第5話 あの時出会ったその人に…

「この辺の人だって言ってたんだけど、結局あれから一度も会えてないのよ。この辺っていっても広いしねぇ。それに、たぶん、高校生とかそれくらいだったろうし、進学とか就職とかでここを出て行っちゃったのかも」

「まぁ……、そうだろうな」


 そんなわけないんだって。ここにいるよ。俺だもん。

 だけど、そんな不思議なことあるはずないんだって。


「そうそう、お兄さんの服は覚えてないんだけど、自分が着てた服はよく覚えてるんだ、ほら、これ」


 と言って、ワンピースの裾をちょい、とつまむ。


「こんな服だったの。だからね、ずっと探してたの、こういう柄。やぁーっと見つけてさぁ」


 ソーダみたいな薄い水色に、炭酸がはじけているような、シャボン玉のような水玉模様。あのピンクのお面の子が着ていたようなやつ。


「で、どうしても、これを着て、ここに来たかったの」


 それは、あの時と同じ服を着たら、もしかしたらもう一度会えるかも、とか、そういうやつなんだろうか。姉ちゃんもそんな少女漫画みたいなことを考えたりしたんだろうか。


「この服着て、ここで、カルピス飲むって、なんか最高にノスタルジックだと思ったの。ま、それだけなんだけどさ」


 あはは、と笑う姉ちゃんは何だか普通の女子だ。姉ちゃんとかじゃなくて。普通にクラスにいそうな、っていうか。いや、違うな、俺のクラスにはこんな感じの女子はいない。図書室とかにいて、そんで、町の図書館にもいる、みたいな。ちょっと雰囲気がしっとりしてる感じの女子。しっとりと密かに恋をしているような、好きだとか何だとか、ぎゃあぎゃあ騒がないというか。


「姉ちゃん、まだそいつのこと気になってたりすんの?」

「へ? 気になってると聞かれると……ううん、どうなんだろ。何か残ってるってだけだし、別にそういう感じじゃないんだけど。でも、まぁ、気にはなるかな。元気でやってるかなー、とか」

「そっか」


 良かった。

 別にいまのところ、恋愛感情は抱いていないようだ。そりゃそうだ。こないだまでエビやくの眼鏡が好きとか言ってたんだから。


 しかし、かといって、どう考えても勝てるわけがない。例えそれが本当に俺だとしても。たぶん思い出の中でかなり美化されてるんだろうし。


「あぁ、でもね、そういえば」

「うん?」


 と、姉ちゃんは、岩からひょいと降りて、俺にカルピスを手渡すと、すぅぅ、と大きく息を吸った。そして――、


「じょ~ねつの、ほのおっ! レッドシャイニー!」


 と決めポーズと共に声を張り上げた。


「は?」

「ちょっと陽もやって? 陽の方が上手でしょ?」

「ま、まぁ、良いけど……。……っじょぉ~ねつのっ、ほのおぉっ! レェェッドシャイニー! ……コレで良いか?」


 本日2回目のレッドシャイニーだ。何だろう、子ども相手にやるのはそうでもないのに、姉ちゃんの前でやるのって結構恥ずかしいな。


「そうそう! これよこれ!!」

「これ?」


 右手をぴんと上げた決めポーズのまま、首を傾げる。


「なぁーんか、恰好良くなったね、陽」

「は?」


 ざぁ、と風が吹いて、姉ちゃんのワンピースの裾を少しめくった。もう少し丈の長いワンピだったら、ハーフパンツなんか履かなかっただろうな。そしたらもしかしていまのでパンツとか……いや、馬鹿かよ、俺は。丈が長かったらそこまでめくれるわけねぇだろ。


「いつの間にか私よりおっきくなって」

「そりゃまぁ、俺、男だし」


 そ、と頭の上に手を乗せられる。


「なぁーんかがっしりしちゃうし」

「そりゃまぁ、男だからさ」


 次は腕だ。せっかくだから、と、ぐっと力を入れると、姉ちゃんは「おぉ、硬くなった」と呟いた。


「あのね、いまの陽、あの人に似てる」

「え?」

「優しくて、おっきくて、面白い、そのお兄さんに似てるって思ったの、雰囲気が」


 だってそれ、俺だし。


 とは言えなかった。

 何言ってるの、って馬鹿にされるだけだと思ったし、それに、何よりも――、


 ちょっと湿った夏の匂いにセミの声。

 照りつける日差しを遮ってくれる大きな木の下で、そのおかげなのか、ちょっとひんやりとしたこの場所で、姉ちゃんが、


 俺に抱き着いている。


「――お? おお?」


 やばいやばいやばい。

 俺ちょっと汗かいてるんだけど!! いや、ちょっとでもないわ。結構かいてるんだけど!

 大丈夫? 臭くない、俺? 大丈夫?


「私は、お姉ちゃんだけど、お姉ちゃんじゃないよ」

「そんなの、知ってるよ」

「最近ね、特にそう思うようになったの」

「そう……なんだ」

「ずっとずっと陽のこと弟だって、家族だって思ってたんだけどね。でも、いつか陽もお婿に行ったりして、私から離れてっちゃうんだなぁって」

「ちょっと待って。俺、婿入りすんの?」


 一応俺、長男なんだけど?! 一人っ子だし!


「何かね、それは嫌だなぁって。陽と離れるの、私、嫌だ」

「俺は離れていかねぇよ。姉ちゃんのこと、好きだし」

「奇遇だね、私も好きだよ」


 ぬか喜びなんかしねぇぞ。

 弟として、ってやつだろ、絶対。


「……あ――、でも、あれだから、俺の『好き』はそういうんじゃねぇから」

「そういうの、って?」

「だから、その、『姉ちゃん』じゃなくてさ。俺は、お隣に住んでる『白瀬しらせ悠月ゆづき』が好き、ってこと」

「だから――」


 と、姉ちゃんが、ぎゅっと腕に力を入れた。だけど全然苦しくない。むしろちょっと気持ち良い。ただただ汗臭くないかが気になるだけで。


「奇遇だね、って」

「え」


 は?


「奇遇だね、陽。私もきっと、お隣に住んでる『青柳あおやぎよう』が好き」

「きっと、かよ」

「きっと、だよ。だって、最近そうかなって気付いたんだもん」

「まぁ、仕方ないか。姉ちゃんだしな」


 そう言うと、姉ちゃんは「うへへ」と笑った。


「陽、ウチに婿入り確定かぁ」

「ちょ、え? いや、俺、長男なんだけど?! ってか、さすがにそこは早くねぇ?」

「どうせ遅かれ早かれそんな話になんのよ。ていうか、もうほとんど家族なんだから。ううん、どっちの名字になるのかは、両家の話し合いになりそうね」


 そんなことを言って、するり、と姉ちゃんが離れる。

 さらに汗をかいたらしく、シャツがぺたりと張り付いていた。そこを風が通って気持ち良い。


「さ、帰ろ。お菓子食べながら」

「あ、俺、ジュース買ってく」

「もう飲んじゃったの? あれ? ていうか、空のボトルは?」

「ああ、それは道中で話すわ。――ほら、行こうぜ」


 と、差し出した手は、一応『弟』としてではなく、『彼氏』のつもりのやつだ。

 それを姉ちゃんがとる。お互いにじっとり汗をかいていて、正直全然爽やかじゃないけど、だけれども、俺達はそれを嫌がるような間柄じゃない。だってそんなことは日常茶飯事だから。


 たぶんしばらくは全然ロマンチックな感じにはならないはずだ。しばらくどころか、この先ずっとかもしれない。

 『姉』と『弟』から脱却するのは容易ではないだろう。

 何せ俺もまだ『悠月』なんて自然に呼べそうにもない。


 だから、これから少しずつ変わっていこう。

 姉と弟から、彼女と彼氏になれるように。


 今年の夏はいつもとは違う夏だ。

 うんと暑くて、最高に熱い夏。

 

 なぁ姉ちゃん、明日は何しようか。


 

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俺の姉ちゃんは、俺の姉ちゃんではない。4 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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