第3話 王女とお話

「えっと……王女殿下?」


至近距離で彼女の美しい顔を見つめながら、僕は小声で呼びかける。

気を抜けば額が触れ合ってしまいそうな程の距離なので、あまり大きな声で呼びかけるとびっくりしてしまうかもしれないし、何より威圧的に感じてしまうかもしれない。女性レディと接する時は紳士に。亡くなった祖父から教わったことだった。

だけれど、目の前の王女殿下レディは激しく動揺し、手をワナワナと震わせて顔を真っ赤に染めていた。可愛い。


「あ、あの……その……」

「お、落ち着いてください。僕は怖いことなんて何もしませんから!」


落ち着かせ方が違うんじゃないかと一瞬思ったけれど、許してほしい。部署にいる女性陣は皆凶暴……いや、頼りがいのある方々ばかりなのだ。こうしたか弱い守ってあげたくなるような女の子と接するのはほぼ初めてに等しい。流石に妹のように扱うわけにはいかないし……。

一向に落ち着きを見せない殿下。顔を真っ赤にして慌てふためく姿はとても可愛らしい。

だけど、このまま放置しておくのもよくないし……仕方ない。


「殿下」

「ひゃいッ!」


僕は王女殿下の右手を両手で包み込み、くいっと引いて顔をほんの少しだけ近づけた。ただでさえ近かった距離を、さらに詰めて。


「一旦、深呼吸をしましょう?ほら、吸ってー、吐いてー」

「へ?」


困惑しながらも、僕の紡ぐリズムに合わせてすーはーっと深呼吸を繰り返していく。上気していた頬の赤みも引いていき、正常な呼吸リズムへと戻った。うん、これなら会話もできるだろう。


「お、お見苦しいところをお見せしました……」

「いえいえ。とても可愛らしかったですよ」

「か、可愛いって……」


再び頬を染める。

せっかく落ち着きを取り戻したのに、また錯乱させてしまう。

コホンっと咳払いを一つして、彼女と視線を合わせる。


「殿下は、どうして寒空の下に?宮殿内の私室のほうが暖かく過ごしやすいと思いますが」

「す、少し外の空気を吸いたくて……。そしたら、その……レイズ様がいらして」

「あれ?僕の名前をご存知で?」

「は、はい!王宮内では有名ですよ?史上最年少で宮廷魔法士になった天才だって」


興奮したように話す殿下を見て、僕の口元も緩む。まさか王族の方々にも認知していただいていたなんて……なんだか照れる。

いや、王宮内で有名というのは……正直どうなんだ?部署的に。


「天才だなんて……僕は昔から魔法を使ってきただけです。宮廷魔法士になったのも、偶然です。僕自身は凡人ですよ」

「凡人だなんてそんな……魔法の扱いでは右に出るものはいないとも聞いていますよ?」

「言い過ぎですよ。僕より魔法が上手な人なんて、この世界に何千人もいると思いますよ」

「それでも、宮廷魔法士になれるくらいは扱えるんですよね?」

「扱えなかったら、僕は今ここにはいませんからね」


話しながら、僕は殿下の緊張が大分解れていることを確認する。もう普通に話せるようにはなったようだ。笑顔で僕と向かい合っているし。

それにしても、なんていうか殿下は結構な薄着をしている。この寒空の下、水色をしたネグリジェと、上に羽織ったコートを一枚だけ。これでは風邪を引いてしまうかもしれない。


「寒くはありませんか?殿下。今夜はかなり冷え込んでいるはずですが」

「ふふ、大丈夫ですよ?実はこのネグリジェ、生地が薄い代わりに寒さを軽減する魔法が──」


と、そこで殿下はハッと何かに気がついたかのように硬直した。そしてみるみる顔を赤く染めていき、開いていたコートの前をバッと閉じた。

なんだか、よく赤面する王女様だなぁ。


「わわわわわ私ったら……こんな薄着で殿方の前に……ッ!」


俯いてモゴモゴと口を動かしている姿から察するに、どうやら寝間着で僕と向かい合っているのがかなり恥ずかしいようだ。

まぁ、王女殿下の就寝するときの服装なんか滅多に見ないだろうし、そもそも人の寝間着なんて見る機会はかなり少ない。

僕なんてワイシャツを着たまま寝ることがほとんどだ。寝間着なんて正直どれでもいい。何なら全裸でも眠れる自信がある。やらないけれど。

服装なんてほとんど気にしない僕と違って王女殿下──いや、女性たちは皆、就寝の際の服装にもかなり気を使っているらしい。


「大丈夫ですよ。とても可愛らしいですから」

「そ、そういう問題では……はぅぅ」


恥ずかしそうにする姿も非常に可愛らしいです。王宮内でもその美しさが話題になっているけど、間近で見ると本当に綺麗だ。

銀の髪からはいい匂いがするし、近くにいるとドキドキしてしまう。女性に対する免疫があまりないからだと思うけど。

ふと空を見上げると、月が真上の位置にまで上っていることに気がついた。


「さ、殿下は私室にお戻りになってください。夜ふかしは美容に悪いですよ?」

「あ、もうこんな時間」


いそいそと立ち上がり、僕と殿下は宮殿内に通じる扉へと歩いていく。すぐに分かれることになるんだけどね。僕は執務室の自室に向かい、殿下は宮殿の本館に向かう。明日も仕事があるし、早く寝ないと。


「では、王女殿下。私はこれでいたします」

「は、はい。その……」


頬を引っかきながら、殿下は僕から視線を外して言う。


「また、お話しましょうね?」

「えぇ。ぜひ」


朗らかな笑顔でそう返し、僕は彼女に背を向けて歩き出す。来るときよりも軽くなった足取りで。


この夜、僕は王女殿下と初めてお話できたのでした。

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