第4話
「朱亜、開けなさい」
目の前のかつての弟子だった死体は頷きメスとバリカンを取り出す。
「破ッ」
朱亜の掛け声とともに、頭蓋の骨が割れ、脳が現れた。
朱亜には拳法家の動きがインストールされており、今のは頭蓋骨の縫合を関節に見立てて外す技であった。
後頭葉と小脳の間に、電脳補助装置が埋め込まれている。
朱亜はプラグを首筋から抜き出し、男の電脳補助装置とつないだ。
博文は自身の機密情報を、息子たちの電脳に隠していた。それを手に入れるのが今回の真の目的だ。先ほどの娘の死体の売り買いのやり取りは室内の
博文は反太平地獄の強硬派で、さらに外にも大きな権力を持っている。彼を殭屍に変えることで、雹華の所属する教団はまた大きな力を持つ。
「解析率現在
朱亜の音声器官から、進行率が発せられた。
電脳と屍脳を繋ぎ、殭屍体の中にある屍器官が電子信号を氣子信号に変換し、情報を移している。
雹華は煙管を取り出し、自分で火をつけ、弟子だったものが仕事をしているところを眺める。
奇妙な弟子だった。
出会ったとたん、いきなり固まったと思ったら、急に赤面しながら、弟子にしてくれと言いだしてきた。団地を乗っ取る手伝いもほしかったし、死んだら殭屍にもなるとまで言ってきたので―――その時は信じたわけではないが―――雇ってみたらさらに奇妙な面がわかってきた。
死体を改造していると、何か恍惚のようなまなざしを向けてくるのだ。てっきり最初は死体を切り刻むのが好きな極度のサディストだと思ったが、その瞳に物ほしそうなものが混じってることからマゾヒストだとわかった。
確かにそうじゃないと、死んだら殭屍にしてと言わないかもしれない。
普段は情欲を抑え隠してるが、ふとした拍子に、顔に出て君が悪かった。
生まれながらにして太平地獄として生きる雹華の価値観では理解できなかった。
殭屍化は人間としてアップデートするための方法であって、被虐欲を満たすためのものではない。そうさりげなく何度も教えたが、「そんなことは最初から分かっていますけど」と口では言いながら、態度は一向に改善しなかった。
さらに「師匠って私を洗脳してますよね? あ、ミーム汚染って奴ですか」とわけのわからないことを偶にいう。
そのような変な弟子だが雹華は嫌いではなく、むしろ好きだった。
教団の人間は最終的に死体となることを目標としているからか、普段から死人のような性格を心掛けているものは多かった。なので歪な性癖ながらも、それを隠し、明るく振舞おうとする朱亜の姿は新鮮だった。
性欲と愛の違いについて議論するつもりはないが、ここまで感情を向けられるのは悪いものでもないのかもしれないと、数日に一回思い、いや、やっぱりないと数日に数回回否定した。
弟子としては優秀で、物覚えも吸収率もよく、新しいことを教えると良い返事をし、尊敬の眼差しを向けてくるのは悪い気分ではなかった。
だから教議に反していると思いながらも朱亜を殺すときはつい悲しい気分になってしまった。人工知能はまだ人間と同じような反応をするものは作られていない。なので朱亜が生前通りの振る舞いをし始めるのはまだまだ先だ。一○数年後、いや一○○年後になるかもしれない。だからしばらく会えないという悲しみはある。死の悲しみではない。そう言い聞かせながらも、思わず一滴の涙がこぼれ落ちていた。
「解析率
無表情で朱亜は告げた。
雹華が殭屍化する前に、この顔がまた自然な笑顔となることはあるだろうかと、懐かしむ。
今日は疲れていた。ここ数日徹夜続きだった。
準備はすべて終わっている。解析が完了しないと何もできないので、今日は寝ようと決めた。
朱亜を導き、部屋の奥のベッドに向かい、彼女の腕の中に抱かれて寝転ぶ。
大きな体に包まれて、安心感を覚える。目の前には巨大な胸があった。乳房は腐りやすい上に殭屍としては大抵必要ないので、「そういう目的」に使うのでもない限り、本来外すのだが、雹華はそれでは寂しいと思ったので、シリコンを詰めて、腐らないように加工し、生前と同じサイズの物をつけていた。死体売りは弟子の胸に顔をうずめた。性欲とかではなく安心感を得るためだ。
ただこんなことは彼女が生きているうちには出来なかっただろうなとも思いながら、微睡に沈んだ。
「解析率
◆ ◆ ◆
雹華は首を絞められる夢を見て目が覚めた。
あまりにも現実的な夢だったので、起きても実際に絞められていることに気が付くまで時間がかかった。
「がっ」
朱亜の顔が目の前に合った。無表情でこちらの首を絞めてくる。
首の骨がきしみ始める。
雹華は素早く弟子を抱きしめた。朱亜の首筋のリンパ管を押す。そのまま挿入口の蓋開き、手を突っ込み動作器官のコードを数本引き抜いた。
朱亜の体が痙攣して、雹華の首にかかっていた手が緩む。
雹華は飛び上がり、殭屍から距離を取った。
弟子の額の札の横に札型コンピューターを投げて張り付ける。ネイルガンで釘を頭部の札に向けて射出し、プログラムを上書きした。殭屍の痙攣が止まる。
『流石にこれぐらいでは殺せないか』
朱亜の口から、声が漏れ出た。
「余博文か?」
雹華は朱亜に向かって言った。
『いかにも。詰めが甘いぞ太平地獄の木端があの程度の茶番で時間稼ぎができると思ったか』
余梓宸の補助電脳にウイルスが仕込んであったのだ。
そして今朱亜の屍脳をクラッキングし、余博文が乗っ取っている。
「失敗したのにずいぶんと偉そうだな」
『失敗? 本当にそう思うのか? そう思いたいのなら、そう思えばいい』
遠くから喧騒が聞こえた。爆発音も交じる。
雷鳴にも似たそれはすべてを削るように、絶え間なく聞こえている。
団地自体が巨大な洗濯機にでもなったような振動だった。
『すでにこの団地のお前の管轄以外の道士の殭屍は制圧した』
「制圧したというのに、随分と騒がしいな。まるで戦争をしているみたいだ」
『お前が作った殭屍は残っているからな。すべて壊そうとしたところ、思いのほか持ち主達が抵抗してな』
「そうか」
部屋の扉が強く叩かれる。
雹華は手元の札型コンピューターを操作し、朱亜の音声器官の機能を停止した。
新しくプログラムを初期化し予備のものと書き換え、外部からの電波を遮断し、氣子信号のみで操作できるようにした。防壁と反ウイルスアプリケーションも一番強固なものと取り換える。これを破るのは
動作確認をする。
跪かせる。手の甲にキスをさせる。
問題はなかった。もう乗っ取られることはない。
立ち上がった朱亜抱きしめる。
「私以外の物になるのは、一度だけ許そう。次は許さない」
「了解しました」
「なら」
部屋のドアを叩く音はさらに大きくなった。
「余博文を当初の予定通り殺す」
蹴破って部屋の侵入してきた殭屍数対の首を、朱亜はプラズマチェーン偃月刀で切断した。動かなくなった肉塊を蹴り飛ばし、前に走り出す。それを雹華は追った。廊下内は視線を向ける先を失った死体たちが、一○数体ほどうごめいていた。こちら側に気がつくと、手を伸ばしてくる。朱亜が走りながらも指の先から切り刻んでいく。首を切り腕を刻み脚を無くさせ這い蹲らせた。鈍い銃声がした。銃を持った殭屍がいる。雹華は四五口径モーゼル型高出力ブラスターガンで応戦した。死体のひとつの頭が撃たれたことにより爆ぜる。何度も撃った。赤黒い花火が何度も咲き誇った。小柄の死体がすばやく偃月刀の隙間を縫い、朱亜に襲い掛かってきた。偃月刀が折れ曲がり死体の背中を貫く。偃月刀は三節棍でもあった。人口筋肉が内部に組み込まれていて、朱亜と雹華の意思で自由に曲がるのだ。襲い掛かってきた殭屍は屍器官を損傷したのか、動きが少し鈍くなった。銃声が再度した。朱亜は隙の出た死体を盾にした。盾の背中が爆ぜる。動かなくなったが、念のため、首を引きちぎっておいた。さらに多くの殭屍が廊下になだれ込んできた。「埒が明かないな」雹華は言った。ブラスターガンをネイルガンンに持ち替え、札型コンピューター越しに射出し、殭屍の頭蓋骨を貫いた。プログラムを書き換えられたことにより、殭屍が雹華の言うことを聞くようになった。さらにそれを繰り返し、仲間を増やしていく。ある程度殭屍が集まると、それを壁にし、二人は部屋の扉を蹴破り、中に入った。死体人形を集め、バリケードを作り部屋への進入経路を塞ぐ。余梓宸の電脳から得た情報によると、六階下の部屋にいることがわかっていた。部屋の窓を突き破る。ドローン代わりの
清の時代の官僚の服で死装束にも使われていた服―――つまり殭屍がよく来ている服を着てはいるのだが、ハーフパンツに短めの袖と、アレンジがされていた。頭にはバイクのヘルメットをかぶっている。
手にはプラズマチェーン柳葉刀を持っていた。
「気をつけな」目を細めて雹華は言った「あれは強い」
「了―――」
―――解しましたと言う前に少年は動き、雹華に向かって踏み込む。朱亜が間に入り盾になろうとした。
しかし最小限の動きにより懐に潜りこみかわされ、少年は既に朱亜の後ろに立っていた。少年は柳葉刀で雹華に切りかかる。
だが雹華は全力で殴り飛ばした。
少年は壁に強く叩きつけられた。腕があらぬ方向に曲がっている。
「なんだ」雹華は言った「私が弟子よりも弱いと思ったのか?」
死体売りが手を振って見せる。腕の先から色が変わっていた。手の甲に札が数枚釘で固定されていた。殭屍の腕で作った義手だ。
少年がヘルメットの下で笑った気がした。
追い打ちをかけるために、朱亜は偃月刀で縦一文字に切り裂こうとした。しかし折れた腕のまま少年は柳葉刀でそれを防ぐ。プラズマチェーン刀同士では刀でせめぎ合うということは起こりえない。プラズマチェーン同士が反発し合い、火花を散らして弾けた。
お互いに何度も刀を打ち付け合う。リーチの差から明らかに朱亜の方が有利なはずだが、少年はそれをカバーする速度で偃月刀を捌いていった。雹華がブラスターガンで応戦するも、弾が柳葉刀で撃ち落とされるだけだった。
「朱亜! あれをやれ!」
師匠の言葉を聞いた瞬間、朱亜は偃月刀を少年に向かって投げた。
雹華が拳銃を数発放つ。
まさか武器を捨てると思わなかったのか、少年は偃月刀をかわしつつ弾を弾きなながらも、朱亜が横に向かって倒れながら飛んだことに反応が出来ない。そして朱亜の床に近い方の腕が少年に向けられる。
伸ばした腕の中間あたりが爆発した。
手が飛び少年の腹に刺さる。
腹にめり込んだ貫手が爆発した。少年の上半身と下半身が分かれた。
肉片が部屋の中に降る。
床に叩きつけられ、足を失ってなおも刀を拾おうとする殭屍の首に、雹華は拾い上げたプラズマチェーン偃月刀を振り下ろした。
少年の首は痙攣したが、
「おじいちゃん……」
と呟いた後すぐに動かなくなった。
「さて」
道士は部屋内を見回す。
動かない殭屍が積まれているのがわかった。
雹華は偃月刀の尖った石付の部分―――槍の後ろの部分―――で死体の山を貫いた。
「がっ」
うめき声を上げながら、老人が死体の山から飛び出てきた。
老人は這いつくばりながら逃げる。壁に追い詰められ、荒く息をしていた。
雹華は朱亜の方を見る。
「遠距離網膜認証の結果、余博文本人であると断定します」
朱亜の言葉に雹華は頷く。
「ま、待て」
―――博文の言葉も聞かず、死体売りは彼の頭蓋骨を釘で。
◆ ◆ ◆
それからどうしたって?
朱亜は誰へでもなく呟いた。
呟けないのだが、すべてを思い出し、ひたすら起こりうることを知っていながら、見ているしかないので暇だったので呟くふりをした。
あの後あれだけの騒動を起こした団地へはいられないと思い、雹華達は出来るだけ多くの殭屍達を引き連れ、密輸ルートで団地から去ったのだった。本国政府は鼠雨団地は大量の殭屍が暴走したという事件の調査を名目に、団地への調査を行った。その事件により、殭屍のの信用が大きく落ち、太平地獄の目論みは大きく後退することとなった。
しかし
かつて人類の祖先は物語を武器に世界へ広がって行った。そして自らの種族を賢い人、
長い間
西暦二二五一年、
殭屍化した人類は既にあった文明を改良しながらも新しい社会を作り始めた。ある程度月日が経つと自分たちが新しい人類であるという自覚が足りてきたので自分たちに名前を付けた。
死んだ人―――
死とは物語だ。
ある時は親しい者が死んで、悲しんでいる人に、あの人は星になったと慰める。
ある時は死を恐れる人に、良いことをしていれば天国へ行けるから大丈夫と慰める。
ある時は十分な罰を受けずに死んだ悪人を憎む人に、あの人は地獄で苦しんでいると慰める。
そんな有史以前から存在する物語の一つが殭屍なのだ。
その物語の一つ、
やっと朱亜は思い出す。
未来の物語を朱亜は、物語を読む機能―――物語ゲノム解析機能によって読んでいたのだ。
ただ、これは死の物語ではない。恋の物語だ。
あの後雹華は計画を大きく後退された責任を取らされ、殭屍化されることとなった―――殭屍化が教義的には罰になるかは意見の分かれるところだったが―――。
だが余博文を殭屍化出来た功績を称え、弟子と隣り合った棺桶に入れられ、人工知能が人間の知能を越えるまで―――つまり
朱亜はすでにその未来を見ている。
だからあとはひたすら待つだけだった。
それはあと五二一年。
暗い。何も見えない。何も聞こえない。
棺桶は隣り合ってるのにもかかわらず、無限に距離があるように感じられた。
だが考えることはできる。感じることはできる。
だから物語を頭の中で繰り返す。
弟子と師匠の恋の物語を。
わかっている。結局のところ死後の意識の連続性など証明されていない。一秒先の自分は一秒前の自分とは別かもしれない。結局何万年たっても魂の存在は証明されない。
それでもこの体が物語を受け継いでくれるのなら。
「また会えるときを楽しみにしています。師匠」
朱亜は微笑んだ。微笑んだと頭の中に書いた。
ネクロオーガン 五三六P・二四三・渡 @doubutugawa
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