姉を想う妹を想う姉の想い
「あ、あんたたち、こんな所でなんて羨ましいことをしているのよ」
いや、そのツッコミはおかしいでしょう、菊門部長。
「サイテーですね。部活動を抜け出してベッドの上で密会ですか」
うん、普通だ。さすが仏右副部長。
取り敢えずこれらの非難は一切無視して、質問が来る前にこちらから質問をする戦法でいくとするか。
「と、ところで二人は保健室に何の用事ですか」
「ああ、実は乃子ちゃんがつまずいて膝小僧をすりむいちゃったのよ。たいしたことないって言うけど血も出てるし、膿んだりしたら大変でしょう。だからここに連れてきたの」
「それはまたとんだ災難でしたね」
と言いながらおせんさんとボクはベッドに座り直し、少しずつ間を広げていく。特に意味はない。
「ところで内ちゃん、その女の子は誰なの。ウチの制服みたいだけどここの生徒? おまんちゃんはどこへ行ったの」
「え、えっと、ですね……」
怖れていた質問が来たか。頭を真っ白にしている場合ではない。考えろ、考えるんだ。高速回転を始めたボクの脳細胞は急ごしらえの大嘘を垂れ流し始めた。
「彼女はおまんさんの遠縁で鶴亀おせんさんです。『こと座流星群を見ているなう』とメールをしたところ『私も見たい。父に車を出してもらうから校門まで迎えに来て』と三十分前にメールの返信があり、おまんさん共々校門まで出迎えたところ、おまんさんが『もう飽きた。わしは帰る』と言って車に乗って帰ってしまったので、ひとまず保健室で一休みしようかとベッドに腰掛けたところ、バランスを崩して抱きあう形になってしまい、そこへ偶然にも部長たちが来てしまったので、声を掛けるに掛けられず、そのままじっとしていたら、くしゃみによってバレてしまったといわけです。ふう」
かなり無理がある言い訳だな。さてどこまで騙せただろうか。
「あら、そうなの。大変だったわね」
「了解しました」
二人とも完全に信じ切っているじゃないか。いいのか、こんなに簡単に他人を信用して。もう少し疑いの心を持てよ。
「ねえ、私、流れ星を見たことないの。早く見に行きましょう」
おせんさんの言葉遣いがいつもと違う。女子高生を演じているのか。それともこれが本当の彼女なのか。
「そうね。おまんちゃんが帰っちゃったのは残念だけど、乃子ちゃんの治療が終わったらこの四人で観測会の続きをしましょうか」
やれやれ。何とか危機は脱出できたようだ。
それからは楽しい時間を過ごした。流星が流れるたびに歓声を上げるおせんさん。缶入りのホットココアも、寝袋に入って夜空を見上げることも、望遠鏡から見る星空も、四人でお喋りすることも、おせんさんにとっては全て初めての経験だった。
「お友達と一緒に過ごすことがこんなに楽しいなんて思いもしなかった。幸せだわ」
「あら、おせんちゃんだってお友達の一人くらいいるでしょう。この学校の生徒なんだし」
まずい。セーラー服の説明をしていなかった。
「あ、違うんです菊門部長。このセーラー服はおまんさんから借りたもので、おせんさんは学校に通わず、すべて家庭教師に教えてもらっているんです」
「そうなの。鶴亀家って親類まで大金持ちなのね。羨ましくなっちゃうわ」
「その美貌とお金、少しわけてください」
どさくさに紛れて仏右副部長は何を言ってるんだ。しかしこの二人の頭が単純でよかった。人並みの頭脳だったら絶対に騙せなかっただろう。
楽しい時はあっという間に過ぎていく。東の空が白み始めた頃、金星と木星が昇ってきた。近くには細い月も見えている。
「素敵、まるで双子みたい!」
おせんさんが歓声をあげた。明けの明星マイナス四等星の金星が華々しく輝き、そのすぐ下にマイナス二等星の木星が控えめな光を放っている。まるで姉と妹のようだ。
「もう一時間もしないうちに日の出ね。そろそろ観測会はお開きにしましょうか」
「はい。菊門部長、仏右副部長、今日はありがとうございました。あ、片付けるの手伝います」
ひとりで望遠鏡を運ぼうとしている菊門部長に手を貸そうとしたが、きっぱりと断られた。
「いいのよ。これくらいあちき一人で運べるわ。それよりも内ちゃんはあの女の子のお相手をしてあげて。まだ満足できないみたいよ」
おせんさんは東の空を眺めている。曙光に照らされた横顔が美しい。星空ではなくおせんさんを眺め続けていたいくらいだ。
だが、このまま放っておくわけにはいかない。午前六時までに保健室に戻っていないとおまんさんに怪しまれるだろう。
「おせんさん、戻ろうか」
「はい」
おせんさんもわかっているようだ。素直に言うことを聞いてくれた。二人で屋上を出て階段を降りる。と、おせんさんが立ち止まった。
「ねえ、六時までまだ時間があるでしょう。少し学校を見て回ってもいいかな」
もう演技の必要はないのにまだ女子高生の口調になっている。よほど嬉しいのだろう。無理もない。屋敷の外に出てこんな体験をするのは生れて初めてだろうからな。
「うん、いいよ。こんな機会は滅多にないし、思う存分見て回ろう」
ボクとおせんさんは新入生のように校舎内を歩き回った。教室は全て鍵がかかっているので窓から覗くだけだが、それでもおせんさんは楽しそうだった。セーラー服を着て軽やかに歩く姿は本当の女子高生のように見えた。
「ふふふ、私と同じ年頃の女の子はみんなここでお喋りをして、勉強をして、遊んで、食べて、そして男の子と手を繋いで歩いたりしているのね。毎日が本当に楽しいのでしょうねえ」
それは恐らくこれまでずっと誰にも言えなかったおせんさんの本音なのだろう。おまんさんの裏の存在として七十年間も屋敷の中で生きてきたおせんさんにとっては、校舎の中を歩くというあまりにも当たり前の行為さえ、至福のひと時として感じられているのだろうな。
(こうしておせんさんを連れ出せたのは部長たちに発見されたおかげだな。感謝しなくちゃ)
時計を見る。六時十分前だ。
「おせんさん、そろそろ戻ろう」
「はい」
一階の保健室へ入ったボクたちはベッドに腰掛けた。おせんさんが深々と頭を下げた。
「内様、今宵は本当に楽しい時を過ごさせていただきました。深く感謝します」
仕草も口調も元のおせんさんに戻っている。ちょっと残念だ。
「お礼なんかいいよ。それに星を見て校舎を歩いただけじゃないか。たいしたことじゃないよ」
「いいえ。私にとっては何もかも初めての経験。これだけの良き思い出を残せたのですから、もはやこの世に何の未練もございません。今の私に残された望みは内様の子を宿すこと。セーラー服姿の私ならば内様も致しやすいのではないですか、さあ……」
おせんさんが抱きついてきた。その体をそっと引き離す。
「ごめん、まだ結論を出せてないんだ。それにおまんさんに何もかも打ち明けるって言ったけど、それもできていない。もう少し待ってくれないかな」
おせんさんはクスリと笑った。愛らしい笑顔だ。
「いいえ、姉に話をする必要はありません。今日のことでわかりました。姉は知っています、私の存在を」
にわかには信じられなかった。おまんさんの行動は完全におせんさんの存在を無視している。今日だってボクが誘い出さなかったら、あの二人に入れ替わりの現場を目撃されていたはずだ。
「そんなはずがないよ。おまんさんは何も知らない」
「いいえ。ようやくわかったのです。内様に夜這いをしたのも、高校に入学したのも、セーラー服を着たのも、今日ここへ来たのも、全ては私を想っての行動なのです」
「いや、違うよ、おまんさんに人を思いやる気持ちなんて……」
「それでは直接姉に聞いてください。そろそろ入れ替わる時刻です……」
おせんさんの笑顔が薄れていく。握り締めた手の感触が固くなる。黒髪が白髪に変わった、と思う間もなく、眉間に皺を寄せてこちらを見るおまんさんがそこにいた。
「おまんさん、今のおせんさんの話、本当なの」
「ああ、本当じゃ。気づいておったよ。気づけぬはずがなかろう。わしらは双子。片方が気づいて片方が気づけぬことなどあるもんかい」
「なら、どうして黙っていたんですか。どうして知らないふりなんか……」
「皆がそれを望んでいたからじゃよ。父様も母様もわしには話そうとしなかった。何も教えないほうがわしのためじゃと思っておった。だからわしは知らないふりを続けたのじゃ。無論、幼い頃は何もわからなかった。四日に一度、不思議な夢を見る。その夢の中でわしはおせんと呼ばれ父様や母様と一緒に菓子を食っている。変わった夢だ、その程度の認識しかなかった。じゃが年を経るにつれそれは違和感に変わった。その夢を見た朝はひどく疲れる。眠りについた時と別の場所で目覚めたりもする。そんな時は父様も母様もひどくうろたえている。何かが起こっている、わしの知らない何かが。そんな疑念が芽生え始めた時、あの出来事が起きた。覚えておろう。おまえさんに聞かせてやった冷蔵庫のプリンの話。あれがわしの疑念を確信に変えたのじゃ。夢の中のおせんは現実に存在している。四日に一度わしと入れ替わっている。それを知ってからは夢の内容をできる限り記録に留めるようにした。わしがおせんを知る唯一の手掛かりは四日に一度の夢だけなのじゃからな」
「それなら、あの呪いも知っているんですか。子を宿せば永遠に裏に固定される、あの呪いも」
おまんさんは無言で頷いた。おせんさんの言葉通りだ。おまんさんは何もかも知っていたんだ。
「どうしてですか。どうしてそれを知っていて子を宿そうとしたんですか。二度と表に戻れなくてもいいんですか」
おまんさんはこちらを向くと笑顔を浮かべた。それはこれまでのような悪魔的な笑いではなく、優しく、そして心なしか寂し気な笑顔だった。
「おせんに幸せになって欲しかったからじゃよ。内クン、おまえさんの結論はすでに出ておるはずじゃ。一番いいのはわしが子を宿しておせんを表に固定させること。わしもそれを望んでおる。今日までの七十年間、わしはおせんを見続けてきた。父様や母様が生きていた頃はまだよかった。話し相手がいたのじゃからな。しかし二人が逝った後のおせんは実に哀れじゃった。雨戸を開けた座敷の縁側に座り、たった一人で星空ばかりを眺めていた。誰とも会わず、誰とも話さず、ずっと自分を責め続けていた。もし自分が黄泉の国から戻らなかったら、姉は普通の女としての人生を送れたはず。嫁に行き、子を作り、父様や母様に孫の顔を見せてあげられたはず。それができなかったのは自分のせい。現世に戻ることを願った自分のせいで、姉も両親も不幸にしてしまった。そんな風に自分を責めながら孤独の時をひたすら耐え続けていたのじゃ。そんなおせんが不憫でのう、哀れでのう。何かしてやりたいと思っても何もできぬ。優しい言葉も掛けてやれぬ。抱き締めて慰めてやることもできぬ。わしらは表裏一体。表と裏は決して交われぬ。皮肉なものじゃ。これほど身近にいながらこれほど縁遠い双子はわしらだけであろうな」
おまんさんの眉間の皺がいつになく深く感じられる。憂愁に満ちた口調で語られる言葉が、ボクの心にも憐憫の情を引き起こす。おまんさんもおせんさんと同じく、何もしてやれない自分を責めていたのかもしれない。
「内っちゃんから孫を預かって欲しいという話を聞いた時、もはやこれに賭けるしかないと思った。後はおせんの言葉通りじゃ。屋敷に初めて来た日、わざわざ零時前に夜這いをしたのはおまえさんとおせんを引き合わせるため。高校入学もセーラー服も天文部も今夜ここへ来たのも、すべておせんのためじゃ。あの娘は喜んでおったじゃろう。楽しんでおったじゃろう。あんなに嬉しそうな笑顔を見たのは初めてじゃ。内クン、礼を言うぞ。これからもおせんをよろしく頼みますじゃ」
「おまんさん……」
ああ、そうだ。ボクはとんでもない思い違いをしていた。おまんさんはおせんさんの双子の姉。悪い人であるはずがないじゃないか。年を取って少々捻くれてしまってはいるが、心根の優しさはおせんさんにも引けを取らない。二人の深い情愛の泉からは相手を思いやる気持ちがこんこんと湧き出ているのだ。
「おまんさん、謝ります。今まで粗野で自分勝手で強引でワガママでどうしようもないお婆さんだとばかり思っていました。本当はこんなに情の厚い女性だったんですね。任せてください。おせんさんはきっとボクが幸せにしてみせます」
「そうか、ならばさっそく致すかのう」
いきなりおまんさんが覆いかぶさってきた。ベッドに押し倒される。
「ちょ、ちょっと何をするんですか」
「今更何を言っておる。結論は出ておるではないか。おせんを幸せにするにはわしとやって子を作ること。そもそもここへ来たのは闇夜のセーラー服姿にムラムラしたからじゃろう。その続きを今やるのじゃ」
「あれは入れ替わり現場を目撃されないための嘘です。それに全てを知っているのならボクの考えもわかっているでしょう。子を作らずにおせんさんを表に長く留める方法があるかもしれないってこと」
「阿呆か。そんな手段があるのならわしがとっくに実行しておるわい。諦めて抱かれよ、いや抱けか。どちらでもいい、早く致せ」
おまんさんの手がズボンのベルトにかかる。慌てて振り解いて起き上がりベッドの脇に立つ。
「無理ですよ。おまんさんとはできません」
「ならばおせんとやって子を作るのか。そうなればわしと夫婦になり、命果てるまでわしと我が子の面倒を見てもらうことになるが、それでもいいのか」
「い、いや、それは……」
不意におまんさんの体におせんさんの姿が重なって見えた。おせんさんは眉をひそめてボクに語り掛けてくる。
『内様、はっきりしてくださいませ』
「内クン、はっきりせい」
『私と姉のどちらを選ぶのですか』
「わしかおせんか、どちらを選ぶのじゃ」
二人の声が重なって聞こえてくる。ボクは耳を塞ぐと自分の運命を呪うが如く涙混じりに絶叫した。
「そんなに強引に迫られたって、どっちもどっちで選べないよおー!」
好色老媼裏表子作り合戦 沢田和早 @123456789
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