第20話・いつもそこに居た存在

 シルフィーナさんの所へシエラちゃんが行ってから二日が過ぎ、三日が過ぎ、そしてあっという間に一週間が過ぎた。

 あれから俺はシエラちゃんとは学校内でしか会っていない。しかもそれだって朝のホームルームで顔を見るだけで、会話などは一切ない。それなら不思議研究会の顧問なんだから、放課後は話す機会がありそうだと思われるかもしれないけど、もう少しで夏休みという事もあって仕事が忙しく、あれから一度も不思議研究会には顔を出せていない。

 それにシエラちゃんは朝に弱いから、学校へ行く時に鉢合わせする事も無いし、俺は帰りが遅いから尚更シエラちゃんと話す暇など無い。たかだか隣の部屋へ移っただけだというのに、俺達の接点は極端に少なくなっていた。


「先生、活動報告書を持って来ました」

「あ、うん、そこに置いといて」

「忙しそうですね」

「みんなの成績管理やらなんやらで、夏休み前は特に忙しいんだよ」

「なるほど、それで不思議研究会に来れないわけですか」

「そういう事」

「それじゃあ、あの話はまた今度にしよっかな」

「あの話?」

「あ、こっちの話なんで気にしないで下さい。それよりも先生、シエラちゃん最近元気が無いんですけど、何かあったんですか?」

「……いや、別に何もないよ」

「そうですか、私の気のせいなのかな?」


 俺は赤井さんの質問にそう答えたが、それは気のせいではない。だってそれは、一緒に暮らしていた俺がよく分かっているから。


「赤井さん、シエラさん――いや、シエラちゃんの事、これからもよろしく頼むよ?」

「もちろんですよ、シエラちゃんは私の友達で、貴重な不思議研究会の部員なんですから♪ それじゃあ先生、さようなら」

「ああ、気を付けて帰るんだよ?」

「はい」


 赤井さんはにこやかな笑顔でペコリと頭を下げると、職員室をあとにした。


「はあっ、どうしたもんかな……」


 机の上へ視線を戻した瞬間、思わず溜息が漏れ出た。

 シエラちゃんに元気が無い事は分かっている。でも、それがどうしてなのかと言われれば、ハッキリとした理由は分からない。だけど隣へ引っ越した事が原因の一つかもしれない――という思いは少なからずあった。

 しかしここで余計な事をすると、シエラちゃんを更に落ち込ませる事になるかもしれないと思い、俺は何もせずにいた。――いや、それは俺の単なる言い訳で、早くシエラちゃんが居なかった頃の俺に戻らなきゃいけない――と、やせ我慢をしているのだ。


「大人って辛いな……」


 気落ちする自分に言い聞かせる様にそう呟き、俺は残りの仕事に手を付け始めた。


× × × ×


 シエラちゃんとの共同生活が終わってから十日目、俺は凝った首や肩を手で揉みながら夜道を歩いて自宅へと帰って来た。


 ――明日は休日だし、ゆっくり寝よう……。


 とてつもない疲れを感じていた俺はしょっていたリュックを室内の床に下ろし、さっさと着替えてベッドの上に転がった。


「はあっ……疲れたな……」


 シエラちゃんが来てからずっと使われていた俺のベッド。ほんの何日か前までは甘い感じの匂いが残っていたのに、今ではその匂いもすっかり消えてしまっていた。


「…………何で眠れないんだ?」


 疲れてるからすぐに爆睡できると思ったのに、ベッドに寝転がるとなぜか眠気が飛んでしまった。そしてスムーズに眠れないと、どうしてもシエラちゃんが居た時の事を思い出してしまう。

 シエラちゃんは自分からペラペラと話す方ではなかったけど、俺が喋ればちゃんと話を聞いてくれるし、話のラリーもしてくれる。勉強を見ている時は色々な質問をしてくるし、その質問内容が理解できた時のシエラちゃんの笑顔を見るのが俺はとても好きだった。


「……後悔してんのかな」


 シエラちゃんに『隣になるだけだから』と言ったのは俺なのに、その俺が後悔していては本末転倒だが、ポロっと口にしてしまったその言葉が俺の本心なのかもしれない。しかし今更どうしようもない事ので、俺は悶々としていた。

 そしてそんな感じで何度目かの溜息を吐いた時、突然玄関が素早くノックされ、俺は上半身を起こした。


 ――こんな時間に誰だ?


「はーい、どちら様ですか?」

「早乙女様、シルフィーナです。夜分に申し訳ありませんが、助けていただけないでしょうか?」


 夜だから声量を抑えているみたいだが、その声は明らかに焦りを感じさせるものだった。そしてその声を聞いた俺は、急いでベッドから下りて玄関へと向かった。


「どうかしましたか?」

「早乙女様、どうかお助け下さい、さきほどシエラ様が倒れられたのです」

「えっ? シエラちゃんが!?」


 焦った様子のシルフィーナさんからそう聞いた俺は、すぐに玄関に置いてあるサンダルを履いて隣へと向かった。

 そして玄関を開けて中へ入ると、うちより少しだけ広い室内のフローリングに綺麗なベッドが置いてあり、その上で寝かされて苦しそうにしている火照った顔をしたシエラちゃんの姿があった。

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