第20話 パイナップルヘッド

夕方6時を過ぎた頃、病院で治療を受けた﨑田教頭が帰ってきた。傷口をしっかり縫合してもらい、頭に包帯を巻いていた。足取りはしっかりとしており、職員室に入るなり、

「ご心配をおかけしました」

と、しおらしい態度で小さな声を漏らした。

付き添った4年主任も、大役を務め上げて席に着く。長い時間自由を奪われて疲れた様子だった。中学年の島で、病院での出来事を話してくれた。

タクシーの中から電話で奥さんに連絡を入れていた。大きな病院に着いても奥様がなかなか来なかったので、診察を待つ間、ずっと貧乏ゆすりしながら、ちっとも落ち着かない様子で、やっとこさ姿を見せた奥様に開口一番、

「何してたんだ!遅い!」

と、言葉を吐き捨てたらしい。自分が勝手に怪我をしていて、校務もまっとうせず、多くの人に迷惑と心配をかけたというのに、いきなり怪我をした、頭を切ったという知らせを受け、慌てて家を飛び出した、道中気が気でならなかった奥様の気持ちを慮ることはできないのか、他の人がいる手前、照れ臭くて逆に強く出るのか、本当に、相手の気持ちの分からない人だ。奥様は所有物や奴隷ではない。心配して駆けつけたのに、最初のセリフが「遅い」では何もしてあげたくなくなる。

「で?奥様は何とおっしゃったのですか?」

という私の質問に、4年主任さんは、

「奥様は、『すみません』とだけ言って、私に謝罪めいた言葉をかけてくださいました。それでも、教頭先生がイライラしていて、私にも旦那さんにもペコペコ謝るという…」

何ともやるせない表情で様子を話してくださった。気の毒に思った。主任も奥様も、付き添って嫌な思いで終わっているではないか。

心配して帰るに帰れず職員室に残っていた職員が、次々に、教頭の側に駆け寄り、

「教頭先生ぃ〜」

とか、

「大丈夫ですかぁ?」

などと労りの声をかけた。

「はい、もう、すみません。お恥ずかしい」

ペコペコ頭を下げるその姿が、パイナップルが踊っているように見えた。頭に巻かれたネット状の包帯が髪の毛を押し上げて、まるでパイナップルみたいになっているのだ。髪の毛の量は豊富な人なので、網からはみ出た髪はまるでパイナップルのトゲトゲした葉の部分のようになってしまっている。一声かけて自席に戻ってくる面々の顔には、吹き出したいのを我慢する表情やお互いに目配せする様子や口元が緩んでいて、完全なる社交辞令アクションであることを示していた。

「今日のうちに帰ってきたかぁ」

と残念そうに呟く男性職員もいた。同感である。2、3日入院とか、検査が必要とか、頭のことだから安静になどで休んでくれればよかったのにと誰もが思っていたことだった。

それから1週間くらい、事あるごとに、あるいは、誰かと話している最中に、目をつぶり、こめかみ辺りを指で押さえてきつそうな仕草を見せる教頭を何人の職員が目撃した(させられた)だろう。その都度、「大丈夫ですか」と言わなければ、たちまち「チッ」と舌打ちされて小さな嫌がらせをされるのである。迷惑な輩だ。


あとから、ずいぶんあとから、詳しく言えば、半年経った4月に聞いた話だが、実は、怪我をしたその日、教頭は、病院にいたであろう時刻と学校に帰ってきてからと私たちが退庁してからの何回かに渡って、PTA会長に携帯で電話を入れており、「お見舞いの言葉を告げに来い」と要求していたことが分かった。

いったいどういうことかというと、まず、大きな病院に向かって、処置を待たされている間に会長さんの携帯に着信があったらしい。会議中だったので、出ることができずに流していると、時間をおかずに3回ほどかけて来たという。何事かと思い、会議が終わって折り返すと、今度は教頭の方が電話に出られなくて、なかなか通じなかった。なので、今度は、学校にかけてみた。すると、教頭が怪我をしたという話を聞いたので、会長はすぐピンときて、お見舞いの要請だなと察したようだった。

仕事を終えて再び教頭の携帯に電話をしたら、

「頭を怪我した。PTAの執行部の方たちは、次々にお見舞いの電話をかけて来ている。会長であるあなたが何もないのは非常識な話だ」

と言われたそうである。えっ?と思いはしたそうである。執行部がお見舞い?電話?どうやって知ったの?全部教頭の嘘(希望)なのである。これでは終わらない。

遅くなってもいいから、いや、むしろ遅い時間に学校まで来いと言ったらしい。見舞う気持ちを行動で示せと…。しかも、職員がいなくなってしまう時間帯に…。

午後8時ごろに仕事を終え帰宅もせずに学校に呼ばれた会長さん。職員室の戸をノックするや否や横柄な返事が聞こえ、戸を開けて「この度は…大変な…」

最後まで言い切らないうちに、

「土下座でしょう」

と言われたそうだ。

「PTA会長として、まずは何をおいても馳せ参じなければならないでしょう」

と言ったそうである。

「???怪我の経緯やそもそも怪我をされたこと自体を把握しておりませんで…」

と言うと、

「チッ!だから、私の電話を無視することがあり得ないのです」

と言い、さらに、

「会長としての自覚、素養が足りていない証拠です」

と罵られたそうだ。そして、再び、

「土下座でしょう」

と言ったという。

そんなことが本当にあったのだろうか。

「副会長の〇〇さんや会計の〇〇さんからは、すぐに丁重なお見舞いの言葉がかかって来た」

とも言い、みんな私を心配してくれた。と満足そうに言っていたらしい。しかし、よく考えてみよう。岩戸の職員は、誰もPTAには連絡してないし、そもそも自損で怪我したことを誰が好んでアナウンスするだろう。いや、誰もしやしない。副会長や会計、その他保護者が知ってるはずはない。なのに、妙な言いがかりをつけて、会長いじめを行ったのである。職員がいなくなったホームな環境で。

仕方なく、会長さんは、見舞いが遅れたこと、普段の至らなさを、土下座で反省させられたという。

10月のこの日のことを、誰にも言わず(言えず)に、会長就任からその重圧や多忙さに心身の不調をきたしていたので、夫婦で心療内科に通っていたという。この件があってますます症状が悪化し、薬を服用するまでに至ったという。

そのことをずっと夫婦間でしか共有できずに、私たちの知らないところで、私たちが受けているようないじめを受けて苦しんでおられたのだ。岩戸小は、会長の任期が2年だった。本来ならば今年度と来年度の任務になるはずであったが、このようなことがあったせいで、3学期には、継続できない意思を告げ、異例だが、一年限りの就任となってしまったのだ。


4月に新旧役員の方々、地域でお世話になっている役員さん方と岩戸職員が宴席を持つ会がある。その際、この会長さんは、職員のテーブルを一つ一つ回って、一年で交代したことを詫びていた。私のテーブルに来られて、私の隣でお酒を噛み交わした時、

「息子はいるのに、せっかく仰せつかった役目なのに、投げ出す形になってすみません」

と仰ったので、

「気になさらずに、この一年間お疲れ様でした。いろいろと大変だったでしょう?」

と声をかけると、堰を切ったように、前述の告白が始まったのである。

「仕事中に何度も電話があり、すぐにでないと、出るまでしつこく送信されました。私も仕事をしています。学校の時間とは違う時間で動いております。会議中などは本当に出れないんです」

「そうだったのですか」

「私に繋がらないときは、家内にかかってきましたが、家内では分からないことや意味不明な要求があって、家内も精神を病んでいきました」

「えーっ!そんな…」

「私が先に病院に罹りました」

「精神的な?」

「はい。そのうち家内も受診するようになって、2人で薬を飲んでいます」

「会長さんになられてからってことですか?」

「はい。プレッシャーに弱いってところもあるのですが、気が弱いというか…」

「それって明らかに、﨑田教頭のせいでしょう?私たちも毎日相当やられましたもの」

「先生方でもですか?私はてっきり職業蔑視なのではないかと…」

「蔑視も確かにあるかもしれませんが、あの人がいた時は、誰かが嫌がらせや意地悪をされていたのです。あの人は、自分より下に誰かを置いて、精神的に優位に立っていたがるんです」

「教頭先生が頭を怪我されたことがあったでしょう?あの時ほど悔しかったことはありません」

「何があったのですか?遠足で自分で滑って怪我したんですよ。まさか、人のせいにしたとか?」

「あの日もお昼過ぎくらいから再三電話があってて、やっと折り返し出来た時にはご立腹で、『仕事を終えたら連絡しろ』と言われて、そのようにしたら、『顔を出せ』と言われ、行ってみたら、『土下座しろ』でした」

「土下座!?」

「執行部の方々はいち早く見舞いの言葉を伝えてくれたのに、会長たるあなたは動きが遅い。しかも言われないとできないのか!」

と言われたという。

「へっ?執行部の見舞いの言葉?そんなのあったのかいな。そもそも、彼が怪我したことをどうやって知るの?自分でひっくり返って頭切って病院運びになって何がお見舞いですかね」

「私は、怪我された原因も何もしらなかったものですから、とにかく言われるままに駆けつけたらそのように…」

「だからか、早く帰った方がいいですよと言っても、すったもんだ言いながら残ってたもんね」

「おそらく、先生方がどなたもいらっしゃらなくなってから私を呼んだのだと思います。それ以外にもそういうことは何度かありましたから」

「うわぁ、会長さんがそんな仕打ちをされていたなんて、お辛かったですね」

「いえ、私がいたらないものですから。前の会長さんではなかったことだと思うのです。私が気が利かなくて」

「そんなことないですよ。私たちは、とっても話しやすかったですし、おかげさまで助かりましたよ」

と言うと、

「ホントすみません。2年間の任期が全うできなくて」

そう言って、悔しいと涙を流された。まるで、私たち職員が、一年で交代した会長さんを責めているかのような絵図になっていた。心配して、回ってきた他のテーブルだった職員に事情を告げると、

「頭くるね。いや、あっちから見ていたら、松田さんが会長さんを泣かしているように見えたからさ」

「ええぇー!ひどい。そんなことするわけ………あるかも?ね」

「いえいえ、すみません」

会長さんが涙を拭いながら笑顔に戻った。会長さんの負った傷を消すことはできないけれど、何故かこの時、同じ痛みを知る同士の感覚を抱いていた。

それにしても、﨑田教頭の悪行悪事は、職員を通り越して保護者にまで及んでおり、それぞれの知らないところで想像以上のえげつなさに到達していた。おそらく、勝手に思うに、あらゆる学校で、彼の人権侵害的な攻撃を受けた被害者はたくさんいるのだと確信する。


岩戸小で2年間同僚として一緒に過ごし、これまで20話に至る没さ加減を整理してきたが、きっと、教職に就いてからの各赴任地で、似たような、または、それ以上の、果ては想像を絶する奇々怪々な出来事を引き起こしてきたことだろう。こんな人物が世の中にはいくらかいるとして、しかし、教育界にしかも管理職として生きていることに、なぜか私の方が慚愧の念を抱いてしまう。どういう思いがそうさせるのかは分からないのだが、嫌っていながら『教員同士』『職場の同僚』という共通項があることに、幾分かの後ろめたさが生じているのかもしれない。私の教員人生の一部、キャリアに彼が関わっていたことが、貴重なものであるとともに大きな染みであることは事実なのだ。実習生として出会い、上司として再会し、人生において2度も関わってしまった。彼の嫌がらせに精神をすり減らされ、それでも健気に一生懸命に、一人で、あるいはタッグで、さらにはチームで挑み乗り越えてきたことを、これからの糧にして生きていこう。3度目の共働がないことを願って…。 完

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没chan @vitamin-mj

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