第21話・素直な気持ち

 ベッドの上に寝かされているシエラちゃんは浅く早い呼吸を繰り返し、とても苦しそうにしていた。


「シエラちゃん、大丈夫?」

「あっ、先生……お仕事は……終わったの?」

「えっ? ああ、うん、さっき帰って来たところだよ」

「そっか……お帰りなさい、先生……」


 ――お帰りなさい、か。


 十日前までは毎日聞いていた言葉なのに、なぜかとても懐かしく感じてしまった。


「ただいま、シエラちゃん。体調はどんな感じ?」

「身体が熱くて寒くて動けないの……」

「そっか、ちょっとごめんね?」


 俺はシエラちゃんの額に右手を伸ばし、ピタリと手の平を当てた。


 ――かなり熱いな。


「先生の手、冷たくて気持ちいい……」


 これだけ熱があれば、俺の手が冷たく感じるのも当然だろう。俺は医者じゃないから診断なんてできないけど、おそらく風邪をひいたんだろうと思う。だとすれば、最近シエラちゃんに元気が無かった事にも納得がいく。


「早乙女様、シエラ様の様子はどうですか?」

「恐らくですけど、風邪をひいたんだと思います」

「風邪……病気ですか?」

「はい、結構熱もありますから、それで倒れたんだと思います」

「あの、シエラ様は大丈夫なのでしょうか?」

「熱が下がれば大丈夫だと思いますけど、本人は動くのが辛いみたいなんで、今日は様子を見て明日の朝に病院へ連れて行きましょう」

「そうですか……私が付いていながら、シエラ様をご病気にしてしまうなんて……これでは旦那様と奥様に顔向けできません」


 シルフィーナさんは心底悔しそうに顔をしかめ、両の拳を握り込んだ。


「シルフィーナさん、とりあえず今はできるだけの事をしましょう」

「……そうですね、分かりました。それでは早乙女様、わたくしは何をすればよろしいでしょうか?」

「俺はコンビニで必要そうな物を買って来ますから、その間シエラちゃんの事をお願いしてもいいですか?」

「分かりました」

「シエラちゃん、ちょっと買い物に行って来るから、待っててね?」

「いやっ!」


 急いでコンビニへ出掛けようとした瞬間、シエラちゃんは俺の服を掴み、まるで小さな子供の様にイヤイヤをしながら頭を左右に振った。


「ちょっとコンビニへ行って来るだけで、すぐに帰って来るから」

「いや……」

「どうして嫌なの?」

「先生に居てほしいから……」


 そう答えたシエラちゃんの表情はとても儚げに見え、ここから離れる事を躊躇ちゅうちょさせた。


「でも、それじゃあ買い物に行けないし……」

「早乙女様、その買い物には私が行って参りますので、買い上げる品をメモ紙に書いていただけませんでしょうか?」

「えっ? でもこんな時間に女性を一人歩きさせるわけにはいきませんよ」

「お気遣いは嬉しいですが、今はシエラ様のいち早い快復を優先させるべきです。それに私、これまで何度も襲われた事がありますが、一度も負けた事はないので心配はいりません」

「えっ!? 何度も襲われた事があるんですか!?」

「早乙女様、今はそんな事を話している時ではありません、シエラ様の事だけを考え、私を信用して下さい」

「……分かりました、それでは買って来て欲しいものを書きますので、メモ紙とペンを貸してもらっていいですか?」

「ありがとうございます、早乙女様」


 必要な物を書いたメモ紙を受け取ると、シルフィーナさんは急いで部屋を出て買い物へ向かった。


「シエラちゃん、おしぼりを用意したいから手を放してもらっていいかな?」

「どこにも行かない?」

「行かないよ、ちゃんと側に居るから」

「……分かった」


 俺の返答に安心したのか、シエラちゃんの儚げな表情は消え、ようやく服を掴んでいた手を放してくれた。

 これで自由に動く事ができる様になった俺は、改めて部屋を見渡しながらタオルを探した。そして見つけたタオルを水で濡らして軽く絞り、それを寝ているシエラちゃんの額にそっと乗せた。


「冷た過ぎない? 大丈夫」

「うん、大丈夫」


 そう答えたシエラちゃんは小さくだが微笑みを浮かべた。そしてその笑顔を見た瞬間、俺の中にあったぽっかりとした穴が、スッと埋まっていく様な感じがした。


「シエラちゃん、食欲はある? 何か食べたい物とかあるかな?」

「……先生の作った料理が食べたい」

「俺が作った料理でいいの?」

「うん、ずっと食べてなかったから」

「そっか、それじゃあ消化に悪いものは作れないから、お粥でいいかな?」

「何それ?」

「お粥はね、病気になった時に食べる病人食みたいなものだよ」

「美味しい?」

「うーん……美味しいかどうかは人それぞれだけど、なるべく美味しく作るよ」

「うん、楽しみ」

「ははっ、それじゃあシルフィーナさんが帰って来たら作るね」

「うん」

「他に何か食べたい物はある?」

「プリンが食べたい」

「そう言うと思ってちゃんと買い物リストに書いておいたよ、シエラちゃんプリン好きだもんね」

「うん」


 こうしてシルフィーナさんが帰って来るまでの間、俺は久しぶりにシエラちゃんとまともに会話を交わした。

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