ネクロオーガン

五三六P・二四三・渡

第1話

 暗い! 無限に闇が広がっている!

 何も聞こえない! 自らの鼓動さえも!

 臭覚も触覚も味覚も何も情報をとらえやしない!

 そして何も語れない!

 だが大丈夫だ! 考えることが出来る!

 ならば出来ることがある!

 物語だ!

 物語を奏でることが出来る!

 ならば吟じよう!

 拍手喝采の喧騒を、自らの頭の中に作り上げる!

 さあ! さあ! さあ!

 さっさと幕を開けろ!


 ◆ ◆ ◆


 街の外れには高層団地があった。

 平屋が集まる地帯に立っている故にひどく目立つ風貌をしている。一見三○階建てだが、二五階より上は不法滞在者によって作られたバラックが集まって構成されていた。強い風により上層部は大きな音を立てて揺らいでいた。

 高層団地の壁には何千もの空調機の室外機が並んでいた。すべてが薄汚れているが、一つ一つが少しずつ違う色をしている。そのおかげで距離を置いて眺めてみると、モザイク画のようにも見える。室外機同士の間は迷路のように、配管が通っていいた。それは団地の中にも続いており、廊下の天井もまた配管だらけで、先を見ようと目で追うと目が回る。配管の上は鼠たちの移動用の道路だ。時折足を踏み外した鼠が落ちてくるのが、この団地の日常だった。潰れた鼠を掃除するものはいない。モノ好きな住人が食用なり薬の材料用なりにと拾うことはまれにあるが、残った赤い染みを拭き取るほどの好きものはめったにいなかった。

 そこでついたあだ名が「鼠雨団地」という。


 そんな団地の通路を二人の女と思しき者が、足音を響かせながら歩いていた。

 一人は三○代前半と思しき年齢で、黒い汚染雨保護用合羽を着ており、床に水滴を落としていた。首には糸でつないだ保護マスクをぶら下げている。背はあまり高くなく、猫背でゆっくりとした足取りで前に進んでいた。

 もう一方は若い外見をしている、保護服も来ておらず、代わりに清の時代の官僚が着るような服を着ていた。時と場合によっては死装束としても使われていた服だ。額には文字が書かれた札が張り付けられていた。顔は生気がなく青白い、どこを見ているのかわからないような虚ろな目をしていた。そして一番目立つのは背中に背負っている巨大な箱だった。大きさや形から言って、棺のようにも見えた。

 廊下には座り込んでいるものや、寝転んでいる者たちがいた。その者たちは、大抵二人のことを興味深そうに眺めるのだが、背の高い方の女と目が合うと、不吉なものを見たと、目を逸らすのだった。

 鼠雨団地の管理は壊れた人工知能が行っている。壊れている故、管理が満足にできない。そのせいあってか不法滞在者も多い。とはいえ無限に部屋があるわけではないので、大抵の者は廊下で過ごす。座り込む者、寝転ぶ者、体を売る者、大胆なところでは店を出す者など。

 二人はそれらに気を取られず、まっすぐと目的地に向かって歩いている。

 やがてある扉の前で歩みを止めた。借金の返済を催促する紙やピンクチラシが大量に張り付けられており、ノブを探すのも一苦労な扉だった。

 猫背の女はチラシをかき分け、ノブとカードキーの差込口と思しきものを探し出した。

 インターフォンを押したが反応はない。


「蹴破ってもいいんだがな。しかし、あまり派手にやるのもよくない。朱亞シュア開けなさい」


 猫背の女は死に装束の朱亞シュアと呼ばれた女の方を振り返った。朱亜は黙ってうなずき、箱をいったん横にどけ、その場にしゃがみ込む。猫背は彼女の首のリンパ腺のあたりを押し込んだ。すると首のあたりが蓋のように開いた。中には管がみっしりとつまっている、血管や神経管にしては太いし、呼吸器官では決してない。赤黒く滑っており、ミミズのようにも似ていた。

 そのうちの一つを猫背は取り出す。懐からカードを取り出し、管とつなぎ合わせ、キーの差込口に挿入した。カードには呪文めいた文字が書かれていた。


「解析を開始します。しました。開錠まで三二秒かかります」


 朱亜が言った。猫背は黙ってうなずく。朱亜の瞳が淡く点滅した。

 宣言通り三二秒後にかちりという音がした。

 猫背はよくやったと独り言ともつかないそっけない労いの言葉を発し、管を首に片づけた後、扉を開いた。


「邪魔するよ」


 猫背はそう言いながら部屋の中に侵入する。玄関先にはごみがたまっており足の踏み場もなかった。所々壁が破れており、段ボールによる補強がなされていた。

 うっすらと阿片と精液の臭いが混ざったものが鼻を突き、猫背は顔をしかめた。

 部屋の奥に男がゴミに囲まれた椅子に一人で座っている。頭にヘッドギアをかぶっていた。

 猫背はヘッドギアを無理やり外す。勢い余って男は椅子ごと地面に倒れこんだ。

 起き上がった男は何が起こったかわからないといようであたりを見回した。やがて何をされたのか理解すると、怒りを顔に滲ませた。


「何をするんだこの贱人アマ! もう少しで勝てそうなところだったんだぞ。 俺がこの日のためにどれだけの努力と金を払ったのかわかってるのか!」

「ゲームか?」

 

 猫背は興味深そうに、手に持ったヘッドギアを眺めた。茶色のヘルメットに何本ものねじが頭部につけられていた。


「ゲームではあるが、単純なVRゲームではない。現実で殭屍キョンシーを遠隔操作し戦うゲームだ。だからこれは現実なんだ。それをお前は邪魔をした!」

「そうか、面白そうだな」

「馬鹿にしやがって……!」


 男は殴りかかろうとしたが、大柄の死装束の女が目に留まり、思わず拳を引っ込めた。


「棺を担いだ殭屍キョンシーだと」男は困惑する「お前は死体売りなのか。なぜこんな場所に……?」

余梓宸ユー・ズーチェン、お前の娘を買い取りに来たのさ」


 死体売りと呼ばれた猫背の女は、朱亜に合図を送る。

 朱亜は背負った箱を床に寝かせ、蓋を開いた。

 中には一○代後半と思しき女の死体が寝かされていた。申し訳程度しか肉がついておらず、頭蓋骨の形がうっすらとわかった。こちらもまた清の時代の死装束を着ていた。

 余梓宸ユー・ズーチェンと呼ばれた男は女の死体をしばらくじっと眺めた。やがてこれが誰だか分かったような顔をした。


桜綾ヨウリンか! まさか死んだのか」

「ああ、正真正銘お前の娘だよ。客から病気をもらってな。残念だったな」

「全くだよ……」


 梓宸ズーチェンは頭を抱え座り込んだ。

 死体売りと呼ばれた女は目を細めて、男を見た。


「金ヅルがいなくなったのがそんなに不安か?」

「なっ……何を言ってるんだ」梓宸は立ち上がり慌てふためいた「実の娘が死んだというのに、不謹慎なことを言うな!」

「娘に体を売らせ、自分はその金で遊んでばかり。そんな奴が父親を名乗るのはおこがましいとは思わないか」

「死体売りだか何だか知らないが、いきなり娘の死体を持ってきて説教か! 何様のつもりだ!」

「……確かにそうかもしれないな」


 死体売りは窓に向かいカーテンを開けた。既に日は沈み、地上には淡い明かりがともっていた。遠くに摩天楼の群れが見えた。汚染雨が窓に降りかかり、夜景をにじませている。


「私も商売を持ち掛けに来た男に説教とはらしくないことをしたもんだ」

「商売……? 先ほども言ったが娘を買い取りに来たってことは」

「ああ、若い女の死体が必要なんだ。この死体は娼館から処分をしてくれと頼まれたんだがな。一応一旦は父親に返すんがすじってもんだろうとは思ったんだよ。もちろん死体を使われたくない、正式に葬式を上げたい、ってならこのまま立ち去る。必要な葬式の手配をしてやってもいい。こちらは有料だがね」

「下郎が……」


 梓宸の罵りに死体売りは肩をすくめた。


「言い返せないな。まあ、流石にあんたでも娘の死体を売るほど落ちぶれていなかったか。下種は下種らしく、退散するとするよ。いくよ朱亜」


 死体売りは朱亜と共に、男に背を向けて部屋から出ていこうとした。


「ま、待ってくれ!」


 梓宸の声に死体売りは誰にもわからないほどほんのわずかに顔をゆがめた。


「何だ。葬式の手配か?」

「いや、確かに娘を売るというのは非常に心苦しい。だがしかし、何も燃やすだけが供養になるとは限らないんじゃないか」

「その辺は宗教によるな」

「だからさ、誰かに使ってもらうことも供養になるんじゃないかな。あんただって殭屍キョンシーを荷物運びにしてるってことは、そういう考えなんだろ」

「私はそういう考えではないよ」死体売りは煙管を懐から取り出し口にくわえた。朱亜がそれを見て燐寸を取り出し火をつける。薄暗い部屋に紫煙がゆっくりと漂った。「私は死んだ人間の方が便利だから使ってるんだ。生きた人間の方が便利なら同じように使うよ」


 梓宸は思わず唾液を飲み込んだ。


「いやでも」

「くだらない建前や前置きはいい。売りたいならさっさとそう言いな」

「ああ……売る。娘を売るよ」

「そうか。値段はこんな感じだ」


 死体売りは電子算盤をはじき、梓宸に見せた。

 神妙な顔をしていた梓宸だが、それを見た瞬間口角が上がったのがわかった。

 納得いったようだな、と死体売りは算盤を引っ込める。

 そして大きくため息をついた。

 

「では次の話だ」死体売りは懐から薄型のモニター端末を取り出した。「これを見な」

「まだあるのか」

「ああ」

 梓宸は画面を見た「俺の借用書だな。死ぬほど見たからすぐにわかったよ」

「これをすべて返す方法がある」

「本当か!」

「あんたには生命保険が掛けられている。それとあんたの死体の値段を合わせると、だいぶ借金額には近づく。あとはおまけしてくれるってあんたに金を貸したマフィアが言ってたよ」


 梓宸は何を言われたのかわからないという顔をした。しかし、その意味が分かると途端に恐怖の表情を浮かべた。そしてその中に怒りの感情も混ざった。

 窓際に男は飛び、二人の女から距離を取った。ゴミの中から素早くトカレフTT-三三 の形をしたブラスターガンを拾い上げ構えた。


「何なんだ!」梓宸は拳銃を構える「今までのやり取りは何だったんだ! 何て茶番だ! 殺しに来たと言うのなら黙って殺せばいい! 娘がほしいというのなら黙って持っていけばよかったんだ! お前は狂人なのか!? ふざけやがって!」

「敬意だよ敬意。私とて商売人だからね。どんな相手でも敬意は払うよ」

「馬鹿にしやがって……馬鹿にしやがって! 俺が娘を売らなかったら、殺さなかったとでも言うつもりか」

「そうかもな」

「嘘をつくな!」


 ブラスターガンからエネルギー弾が発射される。

 朱亜が素早く死体売りの前に跳び腕を交差させ、籠手により弾をはじいた。

 朱亜の肩越しに死体売りは改造ネイルガンを懐から取り出し撃つ。二○厘米センチメートルサイズの釘が射出され、梓宸の手のひらに刺さる。

 思わず梓宸はぎゃっと言いながら拳銃を取りこぼした。

 その隙を逃さず朱亜の回し蹴りが頭部に命中する。男は壁に叩きつけられた。


 「我日你くそったれ……」梓宸はうめき声を発し崩れ落ちた「ああ、畜生死にたくない。やりたいこともたくさんなったのに……せっかくもうちょっとでランキングも一○○位圏内に入れそうだったのに……なんで俺がこんな目に……」

「どの面下げて言ってるんだといいたいところだが、説教はもうしない」


 死体売りはゆっくりと警戒しながらも梓宸に近づいた。

 梓宸は銃を拾い上げようとしたが、手がしびれて動かなかった。釘に神経毒が塗ってあったのだ。


「……俺、娘を売った金を元手に明日からまじめに働くよ……だから助けてくれ……金が必要なら何とかして用意する……一か月、いや半年あれば……」


 朱亜は梓宸の手元にある拳銃をけり、その場から遠ざけた。死体売りがそれを拾う。

 ほかにもごみの中に武器がまぎれてないか探したものの、もうないようだった。

 朱亜は馬乗りになり、梓宸の首に手を伸ばす。梓宸はもがいて逃れようとするが、動くことが出来ない。首に手が食い込む。梓宸の罵り声が激しくなった。気道が圧迫され、呼吸ができなくなり声が止まった。骨がきしむ音がした。梓宸は白い泡を吹き始めた。股間の間から生暖かい液体が流れだした。首の骨が折れる音がした。折れた骨のかけらが肉と皮膚を破り、首から出血した。眼球が裏返ったかのように、白目をむいた。

 数分後、男は動かなくなった。


「それぐらいにしときなさい」


 死体売りは調整機能が微妙に壊れてるなと呟き、朱亜に向かって言った。

 折りたたみ棺を組み立てて、男の死体を入れた後、二人は部屋から出ていった。

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