第18話 お願い
「これは……」
着替えを済ませた私は、身につけている服に唖然と声を漏らしました。
「大変お似合いでございます」
「あ、ありがとう……じゃなくて」
素直に褒めてもらえるのは嬉しいのだけど、そういうことではないの。今、私が来ているのは普段の礼装用のドレスではなく、街の女性たちが来ていそうな軽装。無駄な装飾などは一切ない、全体的に青い簡素な服です。正直、どれだけ高いドレスよりも、私はこちらの方が断然好き。お父様やお母様がお許しにならないだろうけど。
「では、私はこれで」
「あ、ちょっと──」
「あぁ、それと姫様。もう少しで代わりの者が参ります。その方がいる間、私共は何一つ感知いたしませんので」
「な、何を言っているの?あ──」
私が言葉をいい終える前に、メイドは扉を閉めて退室してしまった。ど、どういうことなのでしょうか?まさか、この服装で民衆の前に立つ……いえ、そんなことはありえません。でしたら、一体どういう──窓がコンコンと叩かれた音が聞こえました。
「?一体どなた──」
窓を開け、ベランダへと出て、私は言葉を失いました。
が、それも仕方のないことです。そこには、予想だにしなかった御方がいたのですから。
「ご機嫌麗しゅう、王女殿下。これから私と、デートに興じていただけないでしょうか?」
黒い魔法士ローブを纏われたレイズ様が、手すりに腰を預け、私に向かって手を差し伸べられていたのです。
◇
数十分前。
「さて、夕方までどうするか……」
執務室のソファに座りながら、僕は何をするわけでもなく今後の予定を考えた。
僕の仕事──王女殿下の(影から)護衛は、夕方にならないと始まらない。その時間になると、王族の方々が専用の馬車に乗り、周囲に多くの護衛を引き連れて王都の主要な通りをお通りになるのだ。王都の民たちへの顔見せとして。
その後、パレードを終えた彼らは再び王宮に戻られ、中央広場に集まった民衆に向かってお言葉を述べられる。とのこと。
つまり、最低でもパレードが始まらないことには王家──いや、王女殿下は王宮の私室から離れることはない。つまり、必然的に僕も暇になるのだ。
「だったらもっと眠りたいところだけど……」
手元に置かれた一枚の紙を手にとって、その文面を眺める。そこに記されているのは、最近聞いた、王家親衛隊隊員の不審な失踪事件について。可能な限り僕が聞いて回った情報を、書き記したものだ。
断片的な情報しか掴めてはいないが、どうにもきな臭い。嫌な予感がぷんぷんしてくる。僕は比較的睡眠がなくても行動できるほうではあるし、眠るよりはこれについて考えるほうが懸命だろう。眠いことに変わりはないんだけどね。
「失踪した隊員は5人。内一人は王家親衛隊副隊長を務めている、アルセナス=クロージャー。隊長に次ぐ実力者であり、狡猾かつ剣技において圧倒的な才能を持つものである……か」
わかったことだが、この事件、不審な点が多すぎる。第一に、部屋が血塗れになっているのにも関わらず、死体をその場から持ち去るという行為。殺すことが目的なら放置するほうが逃げ足がつかなくて安全だし、誘拐ならば殺すことはないだろう。明らかに致死量を超えるほどの出血をさせる必要はない。
そしてもう一つ、副隊長を任せられ、かつ周囲から絶賛されるほどの男がこうも簡単に暗殺されるだろうか?自室で眠っていたから?それほどの強者ならば、微かに足音が聞こえた段階で眼が覚めるだろうし、なによりも熟練の兵士の寝込みを襲うほど危険なことはない。眼を覚ました瞬間、ブレーキの効かない殺意を剥き出しにして襲ってくるのだから。
とにかく、おかしな点が多すぎる。
考えられるのは、僕らが知らない未知の占有魔法の存在。もしくは……仲間内の争い、も考えられないことはないけれど、可能性は低そうだな。統率力の取れない者が入れるような部隊ではないし。
「もしくは……」
頭を過るのは、あの精神支配の魔法が施された男。彼のように、誰か隊員の中に操作された者が存在していたのなら……この事件だけでは済まないはず。
と、深く思考を走らせていると、部屋の扉が控えめにノックされた。まさか、吐瀉物の後処理か?
「はい」
「レイズ君、お客さんよ」
「お客さん?」
返ってきた声はミレナさんのものだった。
一体誰だろうか?僕を訪ねてくるような人なんて……建国祭関係でまたお手伝いをしてくれってことなら断るんだけど。でも放置しておくわけにもいかないし、多分ミレナさんが僕はいるってことを伝えてしまっているのだとは思う。
仕方ない。面倒ではあるけれど、ちょっと仕事してきますか。
自室を出て、執務室の共有スペースを抜けて出入り口の扉を開ける。
と、そこにいたのは見知らぬメイド姿の女性だった。片口で切り揃えられた黒髪に、同色の瞳。重心のしっかりとしたスラッとした体躯。油断も隙きも一切見られない。
「………ぇ?」
困惑。関わりのない、まして会ったことのない人からの突然の訪問があったならば、誰だってそうなると思う。
唖然と固まっていると、メイドさんは僕に向かってとても丁寧なお辞儀を。
「突然伺い、申し訳ございません。少し、お時間をいただけないでしょうか?」
「へ?あ、あぁ、はい。特に用事はないので、大丈夫ですけど」
返すと、メイドさんは「こちらへ」と言いながら、どこかへ向かって歩き出した。
まだまだ考察したいことは山ほどあったのだけれど、態々来てくれたんだ。ちょっとだけ付き合ってあげることにしますか。
扉をゆっくりと閉め、僕はメイドさんの後に続いた。
◇
後に続いてやってきたのは、普段僕が入ることのない王宮本館の応接室だった。豪奢なソファと調度品が並べられ、平民出身の僕にはかなりの場違い感を覚えさせる。落ち着かない。こういう時、故郷の草原が恋しくなる。見渡す限りの自然と、息詰まることのない空気。背中に感じる軟草の感触がなんとも……いや、いまはそれどころじゃない。目の前に差し出された珈琲から視線を外し、正面に座るメイドさんに尋ねる。
「あの……」
「大変申し遅れました。私、リ……王女殿下の専属侍女を務めております、ベラ=レイティと申します。以後、お見知りおきを」
驚愕。王女殿下の専属侍女だとは思っていなかった。いや、落ち着いた雰囲気や纏うオーラがただものではないと思ったけど……。そんなお方が僕の元に来られるなんて……え、まさか。
「ぼ、僕は何か王女殿下にご無礼を働いてしまったのでしょうか……?」
「?いえ、そのようなことは聞いておりませんが?」
「よかった……」
一先ず斬首刑は免れたみたいだ。王族の方にご無礼を働く=死だということは重々承知している。それに、殿下とは最近お会いする機会があったから、まさかその時にと思ったけれど、どうも違うみたいだ。
姿勢を正して、メイドさん──ベラさんを見る。
「では、どういったご用件で?」
「……他言無用でお願い致します」
真剣な声音。頷くと彼女は話を続けた。
「単刀直入に。姫様がパレードに向かわれるまで、半日ほどの時間があります。その間、王家の方々はあらぬ危険に晒されぬよう、外出を禁じられており、並びに出入り口には警備の者が」
「……なんとなく理解しましたが」
こめかみに人差し指を当てて、何とも言えない笑みを浮かべる。それって、そういうことだよね?
「つまり、ベラさんは王女殿下を彼女の私室から連れ出してほしい、ということですか?」
「ご名答」
「その、どうして?」
態々王女殿下を危険に晒す必要はない。それも招致で、ベラさんは僕にそのお願いをしているということだ。何か訳があるのだろう。
「……姫様は、近頃何か悩んでいるように感じられます。しかし、その理由を私達にはお話になってもらえず……その状態で迎えてしまったこの建国祭。せめて、姫様に活気ある王都の様子をご覧になっていただき、気分転換をしてほしいと思っているのです」
「あー……暗い状態で民衆の前に立つのはいかがなものか、ということでしょうか?」
「その通りでございます。国民も、姫様の元気なお姿をご覧になられたいはず。それを抜きにしても、姫様自身の心を晴れさせてあげたい。そう思っております。どうか、引き受けていただけないでしょうか?」
深々と頭を下げるベラさん。
殿下は素晴らしいメイドを持ったものだ。こんなに主人のことを想い、尽くしてくれるなんて。
……これは、彼女の忠誠心に応えなければならないかな。
「わかりました。今から連れ出して祭りを楽しんで、パレードの前には戻ってくればいいんですね?」
「はい。姫様の代わりの者も準備済みでございます。背丈や体格のよく似たものが。お世話係も私ですので、入室できるものは私以外におりません」
「よ、用意周到ですね……」
その準備の良さ、最初から僕が引き受けてくれることを前提に動いていましたね?
若干引きました。
でも、丁度いい。僕も出店している店に出向いて、少しばかり祭りを楽しもうと思っていたので。
ちゃんとエスコートできるか……不安になってきた。
珈琲に口をつけ、ローブの乱れを但し、胸元につけられた薔薇のブローチの向きを正した。
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