晩夏
8月も下旬に差し掛かる頃、誠報学院の夏休みは幕を閉じ、始業式の日がやってきた。
成は3年A組の教室で、隣に座る柚葉に向かって何でもない風を装って言った。
「社会人で野球を続けることにしたよ」
「本当?」
柚葉の目が輝いた。
「なんてチーム?」
成は企業の名前と簡単な概要を伝えた。成が入社を決めたのは県南に一大拠点を持つ電気機械製造会社で、その野球部は全国大会で優勝したこともある。
柚葉は嬉しそうに頷いた。
「いいところに入れたんだね」
「ありがたい話だな」
「でも大学じゃなくて社会人にしたのは何か理由があるの?」
成は少し考えてから言った。
「野球以外に大学でやりたいことが無かったのと、自分で働いて稼ぐのがいいと思ったからだな。真面目に働いていれば、野球がダメでもそのまま会社でやっていける。少なくとも普通の人生は送れそうだろ」
「確かに」
どこか消極的に聞こえる理由が語られたことを残念に思う気持ちはあったが、柚葉はそれを表に出さなかった。彼がしっかり考えて出した結論なら、それがどんなものであっても応援したかった。
「とりあえず野球は3年間。それまではしっかりやって、ピッチャーとしての成長を目指す」
そう言って少し恥ずかしそうに笑う表情を見た時、柚葉の心が暖かな柔らかさに包まれていった。
高校を卒業してそのまま企業の野球部に入った選手は、3年が経つとドラフト会議でプロ野球チームからの指名が解禁される。成はその時まで腕を磨き、プロ野球選手を目指すつもりなのだ。
柚葉はそのことに気づいていない振りをした。溢れる期待をあえて抑え、優しく微笑む。
「応援してる」
成は力強く頷いた。
心から杏月のために頑張れるほど優しい人間ではなかった。かつて姉が言っていたことを信じるならタフになれていないのだろう。これからはそうなれるように願いながら、かつて諦めた夢の舞台へ向かって歩んでいく。ゆっくりかもしれないが、着実に前に進んでいく。
まだ夏は終わらない。そのことを主張するように、窓から晩夏の日差しが差し込んでいた。
落ちないチェンジアップ 平都カケル @umauma_konbu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます