三日目

洗濯機の音で目を覚ます朝。

「おはよう」

「おはよう」

どちらともなく挨拶する。

窓から入り込む日差しが晴天であると教えてくれた。


「自転車で島を一周してみない?」

「いいね」

イチゴジャムを塗った食パンを齧りながら、二人でそんなたわいもない話をした。


まず西海岸を目指し、時計回りに島を巡ろうということになった。

天気は良いが、南風が少し強く生暖かい。

指定席となった自転車の後部座席で、彼女は髪がべたつくのを嫌って髪をかきあげた。

細切れになった雲が群れをなし、青空を北に向かって流れていく。

「まるで鮭の群れのようね」

「北へ帰るにはまだ早いよ」

「分かってる」

彼女は彼の背中を軽く叩いた。


荒れた舗装道路は徐々に上り坂になり、昨日歩いた浜辺を眼下に沈めていく。

しばらく進むと、大きく北側にカーブする。

南からの風が追い風となったが、坂も急になったのでプラスマイナスゼロ。

少しでも楽をしようと蛇行して車道と路側帯を行き来する。

車が来ないからやりたい放題。

というか、朝から人の姿を見ていない。

「無人島に来たみたいね」

「人が住んでいる痕跡があるだけに、余計物悲しいよ」

北へ続く坂の向こうに大きな風車が三つ並んでいるのが見えた。

風力発電の風車だ。

大規模な発電所を作ることができない離島での電力事情は逼迫していている。

電気だけではなく、水や燃料、その他インフラの確保も全てにおいて。

街中に住んでいると勝手に湧いて出るものだと思いがちだが、ライフラインは人の手によって保たれているということがこの島にいるとよくわかる。

‥‥補修されず、穴だらけひび割れだらけの舗装道路に悪戦苦闘している彼にはそれが実感できた。

南からの強風を受けて張り切って羽を回している姿を見上げ、

「がんばれよ」

彼はあえぐように呟いた。


島の北側には、少し大きめの集落があった。

島の住民は、港とここの集落中心に住んでいるようだ。

「島のすっぴんを見た気分ね」

彼女は、地元民向けの飾らない素の街並みを快く思わなかったようだった。

島の南側は観光客を意識して宿なり港などが多少整備されているが、北の集落は完全に地元向けで昭和を感じさせる街並みに塗装の剥げ落ちた飾り気のない建物が立ち並んでいた。

しかし彼の方は、こっちの街並みの方に胸を躍らせていた。

寂れてしまった地方にある故郷と同じ匂いがするから。

どこにでもあると思っていたコンビニの一軒もなく、涼むためのコーヒーショップの類もない。

仕方なく、錆びついた自動販売機の前で自転車を止める。

見慣れないブランド、知らない味の飲料が並んでいた。

「これ見て。お米のジュースだって」

彼女が購入ボタンを押すと、古めかしいスチール缶が転がり出た。

「何だそれ、味が気になるな」

「でしょう?そういうと思って買ってあげたよ」

「‥飲むの俺かよ」

「私は普通にさんぴん茶を飲むよ」

さんぴん茶、つまりジャスミンティー。

彼女は自分だけ無難なものを飲んだ。

ちなみに米ジュースは乾ききった喉を潤すのに圧倒的に向いていなかった。

濃厚で粘つく薄甘い液体は、清涼感のかけらも無かったから。


また来いよと手を振る島民。

またくるよと船から手を振る観光客。

離島ならではの日常。

二人は見送り側に混ざって手を振っていた。

港ではちょうど本島行きの船が出るところで、9月にしては多めの客を乗せていた

見送りはまばらだった。

8月の繁忙期にはたくさんの客と見送りがいて、それはもう賑やかなのだそうだ。

おととい高速フェリーで渡航してきた港だが、なんだか既に懐かしい。

ずいぶん長いことこの島に滞在しているような気がしたから。

「明日は、ああやって見送られるのかな」

彼女は彼のシャツの裾を握りしめた。

「また」来ればいいと言いかけて、彼は止めた。

見送りの島民に混ざって手を振っていると、真っ黒に日焼けしたおじさんが不思議そうな顔で話しかけてきた。

「あれ、あんたたちは帰らないのかい?」

「明日帰ります」

「たぶん船は出ないよ」

「えっ」

「台風が来てるからな。だからみんな予定を繰り上げて帰ったんだ」

慌ててスマホを取り出す。港は辛うじて電波が入る。天気予報のサイトを見ると、昨日の午後に南海上で台風が発生して、進路予測に島がすっぽりと収まっていて逃げられない。

「どうしよう」

彼女が不安そうな顔で彼の顔を覗き込んだ。

「明日船が動くことに賭けるさ」

本土行きの船は一日一便しかないから焦っても仕方ない。

「欠航してもいいよ、別に」

「そうだね」

二人はバカンスが伸びるかもしれないことが純粋に嬉しかった。

この平凡な日常がいつまでも続いて欲しかったから。


二人は予定通り定食屋をみつけて入ったが、運の悪いことは続くもので。

日替わり定食として出てきた刺身定食が口に合わなかった。

完全に刺身一色の頭だったのに、ブダイと呼ばれる白身の魚と甘めの醤油との組み合わせになじめず、刺身欲が不完全燃焼。

「明日も来よう‥」

彼女は諦めきれないようだった。


港から帰宅した頃には、雲が空を覆って暗くなっていた。

すっかり習慣になってしまった昼寝から目を覚ますと、完全に夜の帳が下りていた。

夕食にはミートソースのパスタを作り、インスタントコーヒーを飲みながらカードゲームをして過ごした。

テレビもなくスマホの電波も入らないので、ほかにすることがなかったから。

スマホは音楽プレイヤーとして活躍してくれた。

好きだった曲のプレイリストをスマホから流して室内BGMにした。

数年前の夏に立ち寄ったコーヒーショップでたまたま流れていて、二人して聞き惚れた。

ダウンロード販売しておらず、二人で中古CD屋を探し回って見つけた思い出の曲。

二人でいるときに何百回と流して聞き飽きた曲。

「久しぶりに聴くと、やっぱりいいね」

「マイナーだけど、僕たち二人同時に気に入ったってのは、知られざる名曲なんだよ」

「違うわ。きっと私たちと相性が良かったのよ」


「ずっとこうして過ごしたいね」

「そうだね」

それが叶わないのは、二人ともわかっていた

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