鞄いっぱいのチョコレイト
三津凛
第1話
国境が交差するように、駅舎は人の往来が多い。端の方では、一目で難民と分かる浅黒い人たちが固まって暖を取っている。
その横を郵便局員が足早に過ぎていく。列車が止まり、再び走りだしていく。飽くことなく、倦むことなく。
ワリーリャは男用の外套を羽織って、見送られに来た。男用の外套しかないのを、母は不憫がっていたがワリーリャにとっては誇らしいことだった。女で志願するものがそう多くはないことの証だ。飛び込んで行く女の子は選ばれた少女であるはずだ。
父や母や、その他大勢の親戚たちに連れられてワリーリャは初めて駅というものにやって来た。畑の向こうから眺めていた駅舎は、実際に降り立つと煤で汚れていて、小さかった。労働者たちが煤だらけになるのも当たり前だ。
「なるべく、手紙を書くんだよ」
母はくどいほど心配した。
父は無言で、まだ怒っているようだった。それから、沢山の親戚たち。
彼らは一斉にワリーリャにチョコレイトを渡した。それを、父が無言のまま皮の鞄に詰め込む。
甘味の少なくなったこの国に、こんなに沢山のチョコレイトがあるのかとワリーリャは驚いた。だから、ワリーリャは無邪気に喜んだ。軍人になって、よかったと心底思った。
ワリーリャよりも年少の少年少女たちは、それを羨ましそうに見ている。誇らしくなって、ワリーリャは大人用の軍帽を目深に被った。
本当は喜ぶべきなのだ。ワリーリャは不満だった。
大人たちの顔色は一様に暗い。空は鈍色で駅舎はどこまでも埃っぽかった。浅黒い難民たちが、その様子を興味深そうに眺めている。
列車が止まり、再び走りだしていく。飽くことなく、倦むことなく。運転手と車掌、労働者たちがワリーリャたちの周りを横切っていく。何人かはこの惜別に顔を背けた。
ワリーリャにとっては、喜ばしいことだった。甘味の少なくなったこの国と、小さくなった子供たち、口数の少なくなった大人たちを変えに行くのだ。外套の引きずるほどの長さと、軍帽の重さはワリーリャには勲章だった。
それなのに、大人たちの顔色は一様に暗く、駅舎はどこまでも埃っぽい……。
粉の浮くコーヒーを、難民の一人が啜っていた。片腕を無くしたまま、無気力に駅舎にとどまっている。彼は煤のように黒い。戦地へと誰かを送り出そうとする集団を認めて、彼はそれを静かに見守った。
男用の外套を羽織った少女の鞄には、チョコレイトが詰め込まれていた。それは粗い銀紙に包まれて、抱き合う人々にも揉まれて半分皮の鞄から飛び出していた。それを、少女よりもさらに年少の少年少女たちが眩しそうに眺めている。そして、半分恨めしそうに指を咥えている。甘味の少ないこの頃に、こんなに沢山のチョコレイトは不謹慎だった。だが、誰もそれを咎める者はいない。無邪気な子供たちだけが、それに怒っていた。
色の悪く、足が棒のような痩せっぽちの子供たち。少女は大人たちが談笑する合間の微妙な沈黙に、詰め込まれたチョコレイトを特に幼い男の子にこっそりと渡した。
やがて霧雨が粉をまぶすように降り始めた。駅舎に屯する客たちは一斉に列車に乗り込みだした。少女も促されて、列車に乗り込む。
男用の外套に、大きな軍帽を被ってしまうと少女は少年のように見えた。肉の薄い身体は、まるで成長というものを感じさせないのだ。それに重い皮の鞄とチョコレイトが霧雨に濡れる。しばらくすると、雨は本降りになるだろう。列車は駆け出す前の蒸気をあげ始める。車掌が走りだし、手をあげて合図を送る。石炭を釜に投げ込む労働者の黒い背中が、筋骨隆々たる牛を思わせた。
少女は大人たちに押されながら、車窓をあける。雨が振り込むのも構わず、外套が濡れて重くなっていくのにも気づかずに、力一杯手を振った。それを、他の乗客たちは何とも言えない顔でじっと眺めている。
駅舎で傘も差さずに見送る大人たちも、同じ顔をしている。それを、次第に強くなる雨がスノウドウムのように囲む。
列車が走り出す。雨が本降りになって、開け放たれたままの車窓に吹き込んでいく。少女は静かに見えなくなっていく。それを見守る大人たちも鈍色に沈んで、すぐそれと分からなくなった。
車窓から差し出されて振られる手だけが、しばらく駅舎から見えていた。
鞄いっぱいのチョコレイト 三津凛 @mitsurin12
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