第24話 撤退

「予想はしていましたよ。兵たちが殿下を捕らえることができなかった時、貴方が出てくるであろうことは」


瞬時に抜刀したレイピアの切っ先をアルセナスへと向け、殿下の前に出る。奴の狙いは殿下だ。正面に相対させるわけにはいかない。


「あ、アル……」

「親しかったのかもしれませんが、殿下。情は捨ててください。見たところ精神支配をかけられている様子はありませんが、敵ということに変わりはありません」


精神的な余裕を全面に押し出すアルセナスは、両腕を組んで肩を竦める仕草。お仲間……自分の駒がかなりやられているにも関わらず、見事な精神力だ。この男の実力が垣間見える。


「そんなに警戒する必要はないぞ?若き魔法士」

「悪いけれど、殿下を危険に晒した首謀者である貴方に心を許すほど、頭の中にお花畑が広がっているような阿呆ではないのでね」

「おや?敬語は使ってくれないのかな?一応、魔法士としては君の先輩にあたるんだが?」

「敵に敬語を使うほど育ちがいいわけではない。無駄口はそのへんにして、目的を言え」

「言わない、としたら?」


僕の身体から蒼電が走り、屋根の瓦の一部を焦がす。


「楽に地獄へ落としてやる。選択肢は実質一つ──シンプルな答えだろう」

「怖いことだ。けれど確かにそうだな。答えは一つしかない」


言い終えた瞬間、アルセナスはとてつもない脚力で僕へと肉薄し、腰元の片手剣を振り上げる。狙いは──僕の首筋だ。

咄嗟にレイピアでそれを防ぎ、がら空きの横腹目掛けて蹴りを放つ。が、直前で後方へと下がられ、スピードに乗った脚は空を切る。

親衛隊の副隊長を務めるだけあって、肉弾戦は非常に強く、戦い慣れている感じがあるな。相性が悪い。


「最低限の反応はできるとはいえ、接近戦が得意、というわけではなさそうだな。俺の駒をあの距離から撃ち抜いていたあたり、得意なのは遠距離戦か」

「軽く試す程度の攻撃だけで、なにかわかるのか?殿下が驚いて怯えてしまっているだろう」


強気な発言で相手に疑念を抱かせる。しかし、見事な洞察力だな。たった一撃でそこまで理解できるとは……それに、遠距離攻撃も見られている。失態だ。対策を練られかねない。

アルセナスは目にかかった前髪を横に払い、頭を振った。


「いや、深く考えるのはやめにしよう。とにかく、俺は殿下を連れ去ることができればそれでいい。若き魔法士、貴様に用はないのだ。大人しく引くというのならば、気絶する程度で済ませてやろう」

「それは、戦いの最中で緊張を弛緩させるための冗句と受け取るよ。合わせて、お断りだ。寝言は寝て──いや、永眠してから言ってくれ」

「全く……損得勘定ができないようだな。それではこの先の人生で損をするぞ?あぁ、そうか。ここで死ぬのだから、先の人生などなかったな」


お互いに挑発しながら、僕は思考を走らせていた。

はっきりいって、このまま至近距離での肉弾戦を続けていては、負けてしまうだろう。相手は剣術を得意とし、更に追加で魔法も使える。僕と違って、近・中距離の上級魔法を使うこともできるだろう。それを全力で使ってくる。

対して僕は、遠距離以上の魔法以外では、初級魔法しか使うことができない。おまけに、剣術だって相手の攻撃を防ぐことで精一杯。追加で、殿下を守りながらの戦闘になる。


圧倒的に不利な状況で僕が勝つ方法は一つしかない。アルセナスの攻撃が届かないほど距離を取り、一方的に遠距離魔法を打ち込むことだけだ。

……いや、何も今回に限って言えば、相手を倒すことだけが勝利ではないな。けどま、それを勝利とするのは状況の変化次第ということで。

小声で背後にいる殿下に話しかける。


「殿下。このままでは分が悪いので、あの男から一旦離れます」

「………」


僕の言葉には答えず、殿下は前方のアルセナスを悲しげな瞳で見つめている。

ショック、なのだろう。幼い頃から面識があり、信頼の置ける存在であった者の変貌。味方から、自身の身を狙う敵へと変わってしまったのだから。

心中お察しする。だけど、悲しむのは後だ。

放心状態の殿下を抱えあげ、身体強化を何重にも重ねがけし──瓦を砕きながら踏み込み、駆け出す。


「──ッ」

「申し訳ありません殿下。先を急ぎます」


数秒足らずで1直線200メーラを疾走し、入り組んだ住宅街を駆け抜ける。住人である人々は現在、王家の言葉を聞くために中央広場へと出向いている。目撃者は誰もいない。

無数にある窓ガラスが月明かりを反射しているのを見ながら、速度を緩めて周囲の魔力を探知。何も反応はないな。


「騎士団の常駐所まで、大分距離が離れてしまったなぁ」


予定の道を大分逸れて走ってしまったようだ。アルセナスは僕らのことを待ち構えていたことから、恐らく目的の場所──王都南側に位置している騎士団の常駐所へ向かっていることをわかっているだろう。そこにいけば、指折りの実力者である騎士団の精鋭たちがいることも。

馬鹿正直に真っ直ぐ走っていても、追いつかれる。なるべく奴が想定しないルートを通る必要があるのだ。


「……そんな……アル、が……」

「殿下……」


見ていて、声を聞いていて心が痛む。

殿下は先程から僕の腕の中で、悲壮に満ちた声と表情でアルセナスの名前をうわ言のように呟いている。今にも泣き出してしまいそうだ。

追ってきていないことを確かめてから立ち止まり、殿下を石畳の上に下ろして聞く。


「……殿下は、彼と親交が?」

「…………は、い。昔から、私と兄上を護ってくださっていました。あまり外に出ることができなかった私達兄弟の、遊び相手になってもらって……」


ポツっと、一滴の涙が地に落ちる。


「私達に見せてくれていた姿は……嘘のものだったのでしょうか?最初から、こうするために、偽りの姿を……?これまでの思い出も、ゴミ同然のものだったの……ッ」


思わず殿下を抱きしめる。

優しく、労るように、そっと。


「そんなことはありませんよ、殿下」

「……どうして、そんなことが言えるのですか?アルは……つい先程私を連れ去るとッ!」


殿下が僕のローブを強く握りしめる。それを咎めることなく、僕は耳元に囁く。


「自分を信じてください。貴女ので見てきたことは、嘘でしたか?彼が貴女に接する時、何もかもを偽っているように見えましたか?僕は違うと思います。貴女が今回の彼の変貌で涙を流すほど、彼を信頼しているということが何よりの証拠です」


殿下の眼はどんな嘘でも見抜いてしまう。ならば、彼女がここまで信頼を置くことができているということは……彼の忠誠心は本物だということだ。つまり──


「自我を保ったまま、認識を変えられている可能性もあります」

「認識を?」

「はい。殿下を襲ったゾンビ兵は、既に死んでいます。しかし、アルセナスは僕との会話も成立していることから、自我を保っている可能性が高い。そうなると、【自分は殿下を捕らえるよう命じられている】といった風に、認識を変えられていることも考えられます」

「そ、それなら──」

「はい。希望はまだ残っています。ですが、まずは騎士団の元へと向かいましょう」


再び殿下を抱えあげようと腰を落とした──その時。


「──」


脇腹に、何かが突き刺さるような激痛が走った。

視線を向けて確認すると、そこには銀の鋭利なナイフの切っ先が顔を覗かせていた。

赤い鮮血が、ポタポタと滲み出ては地に落ちる。


「逃げるなよ。追いかけるのが面倒だろう?」


背後から掛けられる美声。

だけどこの時、僕にはその声は死神からの死刑宣告のようにしか聞こえなかった。


「さて、殿下。お迎えに上がりましたよ」

「あ、アルセナス……」


汗一つかかず、涼し気な顔でナイフをくるくると指先で回転させているアルセナスが、不気味な笑みを浮かべてそこに立っていた。

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