第2話

 古朱亞グ・シュアの人工知能は、回想するという機能がない。

 記憶することや学習するという機能がほとんどなく、ただ命令されたことに従い行動を起こすだけだった。だから何かを思い出すという機能はない。

 それでもことわりに反して古朱亞グ・シュアは回想する。

 存在しないはずの機能で彼女は思い出す。

 朱亜は鼠雨団地のバラック階層で生まれた。当時の不法入居者はまだ屋上に二階建ての小屋を作る程度と大人しく、西の国からやってきた彼女の両親もそんな場所に住む二人だった。

 だが朱亜は両親の顔を覚えていない。

 ちょうどそのころの団地は政府からの電力供給が途絶えられ、最も時代が荒れている時期で、その呷りとしてか二人とも朱亜の幼いころ強盗に殺されて死んだ。

 引き取ったのは両親の移民仲間で、六人の母親と十人の父親に育てられた。彼女は貧しいながらも、十六人の寵愛を受けてすくすくと育ち、十六歳の誕生日には二米メートルを越す身長を手に入れた。

 親の数は減ったり増えたりした。娼婦、専業主婦、自称作家、電気屋、発電屋、無職、マフィアの下っ端、農家、博打打、薬屋、泥棒、自称詩人、大工。親の職業は様々で、よく朱亜は手伝いをし、それにより様々な技能が見についた。

 鼠雨団地とその周辺は自治区であり、独自のコミュニティを築いていた。

 住人は外側では野菜を育て、内側ではキノコを育てる。中の工場では薬を作った。

天井には太陽電池を取り付け、壁には風力発電機を取り付けた。もちろんそれだけでは賄えないので、裏で本土ともやり取りをしたり盗んだりしていたのだが。

 そんなある日、朱亜はある部屋を見つける。

 彼女はそのころ運び屋だった。団地の隅から隅へ、偶には外へ駆けまわり、持てるだけのありったけの物資を運んだ。

 その部屋についたのも物資を運ぶためだった。蹴球玉が一つはいるぐらいの木箱だった。当たり前だが決して開けることは許されない。

 目的地は新しくできたバラック階層の三階の部屋。

 錆と腐敗の象徴ともいうべき扉の横の看板にはこう書いてあった。


「死体買います。売ります」


 なんとも物騒な文句だが、そこまで珍しいものではなかった。

 ほかにも似たようなことを言ってる人は朱亜は二人ほど知っている。

 ただ一人は薬売りで、ある程度はまっとうだが、もう一人は人肉好きの狂人だった。

 経験から言って、入った瞬間襲われて、明日には精肉される可能性は五分五分と彼女は考える。

 護身用の九二式手槍の形をしたブラスターガンの位置を確認しながら、警戒して扉を開いた。

 部屋に入った瞬間、防腐剤の臭いが鼻をつく。

 棚に囲まれた狭い部屋で、入ってすぐの場所で手術台のようなものに、死体を寝かせて、何か作業をしている女が目についた。防具服を身に着けている。

「早かったな。荷物はそこに置いておいてくれ」

 

 こちらを見ずに話しかけられ、朱亜は唾を飲み込んだ。

 そして、その女の瞳を見た瞬間、自分の中に街が存在するということを自覚した。その街は朱亜の自我でできている。無計画に増築されたその自我の町はやり場のない愛情と自尊心と、情欲と虚栄心により日々陰鬱で喧騒に満ちた戦争の絶えない世界を構築していた。

 目の前の女の存在はそんな街に落ちた落雷だ。

 落とされた雷は街の人々を区別なく溶かし、茸のような雲を作り、後には大きなクレーターが残るばかり。その後雨が降りすべてを洗い流した。

 やがて一本の天まで続く木が植えられ、その木が倒された。木材により新たな街ができる。

 朱亜の脈拍が一気に早くなった。

 作業中の女は固まった朱亜を怪訝そうな目で見た。やつれた目にはうっすらとクマができていた。真冬の夜の海より暗く冷たい目だ。その目を見てるとさらに体が熱くなった。

 朱亜は突如湧き出た内なるメタファーだらけの感情が、何なのかわからなくて戸惑う。記憶を探り、同じ思いを抱いたことがないかを見つけようとした。そして脳髄の奥の、さらに奥の部分に似た経験をした記憶を探り当てた。

 ジョージ・マクドナルドのリリスという幻想小説を読んだ時の話である。

 細かい部分は覚えていなかったが、主人公が出会ったリリスのあまりの美しさにこう言うシーンがある。


『あなたの奴隷にしてください!』


 この言い回しは、単純にマゾヒズム性を表す言葉ではない。それらの文化的背景を説明するのには時間がないので省略するが、ただそれを読んだ当時の朱亜はまだ幼く、単なる変態の主人公としか思わなかった。だがそれ以上にこれほどまでに言えるひとめ惚れをしてみたいという共感を覚えたのも確かに思ったのだ。その時の感覚と、今の感覚はつながっていた。

 つまり、

 朱亜は目の前の女性に恋をした。

 自らのすべてを捧げ奴隷になってもいいと思えるほどに。

 だがそれと同時に、理性が感情を押し戻す。

 娼婦の親が一人いる故、朱亜はこの団地で愛という感情を制御できずに崩壊していった人を多く見てきた。だから無理やり恋心を押し込める。

 押し込めた結果こんな言葉が漏れ出た。


「弟子にしてほしい」


 言ってからしまったと思ったが、よく考えると悪くないようにも思えた。

 朱亜がこの年まで生きていられたのは、様々な技能を身に着けているからだ。なのでここで死体売りの技能を持つのも悪くないのかもしれないと。

 何より彼女と共にいれる。

 作業中の女は朱亜を一瞥したが、また目の前の死体に視線を戻した。

 長身の運び屋はそれを、馬鹿にしたつもりが変な返しをしてきて面食らった、と解釈した。

 吊るされた男はげたげたと笑い続けていた。


「あらゆることとは言わないけど、ある程度は何でもできるよ」朱亜は言った「使いっぱしりも掃除もやる。何なら外からの密輸入もできるよ。所謂見て覚えるのも得意な方だから、あまり手がかからない方だと思う。まあ質問とかは凄くすると思うけど」


 死体を刻んでいる女は顔を上げない。

 朱亜は女に視線を少しやってから、めげずに続けた。


「あんたその壁の模様、太平地獄タイピンディユゥの道士でしょ。死体を動かして街のインフラに組み込んでるってネットでやってた。ほら話だと思ってたんだけど、本当だったんだね」

「……」

「死んだら私もキョンシーにしていいよ。自分で言うのもなんだけど、ジョン・ハンターもひとめ惚れするような体躯してると思うんだけど」

「荷物を置いて帰れ」


 ぴしゃりと言われ、朱亜は肩をすくめ、言われたとうりにしようとした。

 ふと振り返ると、女が荷物の中から生首を取り出しているのが見え、朱亜は顔をしかめた。


「それから『あんた』じゃない、毛雹華マオ・ヒョウガだ。来週は余裕あるから次きた時は、呼ぶときは師匠と呼べ」


 面倒くさい言い回しだなと思いつつも、朱亜は彼女の言ってることの意味が自分が思ってる通りの意味か数秒考えた。

 たぶんあってるだろう。


「はい! 師匠!」


 

 朱亜は他の仕事もあるので、週一回道士毛雹華マオ・ヒョウガの元に通っていたが、通うにつれ死体を動かせるということの重要性を理解しはじめ、次第に頻度が上がった。

 始めは鼠の死体を使って動かし方を学んだ。

 頭につける札は、納米紙型計算機ナノペーパーコンピューターと呼ばれる、超薄型コンピューターを重ねて作られており、その表面に文字を書くことによりプログラミングを行った。釘は脳と札をつなぐ器官の役割を果たしていた。


「まず台所の隙間に豆を置いたので、それを取ってくるように命令しろ」

「はい」


 朱亜は言われた通りコードを書き連ねた。

 朱亜は雹華ヒョウガがあらかじめ殭屍に改造しておいた鼠の頭に札を張り、ネイルガンで釘をさし固定した。


「ほうら取ってこい鼠鼠シューシュー


 殭屍鼠は台所の戸棚の隙間に消えた。

 数分待つ。しかし帰ってこなかった。

 

「失敗ですかね」


 朱亜は作業帽の上から頭をかいた。


「お手本なような失敗だ。大したものだよ」

「……ありがとうございます」


 どうみても皮肉だが、とりあえず礼は言っておいた。


「あとある程度何でもできるといったが、パソコン関係はからきしのようだな」


 言っている雹華の顔を見たが、無表情のままだった。


「まあ、そうですね。ネットはやりますがプログラムはあまりやったことがないですね」

「『何でもできる』の例外がどんどん増ないことを祈るがな」

「……」

「今回のは『取ってくる』という命令だけしてないので『とった後、帰ってくる』という命令が必要だった」

「融通聞かないですね」

「人間が曖昧すぎるんだよ。始めてプログラミングを行うときはやりすぎぐらいに細かく設定するんだよ」

「わかりました」


 朱亜はこれでもかというくらいに細かく設定し複雑になりすぎたたそれは、まさに意大利面スパゲティコードだった。

 複雑で多くの矛盾をはらんだ鼠は、エラーが起きた時停止する機能をつけていなかったために、爆発四散した。

 


 何日も通って時間が流れるにつれ団地の中に殭屍を利用している人が目に見えて増えるようになった。


 荷物運びや、裁縫、看板持ち、壁の崩れている部分をひたすら支える者。発電機つきの自転車をひたすらこぐ者。ゼンマイを回すもの。

 中には死体の脳みそを、コンピューターとつないでいる者までいた。

 殭屍を使った風俗を見つけた時は流石の朱亜も閉口した。

 電力の供給が止められている今、団地に置いて殭屍の存在は極めて重要な位置を占めていた。にもかかわらずというか、ある意味当然かもしれないが、住民は死体を道具として使っていることに後ろめたさを感じてはいるようだった。殭屍と目を合わせようとしない。しかしその便利さには勝てずといったところで、常に矛盾した気持ちを宿しているようだ。そのせいあってか、団地内には雹華の他にも死体売りこと道士が数人いるのにもかかわらず、彼ら彼女らが尊敬されることはなかった。

 

「一体何を動力源として動いてるんですか?」


 死体に殭屍の心臓部である屍器官ネクロオーガンというものを取り付ける手術を手伝いながら、朱亜は師匠に聞いた。

 死体は借金が返せなくなって無理心中した男の死体をマフィアから買い取ったものだった。


「氣」

「氣て……」

「死体が動いてるのにまともな回答を期待するな。今はそこまで解明されてないから、氣としか言えないが、時代が進めばもっと科学的な説明ができるかもしれないがな」

「ふーん」

「しいて言うのなら物語の力だな」


 普段ぶっきらぼうな師匠がいきなり詩的ポエットなことを言いだしたので、朱亜は吹き出しそうになった。


「何がおかしい?」雹華は不機嫌な顔をしている。

「いやだって、師匠が物語の力ってぷぷっ……ククク」


 マオはため息をつき血の付いた手袋をはめたまま、弟子の頭を殴った。痛くはなかったが、朱亜は悲鳴を上げる。汚いのは苦手だった。

 いったん雹華は手術台から離れ、札を何枚か持ってきた。


「それじゃあ今回は殭屍の感情の表し方から教える」

「いいんですか」涙目になりながら朱亜は死肉のついた髪をタオルで吹いていた「まだ人工知能の基礎も学んでませんよ」

「概念だけでも先に覚えても損はない」


 雹華は死体の心臓と屍器官ネクロオーガンを慣れた手つきで取り換え、頭に札と釘を刺した。腹は開いたままであった。


「じゃあ問題だ。人間にとって感情ってのはなんのためにある?」

「えー」何となく間違うことを期待されてるような気がしたので、意地でも正解してやろうと考えた。「人間は……いや人間にかかわらず動物は、生き残るために感情を持っていました。恐怖という感情は、正体のわからない外敵から身を守るため。怒りという感情は、傷をつけられたら反撃するためや、獲物を逃がしたときに次はどうすればいいかという改善を考えるため、喜びの感情は、自身の環境が良い時にそれを維持しようと努力をするため。これは野生動物だけでなく、人間の文明社会にもあてはまります」

「五○点、まあまあだね」

「はい……」

「野生動物の観点から見るとその考え方は簡単に言ったらおおむね正しい。実際に以前まで感情を持ったロボットはそう作られてきた。ただ最近の研究ではこんな考え方もある。人類の感情とは物語を理解するためにある」

「それはおかしくないですか? 物語はあくまで娯楽でしょう」

「話は最後まで聞け」

「はい」

「狩猟中心の生活から農作中心の生活に変わるにつれ、人類は物語の力によって、団結を極めた。神を定め従わせ、英雄を作り出し習うようにし、敵を悪魔とし憎悪を向かわせた。例えば生の豚肉は寄生虫だらけなので食べたら食中毒になって死ぬが、それを科学的に説明する手段は昔はなく、なので広くに受け入れてもらうために、豚の肉は不浄なものとされた。このように物語は大きい力を持っている」

「成程、そういえばそうですね」

「結局のところロボットや殭屍の感情なんて必要かという問いについてはこう答えられる。『物語を作るためには感情が必要である』とね。ここの物語というのは小説や劇等に限らない。絵画でも宗教でも友人との会話でも子供をあやすための話でもプロパガンダでも。これが人と他の動物の大きな違いだ」


 そういえば二一世紀の本にそんなことが書いてあったような、と朱亜は思い出す。


「ちなみに、虚構の存在に感情を与えるなんてものは、有史以前の人類がすでに成し遂げている。『ほにゃららは悲しいと思った』という文を読めばその何某ほにゃららさんという人物が悲しいと思たのだと、人間は感じることが出来る。このように、感情を持った殭屍というものはそれ自体が一つの小説のようなもの―――物語だと思えばいい。このことを覚えておけば感情を持った殭屍を作ることはそこまで難しいことではない。不気味の谷だのなんだのというのは、デメリットの一つでしかない。まあプログラミングしたりするのはまた別の話になってくるんだが。

 さっきの氣の話だってそうだ。科学的に解明されてないこともないが、確定はされていない要素だが、氣という物語の力を借りる認識で動かしている」 

 

 そのことを聞いて朱亜は思い出した。

 今話を聞いている朱亜のことではない。

 今回想をしている朱亜のことだ。

 なぜ存在しない機能で思い出すということが出来ているか。

 感情とは物語を読むために存在する。それを行えるようになったのが、物語ゲノム解析機能だ。遺伝的アルゴリズムにより、物語の模倣子ミームを過去に遡って辿ることが出来る。本来は長い歴史の上で聖書の変化を大系的に解析するためのプログラムだが、人工知能が物語を理解する方面にも応用されるようになった。

 感情を持った人工知能とは物語であるが故に、己を解析できる。例え記録が残っていなくても模倣子ミームを辿ることにより記憶を復活させることが出来るのだ。だがその機能をつけられるのは、まだ先の話だ。

 成程つまり、予想しているよりはるか未来から自分は回想しているというわけだ、と朱亜は納得した。

 

 果たして本当にそうだろうか?

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