第9話 郊外の変化

極力、殿下にお会いしないように行動しよう。

彼女の名前が記憶から消えた僕が取った行動は、それだった。


具体的に挙げると、休憩時間・昼食時も中庭には行かない。早朝の仕事から執務室に戻る時は極力早足で。王宮内を歩かなければならない場合は必ず無属性近距離上級魔法──不可視化を発動し、他人から姿を見られないような状態にする。

などなど様々な事態を想定して行動した。内包魔力は平均よりかなり高いので、魔力切れの心配はほとんどない。あの誓約は問答無用で体内のほぼ全ての魔力を持っていくので、気をつけなければならないのだけれど。


その甲斐もあって、こちらから殿下を見かけることは幾度かあったものの、殿下が僕を見つけることはなくなった。

以前のようにジッと見つめてくることも。その代わり、何だか寂しそうな表情をしていたのだけれど……勘弁してほしい。もしもの時に魔力欠乏障害で戦えなくなっては困るのです。心が痛いけれど……我慢我慢。

僕らは誓約をかけられている限り、王家の方々とは極力近づかないほうがいいのだから。


「……心が痛い」


とはいえ、一方的に無視するというのはなんというか……胸がチクチクする変な感覚になる。あまり心地のいい感覚はしない。今まで人を避けるなんてことしたことなかったんだから当然かもしれない。というか、今更ながら僕は人に冷たくできないタイプの人間なんだなと実感した。


そんなちょっと気落ちしている僕を見て、目の前のミレナさんはくすくすと笑っている。


「フフフ」

「何で笑ってるんですか」

「ごめんなさいね。そこまで気落ちする人は今までにあまり見てこなかったから」


ミレナさんは口元に手を当て、部署の共有スペースの机に置かれた資料を手に取った。


「ほら。この部署の人間って全員個人で卓越した魔法技術を持っているでしょう?実力がある人だからか、血の気の多い子達が多くて。レイズ君みたいに、普段心の優しい子を見るのが珍しくてね」

「なんですか普段って。僕は人を一方的に避けることを嫌う人間ではないだけです。心の冷え切った冷たい性格はしていませんからね」


心が優しいというわけではないけれど、基本的に人から嫌われるような行動は避けるタイプだと思っている。相手が嫌がることはやりたくない。

だけどそう言うと、ミレナさんは微妙な表情を作った。


「なんですか」

「いえ、貴方が心優くて謙虚なのはわかっているわ。けれど私の見解だと、そこにもう一つの特徴が加わると思うの」

「?どんな?」

「それは……いえ、やめとくわ。これは貴方が自分で気がついたほうがいい側面よ。自覚する機会は、かなり限られているでしょうけど」

「は?」


それ以上ミレナさんは答えず、手元の資料を僕に手渡した。それなりに分厚く、右端の角を紐でくくられた資料だ。


「これは?」

「昨日の室長会議の資料よ。レイズ君はわかっていると思うけれど、最近王都郊外の魔獣の数がかなり増加しているわ」

「あぁ、それは思っていましたね」


僕は毎朝王宮別館の屋上から魔獣の超遠距離狙撃をしているため、それは常々感じていた。彷徨う魔獣が多いせいで、掃討作業の時間が長引くので非常に困っていたのだ。申請すれば報酬が増えるのだろうか?ちょっと後で聞いてみよう。仕事が増えて給金は変わらないのは許せない。


「んで、僕にどうしろと?」

「簡単よ。アリナちゃんと一緒に王都郊外を調査してきてほしいの。原因と思わしきものが見つかれば、対策も練れるし」

「いや、そういう魔獣の調査は王国騎士団にやらせるべきなのでは?」

「言ったけど、より力のある者が行くほうがいいだろうって」


憂いを含んだ表情。何か他に嫌なことでも言われたのかもしれない。だけど、僕から言えることは何もない。妙な発言をした連中を見返せるくらいの功績をあげるしかないな。


「でも、僕でいいんですか?近距離戦だと本当に雑魚ですよ?」

「雑魚ってわけではないでしょう?ある程度は近距離でも戦えるのは知っているわ。それと、襲ってきた魔獣の処理はアリナちゃんに任せなさい。事前に察知した魔獣は貴方が処理すればいい」

「わかりました。今日の夜にでも行ってきますね」

「?どうして夜に?」


行くなら昼間だろうとか思っているんだろうなぁ。確かに僕一人ならそうする。けど、同伴者がアリナさんだったら話は別です。


「あの人、昼間は必ず昼寝をするので夜のほうが活発に動いてくれるんです。模擬戦も昼と夜だと明らかに夜のほうが強くなりますからね」

「あぁ、あの子夜型だものね……でも、大丈夫?魔獣は夜の方が活発に行動するから危険なのよ?」

「大丈夫です。夜の方が強いのはこちらも変わりません。視界に入ったものは全部狩り尽くしますよ」

「………そういうところよ」


そう言って、ミレナさんは苦笑を漏らした。

それが一体どういうことなのか、僕にはまだわからない。



「確かに多いね」

「だから調査しているんですよ。予想以上でしたけど」


日が沈みきった頃、僕とアリナさんは王都郊外の森を歩いていた。辺りは鬱蒼とした雰囲気の森。木々が風で揺られ、葉が擦れ合う音が妙に大きく聞こえる。夜の森は何だか昼間と違って一気に不気味さを増す。

辺りを見回して一息つき、僕は目の前に積まれた魔獣の死骸を枝で突いた。


「特に変わった様子はないですね。普段王宮から狙撃するのと変わらないです。操られているとか、そういった感じは特に」

「それでもこの数は異常。まだ森に入ってから一時間も経っていないのに、百体は優に殺してる」

「そうですね。その分魔石はたくさん回収できましたけど」


普段なら、夜に歩いたとしても一時間で十体出てくるかどうか。その十倍の数が今、出現しているのだ。どう考えても普通じゃない。そしてそれをいとも簡単に秒殺するアリナさんも普通じゃない。

彼女が指を鳴らすと、魔獣の山はズブズブとその場の地面に引きずり込まれ、音もなく消えていった。


「相変わらず凄まじい魔法ですね」

「当然。私の占有魔法せんゆうまほう──大地干渉はこの世界でも私しか使えない最強の魔法」


誇らしげに言い、アリナさんは足のつま先で地面を小突く。すると、近くに生えていた大きな大木がバキッという音を森に響かせ、凄まじい速度で朽ち果て崩れ落ちた。


占有魔法──個人が魔法を発動させるための魔法式を独占し、そのものだけが使うことができる唯一無二の魔法だ。それは他の汎用魔法とは異なり、桁違いな効力を持つ魔法が多い。この占有魔法を持つものは大陸全土でも極僅かしかおらず、使い手は大変重宝されるのだ。


「地属性中距離超位魔法──大地干渉。大地そのものに干渉し、地に繋がるものを全て思いのままに操るなんて、反則にも程があります」

「これが占有魔法の力。私以外にこんな魔法が使える人がいたら、困るでしょ?」

「有効射程範囲内に、速攻で降参します」


勝てるわけがない。

ただでさえ僕は近距離での戦いは不向きだというのに、こんな反則じみた魔法の使い手なんてもっと無理だ。綺麗な薔薇には棘があると言うか、アリナさんはキレイなんだけれどお近づきになりたいとは思えない人だ。──っと。


「どうしたの?」

「四百メーラ先に魔獣が五体ですね。アリナさんばかり魔獣を狩っていてずるいので、あれは僕が駆除します」


既に抜刀済みのレイピアを前方に翳す。この距離なら視覚強化を使わずとも命中させることは容易い。僕の周囲に人差し指程度の大きさをした、雷の針が出現、浮遊。


死針雷ししんらい


目で追うことも難しいほどの速度で、狙った魔獣の元へと飛来。命中。五体の魔獣の心臓部──魔石を完全に捉えた。


「仕留めました。もう辺りに魔獣は確認できないので、先に進みましょう。日付が変わる前には帰宅したいですからね」


促して、先導する。


「……レイズも十分反則だよ。戦いになったら、近づく前にやられそう」


後ろでアリナさんが何かを言っている気がしたけれど、木々の音が煩くてよく聞こえない。けどま、特に聞かなくてもいいことだろう。

レイピアを鞘に納刀し、僕らは暗闇の森を進む。

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