第5話 おつかい(強制)

朝の仕事を終えて、僕は漏れ出た欠伸を噛み殺しながら自分の執務室に置かれたソファに転がっていた。ふかふかで上等な白いソファは寝心地が良くて、ついつい仕事のことを忘れて居眠りをしてしまう。別に少しくらい居眠りしていても仕事に支障はでないから全然いいんだけど。なんなら丸一日寝転がっていてもいいくらいだ。今日の分はすでに昨日終わらせてしまったし。


そのまま天井を見上げていると、すぐに強烈な睡魔が襲来してきた。

こんな時に眠れるのは、毎朝早くに起き、大変な仕事を終えた僕に許された特権だ。

他の人が出勤してくる時間に、こうして惰眠を貪れる。寝起きは気分悪いけど、この瞬間においては早起きして良かったと思える。


このまま数十秒も経過すれば、僕は夢の世界へと旅立っていくことだろう。とても気持ちのいい、人生において一番の快楽とも言える旅に。身体がふわふわしてきて、とてもいい気分。

あぁ、色々考えているうちに、だんだん意識が……消えかけて……。


「──レイズ」


消えかけていた意識が一気に覚醒。

僕は不機嫌なことを隠すことなく舌打ちし、大きな音を立てて開かれた扉を注視。

誰だ、一体。僕の貴重な朝の睡眠時間を妨害する不届き者は。あとちょっとで眠れそうだったのに……。

ついつい扉を開けた不届き者の脳天に雷の槍を突き刺してやりたい衝動に駆られるも、我慢。本当にはしないけど。

頭をガリガリと引っ掻いて、起き上がる。

扉の前にいたのは、光を反射する金色の髪をサイドテールに纏めた女性。サイドに一房だけ染められた緑色の髪を揺らし、同色の瞳を僕の方へと向け、荒くなった息を整えるように深呼吸を繰り返している。

彼女は──。


「アリナさん……」


勝手に降りてくる瞼を擦りながら名前を呼んでため息を吐く。


彼女は僕の所属する部署の先輩である、アリナさん。

いつも眠そうで、何かと僕を子供扱いして色々とやらせる、悪い先輩の代表格と言っても過言ではない人だ。怒るとすごく怖いと言われているけれど、本当のところはどうなのか知らない。見たことないから。

ちなみに人を甘やかす時はとことん甘やかす性格でもある。


今朝の不届き者となったアリナさんに、面倒くさいと隠す気のない視線を向けた。


「……なんですかいきなり。僕は早朝の掃除が終わって寝ようとしていたところなんですけど」

「それは申し訳ない。けど、眠っている暇はない」

「?どういうことですか?」


眠りかけた頭では、いまいち状況が理解できていない。

アリナさんがここまで焦ってるってなると、よほど大変なことが起きたんだろうけど……。まさか──ッ!


「危険な魔獣が出現──」

「王都の喫茶店チェリーに新作のケーキが発売される!しかも数量限定でッ!」


思わずソファから滑り落ちるところだった。


「は?な、なんですか?ちぇりー?ケーキ?チェリーケーキが食べたいってことですか?」

「違う。喫茶チェリーで今日から発売される新作のマロンケーキが食べたい!」


普段眠そうにしている彼女からは考えられないほどの剣幕でまくし立てられ、唖然としてしまった。

なに?たかだかケーキがどうしてここまでアリナさんを駆り立てるの?そんなに新作ケーキが凄いの?ていうか、それだけのために僕を叩き起こしたの??なんて時間の無駄で傍迷惑な……。

こんがらがっている頭をまとめようと必死になっていると、急にアリナさんが僕に近づき両手で首を掴んできた。


「ぐ……」

「命令。今すぐ、買いに行ってくれない?」

「命令なら、拒否権……ないじゃ、ないですか。というか、掴むなら首じゃなくて……肩」

「ごめん」


僕が掠れた声で言うと、アリナさんはすぐに手を首から離してくれた。本当に死ぬかと思った……。もう正直この場から逃げ出したい。だけど、この人から逃げられたことなんて今まで一度もない。


「それで……僕にどうしてほしいんですか?」

「買ってきて」

「それくらい自分で行けば……」

「今日は孤児院の方に出向く用事があるから、行くことができない。なら、代わりの人に頼むしかない。仕事を早々に終わらせていて、私よりも年下で、且つ扱いやすそうな人に」

「うちの部署でなんで孤児院に行く用事があるんですか。しかも、完全に僕じゃないですかぁ……」


ジト目で見つめるが、何も言ってくれない。

この人にとっては、僕なんて専属執事も同然の存在なのかもしれないな。

というか、部署の後輩と言うだけでよくここまでこき使うことができるな。逆に尊敬するよ。

だけどまぁ、そのくらいならいいかな。おつかいだと思えばそれでいいし、僕の今日の仕事は終わってる。時間もあるので、ついでに王都を散策するのもありかもね。眠いのは、致し方ない。


「まぁ、それくらいならいいですよ。マロンケーキでしたっけ?」

「そう。5つ買ってきて」

「そんなに食べるんですか?」


細い身体のどこにケーキが5つも入るのだろうか?僕なんてケーキ一つ食べればお腹いっぱいになるくらいなんだけど。

と、アリナさんは首を横に振った。


「みんなで5つ」

「……アリナさん」


ついつい頬が緩んでしまう。

普段は眠そうで僕に対して傍若無人に振る舞っているけれど、根は仲間思いで優しいんだよなぁ。

部署の皆でお茶っていうのも悪くない。よし、店が開く時間には間に合うように、急いで買ってこよう。


「おつかい、承りました」

「ん。はいこれお金」


手渡されたお金を受け取り、自分の財布の中にしまう。結構な金額だけど、もしかしてそれなりに値段の高いものなのかな?まぁ、買えるならいくらだろうと構わない。僕のお金じゃないしねッ!


「ちなみに、断ってたら自分で買いに行ってました?」

「行かない」

「?じゃあどうするんですか?」

「レイズが買いに行くって言うまで、痛い目を見てもらう」


真顔でそんなことを言い放った。

前言撤回。

この人、僕に対しては全然優しくないし、意地悪することを楽しんでます。

酷い。

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