第6話

 彼がお風呂からあがったあとで私も入り、彼に寝てもらう場所まで案内してきた。

 といっても客間を掃除するのをすっかり忘れていたし、他の部屋に通すのもなんだか気が引けるしで、私の部屋に布団を敷いたんだけれど……それが間違いだった。

 しばらくスマホで何かをしていた彼だったけれど、それが終わったのかスマホを自分の荷物のところに置くと、うしろから私を抱きしめてきた。


「涼香……」

「あ……」

「……ずいぶん痩せちゃったんだな」

「病気だったし……」

「わかってる。どんな姿になっても、俺は涼香が好きだから」


 そして彼の愛撫に抱かれていたことが思い出され、抱かれていても彼が何を言っているのかわからないほど、身体は彼を求めていた。そして私の心も。

 彼とひとつになり、それだけでゾクゾクとした快感が走る。ただただ彼にしがみつき、喘ぐことしかできなかった。


「涼香……好きだ、涼香……」

「誠志郎、さ、」

「俺を好きだって、言えよ、涼香」

「好きっ、誠志郎さんが、ずっと、好きだったのっ!」


 小さなころからずっと好きだったけれど、自分の気持ちを彼に伝えるつもりはなかった――胸に秘めているつもりだった。だけどするりと出てきた言葉は、伝えるつもりのなかった言葉。

 それを聞いた彼は一瞬その動きを止めたあと呆けた顔をして、嬉しそうな笑顔を浮かべるとぎゅっと抱きしめ、その動きを早めた。


「涼香……嬉しい、涼香っ」


 彼によって何度か登りつめて一緒に果て、疲れてしまった私はそのまま眠ってしまった。


 翌朝起きると、足腰が痛かった。どうしたんだっけ……と一瞬考え、隣にある温もりに気づいて彼に抱かれたことを思い出した。


(本当に誠志郎さんは、私が好きなんだろうか……)


 そう思うものの、彼のことだから本当に好きな人じゃないと抱かないだろう。それに、彼はこうと決めたら梃子でも動かない人だ。

 だからこそ彼の言葉は信用できるのだけれど、私は自分自身が好きではないから、どうしても否定するとこしかできない。


 きっと、母にされた仕打ちが原因なんだろう。


(少し、痩せたかな)


 彼の顔を見ると、記憶にあるよりも痩せたように見える。この一年半、彼がどんなことをして過ごしてきたのかはわからないけれど、彼にも何かしらの変化はあったのだろう。


 そんなことを考えながら彼を見ていたら、目が覚めたのか目が合った。


「おはよう、涼香」

「お、おはよう、ございます」

「……うん、涼香だ。夢じゃなくてよかった……」


 安心したような笑みを浮かべ、私を抱きしめてキスしてくる彼。裸のままでは何もできないからと一旦離してもらい、一度脱ぎ捨てられていた下着やパジャマを身に付け、着替えを持って階下へと行くとお風呂に入る。

 彼も入るというので入れ替わり、その間に朝食の支度をする。


「……久しぶり、かも」


 彼の分も用意するのは本当に久しぶりだった。

 お風呂から上がった彼はスーツを着ていて、その見慣れない姿に少しだけときめく。


「簡単なもので申し訳ないけれど……」

「そんなことはないよ、これで充分だ」


 そんな会話をして、言葉少なに朝食を食べる。用意したのは焼いた鮭と玉子焼き、わかめのお味噌汁だ。それを完食した彼が改めて私を見る。


「この家は涼香が継ぐんだよな?」

「そうよ」

「あと、親父さんは何時ごろ帰ってくる?」

「今日は出張だから、だいたい夜の十時ごろだと思う」

「そうか……。明日はどうかな」

「土曜日だからお休みだと思うけれど……なんでそんなことを聞くんですか?」


 お茶を啜りながらそんな会話をする。どうして彼がそんなことを聞くのかわからない。


「俺は、涼香と一緒になりたい……結婚したい。この家に婿養子に入ってもいいと思っている。だから、その相談と涼香と結婚する許可を、親父さんにもらいたいんだ」

「え……?」

「本気だからな。だから涼香……俺と結婚してください」


 まさか、そんなことを言われるとは思ってもみなかった。拒否したい気持ちがあったはずなのに、するりと出て来た言葉は。


「本当に、私なんですか? 他の人じゃなくて?」

「俺が知っている『涼香』はお前だけだよ」

「いい、の? 病気持ちの、私で」

「言っただろ? お前のために煙草も止めたって」


 呆然としながら言葉を重ねる。心のどこかで彼に拒否してほしいと願う私がいて、否定しないでと願う私がいる。


 ずっと好きだった。姉が好きだとわかっていても、諦めきれなかった。

 ヒモな生活をしていた彼だけれど、同棲していた時は嬉しかった。


「好きだ、涼香。あの時の俺は出張という言葉が信じられなくて、涼香に男ができたんだと思って、諦めようとして……逃げた。だけどやっぱり忘れられなくて、会いに行って、あの部屋にお前がいないことに絶望した」

「……」

「だからそれを忘れようと仕事に打ち込んだ。けど、ダメだった。お前を思い出すたびに愛しさが募って……。だから三日前、お袋からお前が実家に戻って来ていることを聞いたし子供がいることを聞いた。だから男がいてもいいから俺の気持ちだけでも伝えようと、会いに来た。まさかすべてお袋の勘違いだとは思わなかったけどさ」

「誠志郎さん……」

「俺は本気で、涼香を妻にと望んでいる。だからどうか、俺と結婚してください!」


 彼の真摯な言葉に、いまだ呆然としながら彼を見て、その言葉を聞いていた。本当に、あのだらしがなくて不埒な男が、この人?


 そう思うものの、結局は自分の気持ちに勝てなかった。


「……はい。本当に、私でいいのなら」

「お前じゃなきゃ意味はないんだよ。だから、頷いてくれて嬉しい」


 席を立ち、わざわざ私の側に寄ってくると立たせ、正面から抱きしめてくる彼。そして顔が近づいてきたと思ったらキスをされた。


「今日は帰るけど……明日、涼香と親父さんに会いにくる。指輪も今度買いに行こう」

「……それは構わないけれど……お父さんには同棲していたことは言ってあるから、もしかしたら殴られるかも……」

「うっ……それは覚悟しておく」


 私を抱きしめたままガックリと項垂れたけれど、気を取り直したのか気合を入れ直し、またキスをすると帰って行った。


「……夢、じゃないよね……?」


 椅子に座ってそんなことを呟き、頬をつねってみるものの痛かった。


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