一部
第1話 逃走されました……なぜ
既に日も暮れ、地平線の彼方に月が顔を見せた頃。
「レイズ君、夕方の会議で使う資料はどれくらいまで完成してる?」
僕が執務室で膨大な資料とにらめっこしていると、扉がノックなしに開かれた。
扉の前にいたのは、毛先に近づくに連れて橙色になる長い赤髪と端正な顔立ちをした女性。真紅の瞳はまるで紅玉のようであり、正に仕事のできる女性といった風貌だ。視力が悪いとは聞いていないが、いつも黒縁のメガネを着用している。
そんな彼女に呆れつつ、返事を返す。
「ミレナさん……ちゃんとノックくらいしてもらえませんか?」
「あら?してなかったかしら?ごめんなさい。次からは気をつけるわ」
淡々と、何とも思っていないように言う。
全く悪びれた様子はない。
次から気をつけるって言葉、もう何回聞いたのかわからない……。この人はいつもそうだ。何回言っても全く直そうとしないし、そもそも直す気がさらさらない。まぁ、もう慣れたんですけどね。
「それで、資料は?」
「もうできてますよ。あ、文字だけだとわかりにくそうだったのでグラフも掲載しておきました」
「ありがと。仕事ができる男の子は好きよ」
「はいはい」
資料を手渡し、軽く伸びをしながら換気のために開け放った窓を見る。
体毛の白い小鳥がこちら側に入り込み、窓枠にちょこんと居座っていた。
ちょいちょいっと手招きをすると、小鳥はぴよぴよと鳴きながら僕の手の上へとやってきた。可愛い。
指先で小突いたりして遊んでいると、不意にミレナさんが資料を丸めて頭をポスっと軽く叩いた。
「いつも通り資料は完璧よ。いい仕事ぶりだわ」
「ありがとうございます」
「仕事にはもう慣れた?本業ではないとはいえ、うちの部署は普段他の部署との会議に使う資料を作る、みたいな雑務が多いから」
「職場はいいところですし、仕事の内容も簡単ですからね。弄りがひどいとは思いますが、みんないい人ですし」
「それは何より。流石、史上最年少で宮廷魔法士になった天才ね」
「その言い方はやめてくださいよ。そもそも、何も知らない状態でいきなりなったんですからね。その元凶の人が何を言ってるんですか」
「はいはい。悪いとは思ってないけど、怒らないの」
「子供扱いしないでくださいよ」
「子供じゃない」
「いや、確かにそうですけど」
僕は今年で16になるまだまだ大人とは言えない年齢だ。成人扱いされるのは、18から。子供扱いされるのも仕方ないのかもしれない。だけど、あからさまにそういう扱いをするのはやめてほしい。僕だって子供とは言え、宮廷魔法士なのだ。もう少し大人の扱いをしてくれてもいいではないか。
この部署、他の人はみんな成人しているから、僕への子供扱いが目立つのだ。
むくれていると、ミレナさんがクスクス笑いながら僕に聞いた。
「不服そうな顔をしないの。それより、エルト君を知らないかしら?」
「え、またいないんですか?」
「そうなの。またどこかでサボってるのかと思ってね」
よく一緒に昼食を共にしている、僕の先輩であるエルトさんは、非常に厄介なサボり癖があるのだ。
うちの部署の悩みの種というか、なんというか。いざという時は頼れるのかもしれないけど、普段から真面目に仕事をしてほしい。
「僕らが働いているのに先輩はもう……」
「レイズくんを見習ってほしいところではあるけれど、ちょっと働きすぎじゃない?貴方、昼休み以外休憩取ってないでしょ?」
呆れた口調だ。
いやそりゃ……新参者の自分は休憩なんて取ってる場合じゃないと思っているわけですから。寧ろ、皆が働いているときに自分が休憩しているなんて許せない……というか。
確かに僕は昼休憩以外は仕事をしている。でも、別に苦ではない。
無心で仕事をしている方が捗るのだ。
と言っても、聞いてもらえなかった。
「とにかく、少し休憩をあげるから、どこかで一服でもしてきなさい。あ、だからといって煙草は駄目よ?君はまだ未成年なんだし、なにより私が煙草大嫌いだから」
「僕も煙草は嫌いなんで吸いませんよ。あと、別に休憩なんていらな──」
「室長として命じるわ。ちゃんと休憩をとりなさい」
「……了解しました」
彼女は僕の直属の上司。逆らうことなんてできな……くはないけれど、あまりそういった真似はしないほうが吉だ。
小鳥を頭頂部に乗せ、水筒を手にして執務室を後にする。
◇
僕の所属している部署は人数が少ないためか、大きな一室の中にある個室があり、一人一人に一室の執務室が与えられている。そのため、仕事中は基本的に一人になるのだが……まだ入って数カ月の新人だからか、僕の執務室には比較的頻繁に先輩が出入りし、様子を確認してくる。皆いい人ばかりで、人間関係でストレスを感じることもほとんどない。
勝手に僕のお茶菓子を食べたり茶葉を使ってお茶を淹れるのは控えてほしいと思うけど。
王宮庭園の中央に建てられた噴水の端に腰を下ろし、水筒に入ったアイスティーを一口飲む。入った氷がカランと音を立てる。
凄くいい味だ。温度も管理して淹れた甲斐がある。
頭の上では小鳥がぴよぴよ鳴いているけれど、これは流石にあげられないな。
第一、飲めるの?
「………ん?」
ふと王宮の渡り通路──その柱へと目を向けると、そこには毎日のように姿を見て、しかし一言も会話を交えないお方──この王宮に住まれている、美しき王女殿下の姿が。
銀糸のような美しい髪を揺らめかせ、同色の瞳はどこか悩ましげに伏せられている。
なんだろう。何か、大きな悩みごとでもあるのだろうか。
「話しかけて……みるか?」
命がけ……というわけでもないのだが、何だか無性に緊張する。もし僕の態度が不敬だと受け取られれば、僕は永久にこの世界とおさらばする可能性があるのだ。緊張するのも仕方ない。
だけど、悩んでいる王女様……というよりか、女の子を放っておくことは、心にもやっとしたものを残す。
噴水の端から腰を上げ、足音を極力立てないようゆっくりと王女殿下に近づく。僕が接近しても、彼女は気がついた様子はない。
声が届く距離まで近づいた僕は、深呼吸を一つしてから、意を決して声をかけた。
「どうかなされましたか?」
「へ?」
殿下は目をパチクリさせて、放心した。
その驚いた表情、とても可愛い。実際には言いませんけれど。
口を開けたまま硬直した殿下は、僕が再度呼びかけるとみるみる頬を赤く染めていき、慌てふためいたように手を振った。
「あの、その、な、なんでしょうかッ!」
「し、失礼。何やら悩ましげなお顔をされておりましたので……頬が赤いようですが、お身体が優れないのでは?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
僕が心配して顔を近づけると、殿下は頬を両手で挟んで背中を向けてしまった。
待って、僕は早速何か不快になるようなことをしてしまったのかッ!?だとしたらまずい、本当に僕の今後の人生に関わってくるような大問題だッ!
その場に跪き、心からの謝罪を口にする。体裁なんて構うものかッ!プライドなんてものは関係ない!
「も、申し訳ございません!初対面にも関わらず、このようなご無礼を!」
「あ、え?」
「すぐにこの場を去りますがゆえに、どうかご容赦を……」
今、僕にできる精一杯の謝罪。
これで許してもらえるかわからないけれど、しないよりは断然マシだ。俯いて彼女の言葉を待っていると、何だか慌てふためいた声が。
「な、なな、なんで謝っているのですか!?私は、その……無礼だなんて」
「え、いやしかし」
「しゃ、謝罪なんてする必要はありません!寧ろ、その……」
「え?」
最後の部分はよく聞き取れなかった。思わず聞き返すと、殿下は口をパクパク、顔を真っ赤に染め上げて、
「し、失礼しますッ!」
脱兎の如き勢いで僕の前から走り去ってしまった。歩きにくそうな長いスカートを履いているのにも関わらず、とても速い。普段から走るトレーニングでもしているのだろうか?
「な、なんだったんだ?」
殿下が飛び出していってしまった理由は全くわからないけど……一先ず首を飛ばされることはなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろす。
いや、本当に何で逃げられたんだろうか?
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