時間が経ってしまいましたが、故・山際淳司氏の名エッセイ『スローカーブを、もう一球』の主人公・川端俊介氏が亡くなったとの報道がありました。そのエッセイは等身大の高校生である川端氏の生き様をスポーツの妙味と共に描き出した名作であり、僕の忘れ得ないバイブルとなっています。実際のピッチングを見たことが無いにも関わらず僕にとってある意味では誰よりも印象深いピッチャーである川端氏に謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
川端氏が主人公の『スローカーブを、もう一球』という作品には多大な影響を受けました。僕がカクヨムで投稿した拙作『落ちないチェンジアップ』という小説はその影響が色濃く表れたものです。
主人公の小桜成という「自分の内側から頑張る理由を見出せなくなった少年」を描きたい衝動に駆られた僕は、そのキャラクターを表現するための方法に悩んでいました。そこで思い当たったのが、『スローカーブを、もう一球』の変化球とピッチャーの人物像を重ねるという手法でした。
結果として成はチェンジアップを武器とする高校野球のピッチャーに決まり、そのキャラクターも定まっていきました。五里霧中だった僕の脳内を晴らしてくれたのは川端氏の存在と山際氏の作品でした。
『落ちないチェンジアップ』には主人公と対比される存在のひとりとして小木というピッチャーが登場します。彼の得意球はスローカーブ。もちろん川端氏をモチーフにしたキャラクターでした。
作品の展開的に小木は欠かせない存在で、彼がいてこそ作品を完成させられたという意味でも川端氏への感謝は尽きません。どうしても損な役割を担わせてしまったというか、失礼な扱いになってしまった申し訳なさもありますが……。
川端氏の物語にインスパイアされたなどと言ってはおこがましいほど実力不足な拙作ではありますが、成というキャラクターに関する物語を描ききったことは僕が生きる上で言葉として表せる以上の大きな意義を持っています。すべて川端氏の存在と、それを不朽の存在とした山際氏の文章があってこそです。そのふたりが共にこの世を去ったことに関して、改めて無常を嘆かずにはいられません。
これまで何度も何度も読み返し、これから先もそうしていくであろう『スローカーブを、もう一球』という作品。それが僕に何かを与えてくれたことを示すためにはふたりがいない世界を前に前にと生きていくしかないのだと思います。死後の世界があるならば、山際氏と川端氏は再会したでしょうか。ひょっとしたら、山際氏はそこで続編的なエッセイを描いてくれているかもしれません。頑張って生きていたら死んだ後でそれを読めるのではと期待しつつ、今後の人生を生きていこうと思います。
最後になりますが、『スローカーブを、もう一球』という作品が切り取った「瞬間」はいつの時代になっても色あせない美しさがあります。まだ読んだことが無い方はぜひご一読してみてください。