第2話 寒空の下で散歩
王女殿下と秘密の謁見を終えた翌日の夜。
窓から見える空は既に真っ暗になっており、その中を無数の星たちが瞬いていた。
「……」
僕は執務室のソファに寝そべりながら、美しい夜空を眺めていた。机の上にお茶菓子を用意し、身体の上には毛布をかけている。もはや仕事部屋とは思えない。
しかし、僕はこの部屋に頻繁に泊まっていく──自宅より居心地いい──ので、こうした物資は必需品なのだ。
え?仕事?そんなのとっくに明日の分まで終わらせましたよ。もうやることがないから暇なのです。
「どう、しようかな……」
本格的に暇だ。
仕事がないとどうしてこうもやることが見つからなくなるのだろうか?執務室の中に持ち込んだ本も全て読み終えてしまったし、他の人の手伝いに行こうものならミレナさんに拳骨を頂戴する羽目になるだろうし……はぁ。仕事ができすぎるのもよくないものだな、なんて。
そんなことを言っていても暇が解消されるわけではない。別に眠くもないし、お腹も空いていない。となれば……
「……散歩に行くしかないかな」
究極の暇つぶし&身体を動かすから眠気も誘発する最強の行動へと移るのだった。
壁に掛けていたローブを纏い、腰元にレイピアを差して、執務室を出ていく。
すると、丁度仕事を終えたのであろうミレナさんと遭遇した。
「あら、散歩?」
「はい。やることがもうないので」
「それなら明日の仕事を前倒しでやれば……」
「終わりました」
「……もう何も言わないわよ」
がっくりと首を折ったミレナさんは、欠伸を一つ噛み殺しながら部屋を後にした。恐らく、休憩スペースへと赴くのだろう。
その後ろ姿を見届け、僕は王宮の通路を歩いていく。窓から入る満月の月明かりがとても明るく、蝋燭の灯以上に暗い通路を照らしている。
ローブの襟元を寄せながらはぁっと息を吐くと、それは白く染まって消えていく。
暦の上では春の始まりだというが、この時期はまだまだ空気が冷たい。というか普通に寒い。手先が冷え性のため、寒空の下に置かれた金属のように冷たくなっている。どうして手袋を買って置かなかったんだ僕は……。
「温かい紅茶だけは持ってきてよかったかな」
懐から水筒──保温魔法をかけた特性のもの──を取り出して口をつける。歩きながらで申し訳ないですが、寒いので勘弁してください。
喉元を通り、温かい感覚がお腹の部分でぽわわんっと広がっていくのがわかる。この感じがなんとも、気持ちいいのです。
さてさて、僕が一体どこに向かっているかと言うと、基本的にこの王宮の中では行く場所は限られている。色んな本が置いてある書庫、宮廷勤めの魔法士が食事を取るために利用する食堂。どちらも時間的に開いていないし、そもそも用事がない。従って、行くところは一つになってくるわけで──。
「庭園に、来ちゃうんだよなぁ」
散歩に行くと言ったらここしかない。金木犀の香りが微かに感じられ、それ以外にも様々な花が月下に咲き誇っている。噴水も同様に月明かりに照らされ、白い光を反射して輝いている。噴水に流れる水の音が心地よく、花の香りが鼻腔を楽しませる。
暇を持て余したときの散歩で来るところは、ここだった。昼食も、小休憩も、夜の散歩もここに来る。ある意味、僕はここを非常に気に入っているのかもしれない。いや、気に入ってるか。居心地凄くいいし、そもそも王宮内はあまり無闇やたらに歩いていい場所じゃない。
僕はやっぱり、都会の人が溢れたにぎやかな街より、自然に囲まれた人の少ない田舎の方が好きなのだ。人がたくさんいるところは苦手。
ベンチに腰を掛け、流れる噴水の水をぼーっと眺める。
透明な水が月明かりを浴びて白く光煌めいている。
こうしていると、時間が流れるのを忘れられるのだ。暇つぶしにはもってこい。難点はやっぱり外が寒いことかな。温かい飲み物がないとずっといられない。魔法で周囲の温度を一定に保つことはできるけれど、ずっとそうしていると魔法が使えない状況でこんな環境になったとき、真っ先に死んでしまう可能性がある。普段はできる限り魔法に頼らず、自力で過ごす。村にいたころ、師匠に言われた、あまり魔法に頼りすぎるなという言葉をきちんと守っているわけである。
幸いローブを羽織っているから耐えられるし。
しかし、こうしてジッと水の音を聞きながらぼーっとしていると、非常に眠気が誘発される。本来の目的の一つは、これで達成できたのかな?何だかこのまま眠ってしまいそうな感じだけど……。
「耐えろ僕……ここで、眠ったら……死んで、しまうぞ」
言葉とは裏腹に、瞼はだんだんと閉じてくる。視界が半分くらいになって、水の音も遠くなっていく。誰もいない寒空の下で、夜の庭園のベンチに座りながら眠りこける。……うん、悪くないかも。このまま眠ってしまおう。気がついたら朝、なんてことは多分ない。夜は深くなるにつれて気温も下がるし、途中で寒さで起きるだろう。
そんな確信を胸に、僕は眠りの中へと飛び込んだ。
◇
「……に………い」
どれくらい時間が経過しただろうか?僕はすぐ側で微かに聞こえる声に目を覚ました。何だかつい最近聞いたような、鈴の音のように透き通る綺麗な声。
うっすらと目を開けると、霞んだ視界。同時に、身体が忘れていた寒気を思い出したかのように身震いする。寒空で寝るとこうなるか……気をつけよう。
段々とクリアになってきた視界で、声の聞こえた方向を見る。
と、そこには自分の想定しなかった人物が。
「……王女殿下?」
「──はっ!」
月下に照らされた美貌の王女殿下が、僕の耳元に顔を近づけたまま、驚いた声を上げた。
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