第13話 奇襲は音もなく

「完全に寝不足だ……」


早朝。

僕は普段のように王宮別館の屋上に上り、外の魔獣を狙撃していた。欠伸を噛み殺しながら、次なる獲物を探して視覚強化で鮮明になった視界を動かす。僕の周囲には、手にした蒼いレイピアと同等の大きさの雷が十数本浮遊している。狙撃体制は完璧に整っていた。


昨晩、下宿に戻っても眠ることは叶わず、軽く意識を飛ばした程度の睡眠しかとることができなかった。殿下の最後のお言葉と眼が怖すぎたのと、魔獣の件が頭から離れなかったのだ。眠れないから一晩中レイピアをピカピカに磨き上げた上に、きちんと朝御飯までしっかりと作って食べてきてしまったよ。あ、魔獣発見。


「やれやれ、こんなものかな」


残っていた雷を霧散させる。目に見える粗方の魔獣を倒し終えた。昨日は散々狩りまくったから、流石に今日狙撃した数はとても少ない。多分、十五体くらいかな?いつもの三分の一程度しか目に入らなかった。いいことだ。


今日は執務室に入ったらすぐに会議がある。勿論、今回の魔獣の件だ。ミレナさんが回収した魔石を幾つか研究室に持ち込んで、そこで分析してくださるそうだから、それの結果を待ちながら。ここの研究員は王都でも選りすぐりの人たちで構成されているから、分析もすぐに終わるでしょう。

会議となれば、お茶を淹れるのは基本的に僕。長引けば長引くほど、あの人たちの飲む量は明らかに増えるからなぁ……。多分一番大変なのは新入りの僕だ。厳しい世の中だ。

それにしても眠い。ほぼ徹夜+朝早い。これで眠くならない人なんていないだろう。


「……皆が来るまで時間あるし、一眠り──ッ!!」


肩をほぐしてぼやいた途端、背筋がぞわりと震えた。強い殺気──いや、危険な気配。同時に、反射的にレイピアを上段横凪に振るう。金属が衝突し合う甲高い音が響き渡り、次いで僕の頬を何かが掠めた。ズキンとした痛みの後、微量の血が滲み出て頬を伝い、石造りの床に落ちる。


「……なにが」


カランと音がした方向を振り向くと、そこには真っ二つに両断された鉄製の果物ナイフ。

明らかに、何者かが僕を狙って投げたに違いない。僕が知る限り、天気に晴れのちナイフなんてものはないからな。

しかし……ここにナイフを投擲するのなんて、普通はできないぞ?ここは王都の中で最も高い建物の屋上。王都郊外までを見渡すことができるほどだ。そんな場所にいる僕に届かせるどころか、しっかりと顔に命中させるとなると、恐らく魔法も使用されているはずだ。本気で僕を殺しに来ている。……いや、狙いは僕じゃないかもしれない。


「案件は、魔獣だけじゃなかったってことか」


視線を鋭く、叩き斬ったナイフを拾い、飛んできた方向を強化された視覚で睨む。王都南西付近をジッと。すると、微かではあるが、怪しげな黒いローブに身を包んだ人影が路地に入っていくのが見えた。


「逃がさない──指光弾しこうだん


人差し指を視線の方向に向け、光属性遠距離中級魔法──指光弾を発動。指先から射出された光は円錐状に収束していき、一瞬で目標地点──民家の窓ガラスへと着弾、進行角度を九十度変化させ、黒い人影が消えた路地へと進んだ。

何も直線だけが遠距離魔法ではない。地形や物を利用して、対象を狙撃することもできるのだ。鏡の跳弾のように。

こちとら毎日毎日王宮から郊外の魔獣を倒す重労働をしている身。こき使われている男をあなどるなかれ。自慢できることじゃないな。


命中しているかはわからな──自分の腕を信じよう。確実に命中しているはずだ。直前に見えた足の角度から右側に移動したのは確認しているし、壁に張り付くとか空を飛ぶような前兆も見られなかった。


「急ぐか」


心臓に命中している保証はない。逃げられでもしたら大変だ。危険因子は徹底的に排除しておくにこしたことはない。

僕はレイピアを持ち、脚力強化を施して王宮を駆け抜けた。



「確か、この辺りのはず……」


王宮を飛び出し、人の少ない王都の大通りを一直線に駆け抜けた僕は、先程指光弾を打ち込んだ路地の付近まで来ていた。今は身体強化を解除し、辺りを見渡している。昼になれば多くの人々で賑わうのだろうが、今はほぼ無人。早朝から開店している喫茶店などでは既に準備が始まり、灯がついているのが見える。


そんな表通りとはうって変わって、路地は未だ薄暗く、どこか陰湿な空気が漂っていた。置かれた樽の上には野良猫が伏せた状態で寝転んでおり、目を閉じて眠っている。

建物の壁は薄黒く汚れていて、長らく掃除をしていないことが伺えた。

その小汚い壁の下方に、まだ新しいものと見られる血痕が確認できた。


「命中したのは、脚だな」


血痕が付着している箇所と、地面に幾つか飛び散った後からそう判断。胴体を貫いていたなら、恐らくもっと上の方まで血が吹き出しているだろう。

上出来。脚が動かないのなら、動きも鈍くなる。例え魔法で傷を塞いだとしても、痛みはすぐにはなくならない。

周囲を警戒しつつ、路地の奥へと進んでいく。

不可視化は使わない。あれを発動していると、どうしても他の魔法を発動するのに手間取ってしまうからだ。それに、もしも不可視化を見破る魔法を持っていたらと考えると、危険でしかない。僕は近距離での戦いでは一般的な兵士程度の実力しかないのだから。足音を殺して、ゆっくりと歩みを進める。

決して慌てずに、兎に近づく獅子のような気持ちで──ん?


「これは、ナイフ?」


足元に落ちていたのは、何の変哲もないただのナイフだ。見たところ、僕に向かって投擲されたものとよく似ている。持ち手はグリップが巻かれて持ちやすく、重さもかなり軽いほうだろう。

もしかして、人影の人物が落としたのか?痛みに耐えかねて転倒し、得物を落としてしまった可能性は十分に考えられる。


「案外、おっちょこちょいな奴だったのかも──」


少しだけ笑みを浮かべてそのナイフを手に取り──戦慄。よく磨かれたナイフの刀身に、僕の首を狙って斧を振り上げる黒いローブを纏った男の姿が映っていたから。


「──チィッ!」


大きく舌打ちをして、僕は瞬間的にレイピアを引き抜いて防御の姿勢を取る。当然、強度強化の魔法を忘れずに。

男が振るった斧の刃はレイピアの中心に衝突。あまり良い素材ではないのか、鈍い音と共に凄まじい衝撃が刀身を通じて手に伝わる。力では完全に不利だ。角度を変え、流すように斧をいなし、大通り側へと立ち位置を変える。

これで、一般人のいる大通りへは逃げることはないはずだ。あまり人がいないとはいえ、そろそろ陽も上る頃。街の人々が起床する時間だ。


頬を嫌な汗が伝い、心臓の鼓動が脈を刻むリズムを上げる。

何故って?僕とあの男、恐ろしいほどに相性が悪いからだ。

僕は基本的に遠距離からの一方的な射撃攻撃を得意とする後方支援・遠距離戦特化型。近距離での戦闘も、前線で戦うパートナーがいてこそ力を発揮する。僕一人でできるのは、精々相手の攻撃をギリギリで躱し、隙きをついて遠距離用の攻撃魔法を近距離から当てることだろう。それも、結構時間がかかる戦い方で。


逆に、眼前の男は完全な近距離戦闘特化型。斧──恐らく、何らかの強化魔法を付与──を振り回し、一方的に距離を詰めて殺しに来る。速度も速く、先程のナイフのような事前準備や罠も使ってくる。

唯一の救いは、彼が脚を回復魔法で癒やしておらず、出血が続いたままでの戦いになることだろう。必然、速度も落ちる。


状況の分析を行っていると、男は突然腰元からナイフを三本引き抜き、僕に向かって投擲。多少の距離が離れているため、軌道を読んで叩き落とす。投擲技術も素晴らしい。素直に称賛だ。


僕がナイフを叩き落とした瞬間、男は一息に距離を詰め、再び斧を一閃。身を屈めて躱し、一瞬力を込め、レイピアの切っ先で喉元を狙う。が、寸前で身を捻られ、浅く突き刺す程度に。すぐさま引き抜き、鳩尾に前蹴りを打ち込み突き飛ばす。男は身体をのけぞらせ、片足を浮かして後退。がっしりとして、頑丈な肉体だ。

先端に付着した血。刀身を振るってそれを落とし、右前腕から出血しているのに気がついた。


「離れる瞬間に……」


突き飛ばした時、足元のナイフを蹴り上げて僕の右腕を攻撃したのだろう。遅れて、すぐ背後からカランという音が聞こえた。


強い。

周りの状況をよく見極め、有効な手段を有効な方法で活用してくる。一見力任せのように見えて、細かい策を有する。

最大限の警戒をしながら、僕は男の切っ先を向けた。


「狙いはなんだ?」

「……」


虚ろな表情、返事はない。答えるつもりはなさそうだ。恐らく捕らえたとしても、何かを白状することはないだろう。ならば、この場で倒すほかは──


「ッ──なんだ……?」


突然身体に力が入らなくなった。同時に、眼がうっすらと霞んでくる。レイピアをカランと地に落とし、思わず膝をついてしまった。これは……まさかッ!


「毒が、付与されて、いたのか……」


恐らく、先程のナイフだ。右腕を切り裂いた時、同時に毒を僕に……。強かなやつだ。

だけど、本当にまずい。身体が力を込めても言うことを聞かない。奥歯を噛み締めて男の方を睨むと、勝ちを確信したようにゆっくりと僕に歩み寄ってくる。斧を引きずって、悠々と。


どうする?最後の力で最大限の抵抗を図るか?いや、それならば確実に殺せる魔法を──そんな時間はもうない。近距離魔法でできる限りの時間を稼いで──。


頭の中で策を絞り出すが、全く有効な手段が出てこない。既に男は眼の前。膝をついた僕に向かって斧を振り上げる。


「くッ──死針──」

炎燃刃えんしょうじん


魔力を込めた僕の背後から、聞き馴染みのある声が聞こえた。ハッとした時、斧を振り上げた男の胸には炎の刃が燃え刺さっており、肉の焦げる嫌な匂いと血を吐き散らし、その場に仰向けに倒れた。


「ったく、なにやってるんだレイズ。本当に近距離戦はゴミカスだな」

「は、はは。お早い出勤ですね。エルトさん。けど、助かりました」


僕も仰向けに寝転ぶ。

視線の先では、片腕に燃え盛る炎を纏わせた赤髪の青年──先輩のエルトさんが、呆れた眼でため息を吐いていた。

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