第8話 朝の喪失感

宮廷魔法士というのは通常、王都西部に位置する王立グランティナ魔法学園を卒業し、試験を経て就くことができる職業である。その倍率はとてもつもないほどで、百人に一人が合格できるかどうかというほど。当然救済措置として、落ちた者は王宮務めの役人の試験を受けることができる。働く条件はよく、給料も一般的な平民とは比べものにならないほど。宮廷魔法士はそれよりも更に高いのだけれど。


大多数の宮廷魔法士はこの正規ルートを通って、現職に就いている。が、これだけが道ではない。

宮廷魔法士になるための、所謂、裏ルートというものが存在するのだ。

現職の宮廷魔法士数名の推薦、過去に大きな功績を残した、卓越した魔法技量・及び非常に強力な魔法の行使が可能など、幾つも抜け道が存在する。


僕の場合は3つ目──卓越した魔法技量と強力な魔法の行使が可能なことを今の部署の室長に認められてスカウトされ、宮廷魔法士になった。

ほとんど拉致だったんですけどね。

正規ルートで合格した人には非常に申し訳ないのだけれど、僕は宮廷魔法士試験なんてものは受けていないし、それどころか魔法学園を卒業してすらいない。はっきり言って未だに王宮魔法士をやっていることが信じられないくらいだよ。

数カ月前まで街の外で魔獣を狩って素材を売る仕事をしていたんだから、こんなことになるなんて思ってもいなかった。当時は収入も今の半分くらいだったし。魔法の修行をしてくれた師匠には感謝しかないよ。おかげで妹への仕送りがたくさん送れるようになった。元気にしているのかな?


そんな運に味方された僕が配属されることになった部署はかなり特殊な所で、人数は少なくメンバーは全員卓越した魔法士だということ。

そして、僕と同様に宮廷魔法士になった際、だということ。

その魔法処理が一体どういうことなのか、最初はわからなかったのだけれど、今、その効果がよく理解できる。


「………」


窓から差し込む陽の光を感じて、僕はゆっくりと瞼を持ち上げて身体を起こした。見慣れた天井。昨日は殿と別れた後、すぐに王宮近くの下宿に帰ったのだ。


とにかく、朝の目覚めは最悪だった。

身体は何だか怠いし、視界がずっとぼやけたまま。吐き気もするし、魔力処理がされた痣が残る首筋が火傷でもしたかのように熱くて痛い。

それでいて、何か心に孔が開いたかのような強烈な喪失感を感じた。何処か悲しくて、とても気分が重い。


「……魔力欠乏、かな」


体内の魔力量が著しく低下した時に起きる症状──魔力欠乏障害、または欠乏症。その状態とよく似た症状だった。命に関わることはないけれど、魔法を武器として戦う魔法士にとって、重大な病気と呼べるものだ。

重い身体を持ち上げてベッドから下り、寝室を出て洗面室へと向かう。桶に水を溜めてパシャパシャと顔を洗い、だんだんとクリアになった視界で正面の鏡を見やった。

酷く疲れた顔。普段白い僕の肌は、より一層白みを増している。目元には大きな隈。しっかり寝たはずなのに、まるで3日連続で徹夜をしたような顔つきだ。


「……仕事、行くか」


僕は壁に掛けられていたタオルで顔を拭き、魔法士の服へと着替える。

首筋に描かれた紋様のような痣は、微かに光を発し続け、消えた。



「そうか。レイズは初めて経験するんだったか」


執務室に入り、向かいのソファに座っているアリナさんとエルトさんが僕の出したお茶を啜りながら、哀れんだ視線で射抜いてくる。


「あれはキツい」

「だよな。なんつーか、心が痛くなるような感じだ。俺も最初に経験した時は死にたくなったぜ」

「いやなんで普通に話し進めてるんですか?」


とりあえず一旦話を区切る。ナチュラルに進めようとしてもそうはいきません。


「お二人ともなんでさらっと僕の執務室でお茶してるんですか。いや出した僕も僕ですけど。仕事まだ終わってないでしょう?」

「馬鹿野郎。仕事なんて今やる必要はない。なぜなら面倒くさいことはしなくていいという俺の中のルールに基づいているからだ」

「やる気ないだけでしょうが……。アリナさんは?」

「レイズが終わらせてくれるでしょ?」

「やるわけないでしょ……自分のことは自分で片付けてくれ……」


ため息しかでない。一応二人とも僕より年上のはずなんだけど……。


「まぁ、それはいいです」

「やってくれるの?」

「やりません!それより、何で僕の執務室に来てるのかって話ですよ」

「おいおい。先輩たちが心配して来てやってるっていうのに、その言い草はないだろ」


意地悪そうな笑顔を作りながら、エルトさんがくっくっ笑った。なんだろうか、とても気持ち悪い。


「なんですか?心配って」

「惚けんなよ。いつもよりもテンションが低い、どこか心に孔が空いたように気落ちした表情、その隈に時折焦点が合わなくなっている目。どう考えても魔力欠乏症だ。そして、そんな状態になるまで魔力を消費する戦いは起きていない。つまり、強制的な記憶の浄化が行われたと考えるのが自然だ」

「……なんで、こういう日に限って鋭いんですか」


頬づえをついてため息を吐く。いつも不真面目で先輩らしからぬエルトさんらしくない。

とはいえ、見透かされているのなら仕方ない。別段隠す必要なんてこともないし。寧ろ話し相手がいるだけ気持ちが楽になる。


「確か、誓約ギアスでしたっけ?特定の条件を満たすと発現する」

「うん。私達にかけられている誓約は、【王族の名は記憶しない】。王族の名を知ったら、睡眠中に自分の魔力を使って強制的に記憶を消去してしまうという魔法」

「なんでこんなもの、あるんですかね」

「レイズは知らないのか?」

「知りませんね」


エルトさんが咳払いを一つして、話し始める。


「太古の戦争時、王国には一人の強大な力を持った魔法士がいたそうだ。彼は自ら前線で戦い、数多くの武勲を上げて猛進し、勝利に大きく貢献した。だが、帰還した彼は当時の王に無実の罪で捕らえられ、火炙りの刑に処されたそうだ。その時、王の名前を呪うように叫んで息絶えた」

「まぁ、お伽噺でよくありそうな悲劇的な結末ですね」

「話はここからだ。魔法士が死んだあと、その王は七日七晩狂い悶え、最後は狂乱して首に短剣を突き刺して自害したらしい」

「その伝承が元で、僕らにはこうした誓約がかけられているってことですか……」

「正確には、強大な魔法力を持つ者が王都に足を踏み入れた場合、強制的に誓約が施される」


お茶を飲んで、心を落ち着かせる。


「何だか、人間として扱われてないですね。僕ら」

「そりゃそうだろ。上層部は俺達のことを人間としても、魔法士としても見ていない。俺たちは皆、兵器だと思われてんだよ」

「……」


僕は脱力して体重をソファに預ける。

現に今、昨日は知っていたはずの王女殿下の名前が思い出せない。彼女はこのことを知っているのだろうか?知っているのにも関わらず、僕に名前で呼んでほしいと言ったのか?だとしたら酷い人だ。そんな嫌がらせをしてくるなんて……。


何だか、宮廷魔法士になって舞い上がっていた自分を殴りつけたい気分だ。

確かに待遇は悪くないし、人間関係も非常に良好だ。その面に関して文句は一切ない。だけど……僕らは兵器なんかじゃない。感情があり、意思があり、自我を持った人間なのだ。

もしかしたら僕は、知らず知らずの内に選択を間違ってしまったのかもしれない。やる気と希望が消え失せていく。あぁ、このまま仕事もせずに、何処かへと逃げてしまいたい気分……。

と、正面に黙って座っていたアリナさんが立ち上がって、僕の隣に腰掛けた。


「アリナさん?」


呼びかけると彼女は返事をせず、代わりに僕の男にしては細い身体を抱き寄せた。顔に柔らかい感触。


「気にすることなんてない。別に、王家の人の名前を知らなくても支障はないから」

「えっと……」

「それと、このことは王族の中でも、王になった者しか知らない事実。王女殿下が知っていることは、多分ない。伝承を知っている側近の貴族も、話してはいけないことになってる」

「し、知ってたんですか」

「情報収集は得意」


僕の頭を撫でながら得意げに言うアリナさんは、何処か自信に満ちあふれている。誇る前に僕を早く開放してほしい。流石に恥ずかしいです。


「おーおー。レイズ君はまだまだ子供ガキですなー」

「遠距離から殺しますよ?てか仕事してください」


話をしていたら、大分気分が良くなった。やっぱり一人で抱え込むより人と一緒にいたほうが気楽でいい。あと、アリナさんはそろそろ離してください。なんで抱きしめる力が強くなって痛たたたたたたッ!骨がッ!


「意外と抱き心地いい」


抱き心地じゃなくて技が極めやすいでしょうがッ!あ、まってそろそろ死ぬ……。



なんとかギリギリのところで生き延び、僕が開放されたのはそれから十分後のことだった。

人に抱きしめられるのが少しだけ怖くなりました。

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