第3話

 朱亜は半永久的に走馬燈のようなものを見ているようなものだった。

 ただ、今の状態も悪いものではないと思えた。

 結局のところ神経系は死んでいて反射や反応には別の器官が使われているので痛みや苦痛といったものはない。それでいて常に走馬燈を見ている状態なので、すべてが回想である。

 苦痛も快楽もない、何を見ても懐かしいと行く気持ちしか浮かばない。

 苦痛はそれなりに好きだが、やりすぎは嫌いであったので安心できる。

 いずれ脳は腐るのでこれが永遠に続くというわけではない。

 ならばあの世に行く途中の航路のようなものとして、この状態を楽しもう。

 再び朱亜は回想を続ける。


「皆さん。我々人類は次のステージに立とうとしています。富の平等分配は成されず、人々は苦しみ続けている。それを解決するには人類は進化すべきなのです。殭屍はそれを解決する。我々太平地獄が望むものは、全人類の殭屍化です。人々が最適化されたアルゴリズムの中で幸せに生きる。我々の計算では殭屍化しても意識はなくならず、苦痛や葛藤といったものから解き放たれます。我々はそれができる。私はそれが出来る。私は撒但サタンの娘の一人、そして反基督アンチキリストの妹、洪秀全の対となる存在。世界末日ハルマゲドンを引き起こす存在。

 私の名前は、洪春全ホンシュンチェンです。よろしくお願いします」


 朱亜と雹華は部屋で薄汚れたモニターで動画を見ていた。

 そこにはまだあどけなさの残る少女が、たいそう豪華な服を着て演説をしていた。歴史の本に乗っている洪秀全が来ている服の色を反転させたようなものを着ていた。

 太平地獄とは最近国内で話題になってるカルト集団だ。

 演説の通り、教祖は新約聖書に登場する反基督アンチキリストの妹を名乗っていて、全人類の殭屍化を主張している。

 危険思想集団で、本国の政府も教徒は問答無用で即逮捕しているが、殭屍技術に秀でていることにより大企業とのコネも多く協力者も多いので、教会の重要機関を潰すには至っていなかった。

 そして雹華も教徒の一人だった。


「師匠もああいうの信じてるんですか」


 何となく朱亜は自分の師匠は教会の中でも浮いていて、教義も斜めに構えた受け取り方をしているのだと思っていた。

 案の定


「まあ、物語だ」


 という否定も肯定もしてはいないけど、斜めな回答が帰ってきた。


「師匠らしいですね」


 しかし、朱亜がそう言うと雹華はなぜか目を細めた。

 懐から煙管をどりだし軽く振り出す。火をつけろという催促だ。

 朱亜は近づき、煙草の葉を煙管の先に入れ、燐寸で火をつけた。少しだけ床にこぼれたので拾おうとしたが、雹華はそのままで構わないと言った。雹華は煙を口に入れながらもじっと、自分の弟子のことを見ている。


「お前も吸うか?」

 

 朱亜は煙草は吸わない。

 しかし雹華が懐から電子煙管を取り出した。ニコチンの入っていない、味の付いた水蒸気を吸うだけのものだった。杏味だ。


「じゃあお言葉に甘えて」とありがたく頂く。


 口につけると薄いが甘い味がした。部屋の中に、腐葉土と、杏と、血と消毒液の臭いが混ざったものが広がる。

 まだ師匠は弟子を睨んでいる。

「一体何なんですか」朱亜は口から白い煙を漏らしながら言った。顔が少し赤くなる「言いたいことがあるのなら言ってくださいよ」

「信じているといったらどうする」

「えっ、私の子と信じてくれるって? いや、まいったな。まさか私が師匠にそこまで信頼されてるだなんて」

「茶化さないで真面目に答えな」


 朱亜は重ねて茶化そうとした。今の状況になぞらえて文字通りに煙に巻いて。

 だができなかった。

 信じている。全人類殭屍化計画を支持しているということだ。

 朱亜はそれについて自分はどう思うかということを考えてみた。

 まず手始めにこの団地の皆を、殭屍化するのだろう。それを拒否したいかどうか。

 拒否する気分は起きない。

 朱亜の行動原理は生きるということだ。だが殭屍が増え始めて、生と死が曖昧な状況が出来上がっていた。それが太平地獄の狙い通りだとしたら、恐ろしいことであるとは理解していた。だが理解はしていても、情欲が勝つ。雹華にこの体にメスを入れられ、内臓を取り換えられることを想像すると、歓喜で身が震えた。脳みそに釘を入れられ、彼女の望む通りの動きをすることを考えると、体が煮沸するように熱くなった。


 待った、家族がいるではないのか。彼らが屍となるのはいいのか?


 家族は多いが、多いうえに入れ替わりが激しいので、人並み以上の愛情を受けている自覚はあるものの一人一人の印象が年々薄くなっていっている感じがした。

 自分の中で、目の前の師匠が占める割合が多くなっていた。

 だから皆が生ける屍になっても変わらない。


 洗脳されてるのではないか?


 そうかもしれない。

 だから何だというのだろうか。結局のところ人というのは感情を得るために生きている。ならば洗脳されてようが、死んでいても感情を得られるのなら同じことだ。

 答えは決まっている。

 だから朱亜は


「私は喜んで、協力しますよ」


 茶化さず本音で言った。


「そうか」


 雹華の手に握られたネイルガンから釘が射出された。

 朱亜の頭蓋骨を貫き、脳まで達する。


「残念だよ」


 絶命の瞬間確かに師匠がそう言ったのを聞いた。

 残念? 何が残念なのだろうと朱亜は今際の淵で思う。

 これで目的に一歩近づいたのだろう、なのになぜそんな悲しい顔をするのかわからない、心情がぶれて、弟子を殺すのが忍びないというのなら、逆に残念だと、朱亜は憤る。そのようなあやふやな気持ちで殺さないでほしいと。

 だがそれでも、愛する人に死を望まれないのも、それはそれでうれしいという気持ちもあった。

 こんな表情を見れたのなら、死ぬのはやっぱりいいことなのかもしれないとも。

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