三門ハナについて
ハナさん。
三門ハナについて僕が知っていることは、きっと少ない。
髪の色がコロコロ変わる派手な同級生。いつも来賓用のスリッパをぺたぺた鳴らしながら歩く園芸部員。嘘が苦手で超がつく程の正直者。成績は下の下で教師からの評判も今ひとつ。交友関係はよく知らないが、僕以外の誰かと話している様子を見たことはない。そのくせ悪い噂はあちこちで聞こえてくる。
クラスが離れていることもあって、僕たちの関係にはどこかよそよそしい距離感が見え隠れしていた。放課後の中庭で雑談し、同じバスに乗って帰る。それ以外の接点はほとんどない。時折起きるトラブルと他愛ない世間話。僕たちの間にあるものはそれが全てで、彼女自身が語ろうとしないことをあれこれ聞くのはルール違反のように思えた。
けれど、僕たちはそういう臆病な関係をひどく気に入っていた。
*
彼女と初めて出会ったのは三ヶ月前の春休みのことで、それは僕が一年間所属した吹奏楽部の顧問に退部届を渡した日だった。
その日、僕は人気のない職員室で二回りも年上の顧問に延々と嫌味を言われ、やれ努力が足りないだの、やれ継続力がないだの、好き放題に喋り続ける彼を前にどうすればいいのかわからなくなっていた。
中庭に面して開け放たれた窓の向こうで名前も知らない木々の葉が風に揺れていて、その頼りない様子が少しだけ哀れに思え、ふと今目の前にいる先生も僕と同じ人間なのだということに気づいた。
大人になることと正しく生きていくことは違う。
そんな当たり前のことに、僕は得体のしれない不安と悲しみを覚える。
しばらくして開放された僕は、下駄箱で靴を履き替えて中庭に出た。ただ校門へ抜けるための最短ルートを選んだだけで、そこに深い意味はない。
けれど、まるで僕のことを待っていたかのようにハナさんはそこにいたのだ。
「部活辞めたんだって? 災難だったねえ」
学校指定のブルーのジャージを気だるげに着崩した彼女は、スコップを手に花壇の中に座り込んでいた。そこはちょうど職員室の窓の真下で、僕と先生との会話を聞かれていたのだということはすぐにわかった。
「センセもあんなに言うことないよね。部活ったって自由参加なんだし」
「まあ……はい」
曖昧な返事。
軽く膝を叩いて立ち上がったハナさんの姿に、少しだけ緊張したことを覚えている。確かあの頃、ハナさんはベージュからピンクのグラデーションが鮮やかな長い髪をしていた。
「っていうか、努力とか継続力とか? 教えるのもセンセの仕事じゃない?」
彼女は勢いよく花壇から飛び出すと、大きく伸びをしてから続ける。
「うん、やっぱ納得いかないね。ちょっと言ってくる!」
そう言い残して、ハナさんは職員室に突撃して行ったのだった。
*
出会ってから三ヶ月、何となく始まった僕たちの関係が顔見知りから友達程度に進展する間、ハナさんは他人の喧嘩に割り込んで引っ掻き回し、歩き煙草の青年を咎め、バスで老人に席を譲らず寝たふりを決め込むサラリーマンを叩き起こし、コンビニで傘泥棒を蹴り飛ばし、そうしたトラブルを何度も起こした。
彼女はその度に周囲から冷ややかな視線を浴びせられ、舌打ちされ、時にはスマホのカメラを向けられた。そうして、多くの場合ハナさんの突拍子もない行動で状況が好転することはなかった。
何故なら、ハナさんの行動には大義らしい大義がない。ハナさんは何かを良くするために行動していない。彼女はいつだってやりたいことをやりたいようにやったし、言いたいことを言いたいように言った。それは正義感や義務感から来る行動ではなく、ただ素直で正直だっただけだ。
その自由が、僕にはひどく眩しく映ったから。
「ごめんね、余計なことした?」
二人揃って先生にしこたま怒られた春休みのあの日、帰路についた僕らは少しだけバツが悪かったけれど、困ったような笑顔でそう訊ねる彼女に、僕はこう答えたのだ。
「はい。でも嬉しかったです」
あるいは、僕が感じるべき責任は、その一言にこそあったのかもしれないと、今さらにして僕は気付く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます