロスはキマイラと同じく、この近辺に生息している魔獣ではない。

放置しておくのは危険どころではない。最悪、王都へと襲いかかる可能性がある。


力強く弦を引くに比例して、蒼い稲妻が辺りに迸り、空気を弾く高い音が聞こえる。


「───」


リシェナ様が何かを言っているけれど、よく聞こえない。そちらから意識を外し標的に向けて矢の先端を向け、視線を鋭く、呼吸を一つ吐き──。


「穿て、雷星らいせい──」


雷の矢を放った。



「あ──っ」


レイズ様の蒼い雷を見た時、私は心臓がドクンっと大きく跳ねるのを感じました。思わず見惚れ、呼吸をするのも忘れてしまう。

脳裏に過るのは、あの時──森で魔獣に襲われ、絶体絶命の危機に陥っていた時のこと。

皆が死を覚悟した時、突如として飛来した雷。手練の騎士様たちを窮地に追い込んだ魔獣を、あっさりと一方的に倒してしまった、美しい魔法。


あの時とは違う魔法。

ですが、あの雷の美しさは──私を魅了した、それと同じ──……。


「──神矢じんや


静かに、そして厳かにレイズ様が呟かれ、凄まじい雷鳴と烈風と共に放たれる矢。

通過する地点に生い茂る木々をなぎ倒し、災厄とも呼べる力を振りまいて──



「任務……遂行、かな」


凄まじい虚脱感に襲われながら、僕は何とか両足で立っていた。手にしていた星王弓は粒子となって霧散し、レイピアの切っ先を起点に作られていた魔法陣も消滅。


僕の放った雷星神矢は、進行していたオルトロスの心臓部を、正確無比に撃ち抜いた。


貫通し、更に背後の地面に着弾した矢は大地に電紋でんもんの亀裂を作り、地面から空に向かって雷を打ち上げ、消失。


「あ、やべ」


不意に足の力が抜けて、立っていられなくなった。そのまま後ろ向きに倒れ──柔らかな感触。


「大丈夫ですか?レイズ様」

「あ、ありがとうございます。はは、ちょっと、魔力を使いすぎまして」


真上からリシェナ様が僕を覗き込む。そのまま、膝枕の姿勢へと移行。起き上がる気力も湧いてこないので、このまま話そうか。


「今の魔法は──」

「あれが、とっておきの魔法ですよ。正式には、全属性超遠距離超位魔法──八星矢はちせいや。無属性以外の全ての属性を持つ矢を用い、敵を殲滅する──僕の占有魔法。風と雷を異なる属性の矢としているのが、少し特殊なところですが」


僕が使用できる魔法が非常にアンバランスなのは、この魔法のせいでもある。

遠距離・超遠距離に特化しすぎた占有魔法を持つため、近距離・中距離は初級程度の魔法しか使うことができない。逆に、この魔法を持っているおかげで、遠距離以上は使いこなすこともできるのだけれど。


「そんな強力な魔法を……」

「確かに強力ですが、欠点も多い。一度使うと、こうして虚脱感と脱力感に襲われて、魔力欠乏の状態に陥る。連発は……魔力が回復すればできなくはないですけど、やめたほうがいい。実質、一発限りの大技ですよ──リシェナ様?」


リシェナ様が突然、僕の頭をそっと撫でつけてきた。そして、慈しむような視線を。


「本当に、凄い方ですね。そんな魔法を使いこなして、決して得意ではない近距離での戦いで、あのアルセナスにまで勝ってしまって……」

「………」


何だろう、この感覚。

膝枕をされて頭を撫でられるなんて、恥ずかしさもあるけれど、とても心が落ち着く。アリナさんに締め──抱きしめられることはあるけれど、それとは全く違う。苦労して彼女を護って本当によかったと、そう思える。


「ところで、レイズ様。少し気になることがあるのですが」

「はい?なんですか?」


閉じていた目を開けると、僕の首元に手が。


「先程見た首元の魔法式……それが、なくなっているのですが……」

「───ぇ」


掌に薄氷を生み出し、それを鏡として首元を映す。そこには、何も描かれていない、綺麗な白肌が映っていた。肉付きが悪く、鎖骨が浮かび上がっている。

確かに殿下の──リシェナというお名前が頭に浮かび上がったことを不思議に思っていたけれど……誓約ギアス自体が解除された?


「どういう……あ」

「?」


思い当たることが一つ。

そうだ。確か、あの時頭と首元が熱を帯びた感覚が生まれて……。


「一つ、伺っても?」

「はい。なんでしょう?」

「僕がアルセナスに首を跳ね飛ばされそうになったとき、リシェナ様、何かを呟かれていましたよね?何を呟かれていたんですか?」

「?呟く……ッ」


と、リシェナ様は何故か頬を染めて僕から顔を逸してしまった。次いで、僕の両目に両手を被せ、視界を覆う。


「り、リシェナ様?」

「そ、その呟きを聞くことは禁止ですッ!!王女として命じますッ!」

「りょ、了解しました……」


王女として命じられたら逆らえるわけがないので、素直に頷く。なんて言ったのかもの凄く気になるけど……。もしかしたらそれが誓約の解除条件を満たしたのかもと思ったけど、確認のしようがないな。まぁ、解除されただけ良しとしよう。


こうして、無事に名前を呼ぶことができるようになったわけだからね。



私は熱くなった頬を冷ますように、夜風に当たりながら深呼吸を繰り返します。

あの時は本当にレイズ様がいなくなってしまうと思い、心の声をそのまま絞り出すように呟いてしまいました。が、今考えるととても恥ずかしい……。

こうして無事に私の膝で安堵の表情をしている彼の前で……無理です。告白同然の行為です。

だって──


「(私のレイズ様を、殺さないで……なんて)」


言えるはずが、ありません……。

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