エピローグ

 彼が――誠志郎さんが帰ったあと、いつまでもボーッと座っているわけにはいかないからと布団を干したり洗濯をしたりと家事をしながら一日を過ごし、夜には予定通りの時間に父が出張から帰ってきた。ご飯は食べてきたというのでお茶だけを用意して、今日彼から言われたことを話したんだけれど……。


「今ごろ来たのか、誠志郎くんは。遅いにもほどがある」

「お父さん……。もしかして、彼との結婚は反対?」

「反対はしない。ただ、涼香を散々泣かせたのを知っているから、一発入れないと気がすまないというだけだ」


 鼻息も荒くふんっ、と鼻を鳴らした父に苦笑しつつ、心の中で彼に合掌したのだった。父にとっては当然のことなのだろうと思うし。


 そして翌日、誠志郎さんは昨日と同じようにスーツを着て、大きな花束を持って我が家に来た。そして花束を私に渡したあと「涼香さんと結婚をしたいんです。どうか許していただけませんか」と言った彼に、父は宣言通り彼のお腹を一発だけ、わりと軽めに殴ると「涼香はこの家を継ぐから、婿養子ならば」と条件を付けていた。


「僕は三男坊なので婿養子になるのは問題ないですし、僕もそのつもりでいましたから」

「そうか……。プロポーズはしたのか?」

「はい、昨日しました」

「指輪や式はどうするつもりだ?」

「指輪はまだなので明日以降にでも涼香さんと一緒に買いに行こうと考えていますが、式の会場などは涼香さんと話し合って決めたいのです。……もし何か心当たりがあるのならば、相談に乗ってくださると嬉しいです」


 私を置き去りにして、まだ気が早いというのに父と誠志郎さんが結婚式の話を始めてしまった。それに内心溜息をつきつつ、お昼が近いこともあり作ろうとしたんだけれど、父が「お寿司を食べたい」と言ったことから出前を頼むことに。

 出前が来るまで男同士で何やら話しているし、父のことだから「泊まっていけ」と言いかねないので布団を干したり、誠志郎さんの着替えや食材を買いに出かけた。父もお酒が好きだからだと思うんだけれど、買い物に出かける直前にはお酒談義をしていた。

 私はお酒を飲まないので何を言っているのかわからなかったけれど、二人とも楽しそうだからいいかと放置し、「出かけてくる」とだけ告げて自転車で買い物に出かける。さすがに食材やお酒、服を歩いて持ってくる腕力も体力もなかったからだ。

 父は誰かが来ると必ず「すき焼きが食べたい」と言うので、予想して食材はそれらとお刺身、サラダやお惣菜の材料を買うことにし、先に誠志郎さんの着替えを買う。そして買い物をすませ、家に帰って来たら私を待っていたのか、誠志郎さんが玄関から出てきた。


「おかえり、涼香。言ってくれれば一緒に買い物に行ったのに」

「お父さんと楽しそうに話してたのに邪魔するわけにもいかないし、そんなことしないですよ」


 荷物を持ってくれたのでありがたくお願いし、中へと運んでもらう。


「あ、そうだ。親父さんに泊まっていけって言われた」

「やっぱり……。じゃあ、これを渡しておきますね」

「え……」


 彼に手渡したのは、買って来たばかりの真新しい下着とスウェットが入ってる袋だ。あと靴下も。


「まさか、洗濯したとはいえ、先日のをまた着てもらったら父に怪しまれますから」

「あー……そうか。ありがとな」

「いいえ」


 そんな会話をして中へと入る。私は食材を片付け、父はテレビを見て笑っている。


「お父さん、夜はどうする? また出前を頼む?」

「いや、鍋がいい。できればすき焼き。あと、誠志郎くんに泊まるように言ってあるから、客間に布団を用意してくれ」

「わかった」


 やっぱりすき焼きって言った! と苦笑しつつ二階にある客間を掃除し、誠志郎さんに声をかけて案内だけしておく。


「先ほど渡した荷物などはここに置いておいてください」

「ありがとう」


 父がいないのをいいことに、キスをしてからお礼を言う誠志郎さん。そんな彼の行動がいまだに慣れない。

 一緒に住んでいる時も、そんな行動をしたことなどないからだ。


「せ、誠志郎、さんっ」

「……一緒に住んでた時は照れが先にきてできなかったが、これからいっぱい、こうやって行動と言葉で示すから」

「え……」


 散々私を抱いたのに、照れるってなに!?

 唖然としている私にもう一度キスをすると、「下に行こう」と言われて慌てて我に返る。先に行ってもらい、干してある布団を中に入れて敷くと、階下に降りた。

 夕飯までテレビを見たり、将棋を指したりしている二人になんだかほっこりしているうちに時間となったので、支度をし始める。

 お惣菜やサラダを作ったりお新香を切ったり、お刺身を並べたりすき焼きの材料を切ってお皿に並べる。炊き上がったご飯をお茶碗に盛ったりすき焼きを食べる器と卵、刺身用のお皿やお箸などの食器を用意してテーブルに並べる。


「我が家は出汁にお砂糖を入れるんだけれど、誠志郎さんは甘いのは平気ですか?」

「大丈夫だ」

「そうですか。では始めますね」


 そうして鍋に牛の油を入れて溶かし、牛肉を入れる。調味料などを入れて出汁を作り、野菜を入れていく。出来上がったらそれぞれの器にとりわけ、ビールやお酒を出していただきます。

 その時に話していたことなのだけれど、以前の誠志郎さんは会社にお勤めしていたけれど、四、五年前から小説を書き始めて投稿サイトに載せたところ、それが大人気になって書籍化したという。それが給料よりも上になってしまったので、その会社を辞めざるを得なかったのだとか。

 そしてそのペンネームである『おく 志郎しろう』という名前を聞いて、私も父も目を丸くした。


「え……その作者って二年くらい前から、二、三ヶ月ごとにいろんなジャンルを出している作家さんじゃないの!」

「SFやファンタジー、冒険もの……最近は恋愛もあったか? すべてを読んだわけじゃないが、いっぱいあったな、そういえば。我が家にも何冊かある」

「私も何冊か持っているわ。まさか、私と一緒に住んでいた時って……」

「ああ。株をやりながら、小説を書いてた。あの時が一番忙しくて、あちこちから書き下ろしの依頼が来てて……。お金も株に投資したりしてた」


 当時を思い出しているのか、げっそりした顔をしながら溜息をついた。その甲斐があって、今出ている本などは、私と一緒に住んでいたころから書いていたものがほとんどなのだとか。

 そして今も依頼が舞い込んでいるそうで、それなりに忙しいらしい。


「……」

「恋愛ジャンルなんて、涼香と一緒に住み始めてから書き始めたんだからな?」

「え……」

「ああ、そういえば、恋愛ジャンルは今年に入ってからだったね、発売されたのは」


 父がからかうようにそんなことを言うものだから、誠志郎さんは「恋愛ものは経験がものを言うと思っていますから」と照れたように笑う。


 後日聞いた話によると、私と一緒に住んでいる時の経験を生かして書いた話もあると言っていた。確かに彼の書いた小説を読んで、「あ、こんなこと私もやった」って思うシチュエーションがいくつかあったけれど、まさかそれは私自身がモデルだなんて思わないじゃないの!

 それが恥ずかしくて真っ赤になったら「可愛い」って言われて、押し倒されたのは余談だ。


 そんな話をしつつも食事を終え、私が家事をしている間に二人にお風呂に入ってもらい、私も最後にお風呂に入る。戸締りの確認はいつも父がやってくれていたから、私はゆっくりとお風呂に入れるのだ。

 そしてお風呂からあがって二階に行くと、誠志郎さんが待っていた。父の寝室は一階にあるから、話し声も聞こえない。


「どうしたんですか?」

「お礼を言いたくて……。今日はありがとう。親父さんに殴られはしたけど軽いものだったし、涼香がいない間にたくさん話をして、俺の気持ちをわかってくれた」

「そう……」

「あと、お前に借りたお金だけど」

「……はい」

「株で増やしてあるんだ。それを結婚資金にしてもいいか?」

「え……」


 まさか、株に使っていたなんて思いもしなかった。それに、先ほど聞いた話で気づいたことがある。


「もしかして、時々出かけていたのは……」

「出版社の編集さんに会っていた。主に本の内容の相談やプロットの打ち合わせ。あの時お世話になった出版社が、涼香の家から近かったから」

「……私と駅で会ったのも……」

「出版社の帰りだったし、涼香に会いに行こうと思っていた。最寄り駅だけは聞いていたから駅で待ち伏せして、会えたらラッキーくらいに思ってて……。まさか本当に会えるとは思っていなかったけどな。もっとも、会えるまで毎日通うつもりでいたけど」

「……」


 あの時は疑っていたけれど、本当に私に会いに来たんだとは考えてもいなかった。ずぶ濡れだったのは出版社から歩いて来たからで、傘を買おうにも近くにはコンビになどなく出版社にも予備の傘もなかったことから、パソコンが入っている鞄を濡らすのはまずいと編集さんがビニール袋をくれたという。

 お金は確かに自分がほしいものを買ったり株に投資をしていたけれど、たまに実家にも帰っていた。

 そして住んでいたマンションも解約して実家に引っ越そうと考えていたところで私に会ったものだから、悪いと思いつつもそのままズルズルと私の部屋に居つき……。

 さすがにそろそろまずいとマンションやアパートを探し始め、私が出張に出る直前に見つけたからさっさと引っ越したそうだ。

 すぐに挨拶にくるつもりが書き下ろしの書籍の締切に追われ、時間ができたからとマンションに来てみたら私はすでに引っ越したあとだったと、話してくれた。


「……言ってくれればよかったのに」

「言えるわけないだろう? というか、小説書きの男なんて嫌われると思って、言えなかったんだよ……」

「そんなことで嫌ったりしませんよ、私」


 そう言って溜息をつくと、誠志郎さんはがっくりと項垂れたあと、溜息をついた。


「これからも、締切に追われてだらしない格好をするかもしれない。でも、株をやっているから、俺たち二人や親父さんが一般的な仕事をしなくても、一生食うに困らない貯金もある。そういった部分を抜きにしても、年を取ったらわかんないが、今まで書籍で稼いで来たぶんの貯蓄もあるから、無理をして涼香が仕事をすることもない」

「せ、」

「もしかしたら、将来は売れなくなって苦労をかけるかもしれない……それでも俺は、涼香と一緒にいたいんだ」

「……私も、病気のことで苦労をかけるかもしれません。それでもいいんですか?」

「言っただろ? お前じゃなきゃダメなんだよ」


 必ず幸せにするから――そう言って抱きしめてくれた誠志郎さんに、初めてその言葉を素直に聞くことができたし、思わず涙が出た。

 そしてこの夜も誠志郎さんに抱かれた、翌日。


「すぐにでも一緒に住みたいんですが、引っ越して来てもいいでしょうか」

「……二人の寝室を作るから、改装するまで待ってくれ」


 父にそう言われて誠志郎さんはガッカリしていたものの、「わかりました」と言って帰っていった。父はその日のうちに改装の依頼をし、母の部屋だった場所を私たちの寝室に改装することに。

 翌日は誠志郎さんと一緒に指輪を買いに行き、婚約指輪と結婚指輪を依頼して帰ってきた。結局式はチャペルでやり、披露宴は私と誠志郎さんの友人が少ないこともあり、父の友人がしているレストランを貸切にしてやることになった。


 このあとも話し合いをしていろいろと決めたり、時には私たちをネタにした小説のことで喧嘩したり、式を挙げる前に妊娠が発覚したりといろいろあったけれど、それはまあ、別のお話ってことで。





 < 了 >


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