第7話 姫様はご機嫌斜めです。
「なぁ、気づいてるよな?」
オーギュスト公爵令嬢と出会って数日後の昼休み。いつものようにエルトさんと中庭のベンチに並んでサンドイッチを食べていると、どこか青ざめた様子で彼は僕に呼びかけた。
マロンケーキを皆で食べているときとはまるで違う、食事中に猫を発見したネズミのような表情をしている。
あ、ケーキはとっても美味しかった。僕はベリーだったけど、エルトさんにマロンケーキを少し分けてもらえたので食べることができました。
アリナさんは絶対に分けてあげないと言っていたのは、とても記憶に残っている。
「さすがに、見えてますよ」
視線をできるだけそちらに向けないようにしながら、エルトさんの問に答える。
もしかしたら、僕も肌が青白くなってるかもしれない。妙に寒気がする。横に置いてあった愛剣を手に取ると、少しだけ落ち着く。動悸が正常になっていくようだ。
その状態で、エルトさんに向き直った。
「彼女……なんでこっち見てるんですか」
「いや、どう考えても原因はお前だろ。俺を見るはずがない」
「いやいやわかりませんよ。もしかしたらエルトさんの大ファンで、一度お目にかかりたいと思っていたのかもしれません」
「んなわけないだろ。既に何度も見かけてるし、話しかけられたこともなかった。というか──」
チラッと庭の隅に植えられた木へと視線を向け、戦々恐々とした口調で言った。
「姫様、めっちゃこっち睨んでんじゃん」
つられて僕もそちらへ視線を向ける。
そこには銀の髪を垂らした一人の見知った少女がこちらをジッと見つめていた。
いやまぁ、少女というか、王女殿下なのですがね。しかも、見つめていると言うよりかはこちらを睨んでるようで……あ、目が合った。と同時に頬を膨らませた。凄く可愛い。
「なぁ、お前なんかしたんじゃないのか?怒らせるようなこと」
「覚えがないです。というか、接点もほとんどないですし……。夜に一度話したくらいで」
「じゃあ怒らせたとしたら完全にその日じゃねぇか。早いとこ謝罪してこいよ。んで腹を斬れ」
「嫌です。何を謝罪すればいいのかわからないので謝りようがないんですよ!というか、まだ僕に怒ってるって決まったわけじゃ……」
そこで言葉を区切る。
殿下の方を見ると、なにやら紙のようなものを持っている。それに何かをさらさらと書き記し、丁寧に追って僕の方へと投げてきた。
若干の魔力を感じることから、微風を起こす魔法を付与しているな。
放物線を描いて飛んできたそれをそっと掴んだ。
「なんだ?」
「えっと、王女殿下からのお便り?ですね。なんて書いて──」
疑問に思いながら開いて、僕は固まった。同じくエルトさんも身体を硬直させ、ギギギっとぎこちなく僕の方へと顔を向けた。
『日付が変わる時間に、ここに来てください』
王女殿下へ視線を向けると、満面の笑み。
何、僕なにされるの?本当に怖い。
「今まで、楽しかったぜ」
ポンっと僕の肩に手を置いて拝むエルトさん。
待って、僕はまだ死んでないし、当分死ぬつもりもない。だからもう死んだみたいに扱うのはやめてくださいッ!
今日の昼休み、仕事より疲れたような気がする……。
◇
そして時は流れて深夜。
月が最も高い位置にまで上った日付が変わる時刻。僕は戦々恐々とした気持ちで中庭の噴水の前に来ていた。
一体何を言われるのか。どんな用事があるのか。
怖すぎて昼間の仕事には全く集中できなかった。
いや、本当に心当たりがない。殿下と話したのはあの夜だけだし、それ以外で失礼を働いたなんてことはないはずだ。 他で殿下の話をしたこともないし。……本当になんであんなに不機嫌そうなんだろうか?
「お待たせ、しました」
月を見上げていると、前ぶりもなく声を掛けられそちらを向く。当然、いたのは王女殿下だ。以前とは違い、外出用の大きなカーディガンを羽織っている。
なんかもう、話す前から不機嫌ですって感じが伝わってくる。
「ごめんなさい。こんな夜遅くに」
「い、いえ」
ベンチの方へ移動し、並んで腰をおろす。
そのまま、互いに何も喋らない静寂の時間が訪れた。殿下がどうして喋らないのかは、ちょっと予想できない。僕の方は簡単に、何を喋ればいいのかわからないから。不機嫌な女性と相対すること自体少ないのに、殿下とくれば不機嫌なことを全面に押し出しつつ何も口にしない。やばい、怖い。
どうすればいいのか……繊細だという女性心を理解するのは僕にはまだできないです。
「昨日」
不意に殿下が口を開いた。耳を傾ける。
「……昨日、レナから手紙が届きました」
「レナ……?」
「はい。オーギュスト公爵家の長女です」
「……あぁ」
一瞬誰か忘れていたけれど、思い出した。先日マロンケーキを取られそうになって泣きそうな顔をんしていた彼女だ。かなり印象的な出会いをしたから覚えている。あのときの表情は今でも思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。
しかし、出したその日に手紙が届くとは……貴族の郵便物は皆そうなのだろうか?
「その手紙に、レイズ様と会ったことが書かれていて……なんだか嬉しそうに」
「えぇ、はい。レナ様とは先日お会いしましたよ。喫茶店で、お茶をご一緒させていただきました」
「レナ……そう、ですか……」
え、なに?殿下の顔が更に不機嫌そうになったんだけど。
「楽しかったんですか?」
「え?いや、楽しかったというより、驚きのほうが強かったですけど……まぁ、それなりに」
「……(ぶっすー)」
「あの……何か失礼なことでも?」
話を進めるごとに悪くなる殿下の機嫌。このままではまずい。本当に僕の首が飛んでいくことになりかねない。何とかしなくては……。でもどうすればいいのかわからない。
「あー……レナ様とお会いしたのが、よろしくなかっ……た?」
「別にそういうわけではありません。ただ、その……」
「……?」
言い出しづらそうに人差し指を合わせてもじもじとする殿下。首を傾げていると、口を開いて、微かに聞き取れる程度の小さな声で言った。
「リシェナ」
「え?」
「その……私も、名前で、呼んでほしい、です」
「──」
頬を赤らめて恥ずかしそうに言う殿下に、少しだけ見惚れてしまった。
それは置いておいて、名前で呼ぶ……名前か……。それはなんとも、無理難題を言われることだ。
「あー……その、それはかなり恐れ多いと言いますか」
「駄目、なのですか?」
「いや、駄目といいますか、なんといいますか……」
「……」
無言の圧力。これはもう不可抗力だよね?どう足掻いても名前を呼ぶまで帰してくれないでしょ。僕の腕まで抱え込んでるし。顔を真っ赤にするくらいならやらなくてもいいんですけど……。女の子の柔らかな感触が……。
あぁもうッ!仕方ない、覚悟を決めようッ!
「えっと……離していただけますか?リシェナ様」
「も、もう一度」
「リシェナ様」
「最後にもう一度」
「リシェナ様」
なんだこれ。名前を呼ぶだけでこんなにも緊張するものなの?うちの女性陣の名前を呼ぶ時は全然緊張しないのに……。
と、殿下──おっと、リシェナ様は恥ずかしさと嬉しさが入り混じったような表情で立ち上がり、僕に笑みを浮かべて一礼した。
「も、もうこんな時間なので、私は部屋に戻りますね。ご、ごめんなさい。無理に呼び出してしまって……」
「構いませんよ。リシェナ様も、今夜は冷えますから、温かくしてお休みください──っと、失礼」
「ふぇ?」
僕はリシェナ様に近づき、手を伸ばして艷やかな銀糸の髪に触れた。彼女の身体が強張ったように震えるけど、大丈夫。変なことはしてません。
「葉っぱがついていましたよ。木から落ちたものでしょうね。申し訳ありません、不意に距離を詰めたりしてしまって」
「い、いえ……」
ぽーっとどこかを見つめている。が、すぐに我に返って「失礼しますッ!」と叫んで宮殿の方へと走り去ってしまった。
後ろ姿を見届けて、僕はため息を漏らす。
「リシェナ様……か」
呟いて、僕も自室に戻ろうと足を踏み出す。
はぁ、明日の朝が憂鬱だ。
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