第19話・言えない本音

 シルフィーナさんが我が家へ来てから三日が経った今日、俺は自室の隣にある203号室に、シルフィーナさん達と一緒に買って来た荷物を運び入れていた。


「シルフィーナさん、荷物はここに置いておきますね?」

「はい、お買い物にご一緒いただき、ありがとうございます。あとはわたくし一人で大丈夫ですので、早乙女様とシエラ様はお部屋に戻って身体をお休め下さいませ」

「分かりました、それじゃあ部屋に戻りますから、何あったら遠慮なく来て下さいね?」

「はい、お気遣いありがとうございます」

「シルフィー、またね」

「はい、あとでお迎えに参ります、シエラ様」


 ――ん? お迎えに参ります?


「行こう、先生」

「あ、うん」


 シルフィーナさんの言葉にちょっとした引っ掛かりを感じたけど、俺はシエラちゃんに手を引っ張られ、その言葉の意味を確かめる事ができなかった。

 それにしても、シルフィーナさんの住居が見つかったのは良かったけど、まさかそれがうちのお隣になるとは思ってもいなかった。二日前に203号室の人が引っ越しを始めたからずいぶん急だなとは思っていたけど、本当にシルフィーナさんはタイミングが良かったとしか思えない。


「先生、お昼は何を作るの?」

「そうだなあ……シルフィーナさんが隣に引っ越して来たわけだし、引っ越し蕎麦でも作ろっかな」

「引っ越し蕎麦? 何それ? 普通のお蕎麦と違うの?」

「それについてはちゃんと説明するけど、その前に買い物に行かないと」

「それじゃあ私も行く」


 こうして俺はシエラちゃんを連れ、引っ越し蕎麦を作る為に近所のスーパーへと向かった。


× × × ×


「はーい! 今行きまーす!」


 買い物から戻り引っ越し蕎麦が出来上がった頃、玄関の扉を数回ノックする音が聞こえ、俺は玄関へと向かった。


「あっ、シルフィーナさん、ちょうど良かった。今から呼びに行こうと思ってたんですよ」

「私をですか?」

「はい、ちょうど引っ越し蕎麦が出来上がったから、一緒に食べようと思っていたので」

「そうでしたか、私も早乙女様とシエラ様にお話がありましたので、ちょうど良かったです」

「お話ですか?」

「はい」

「まあとりあえず上がって下さい、シルフィーナさんのお話は蕎麦を食べたあとに聞きますから」

「分かりました、それではお邪魔致します」


 小さなテーブルに用意した三人分の引っ越し蕎麦、俺達はそのテーブルを囲む様に座り、さっそく蕎麦を食べ始めた。


「早乙女様、この引っ越し蕎麦というのは人間界こちらの習慣の様なものでしょうか?」

「うーん……習慣というよりは、江戸時代から続く伝統みたいなものですかね」

「伝統ですか、それではこのお蕎麦にはどの様な意味があるのでしょうか?」

「引っ越し蕎麦は引っ越して来た人がご近所に配るもので、『おそばに末永く』とか、『細く長くお付き合いをして下さい』とか、そんな意味合いで配ってたらしいですよ」

「という事は、これは本来、私が早乙女様やご近所の方に配らなければいけないものだったのですね。勉強不足で申し訳ございません」

「あー、いやいや、謝らないで下さい。確かに日本の伝統みたいなものですけど、こんな事をやってる人なんて今はほとんど居ませんから」

「そうなのですか?」

「ええ、今の日本人の多くは、他人との直接的な交流を極端に避ける傾向があるので」

「なるほど、勉強になります」


 シルフィーナさんの質問に答えたあと、俺達は雑談を交えながら昼食を摂った。


「ふうっ……シエラちゃん、美味しかった?」

「うん、美味しかった」

「シルフィーナさんはどうでしたか?」

出汁だしがとても美味しかったです。是非とも私のレパートリーに加えたいので、よろしければレシピを教えていただけませんか?」

「大した事はしてないですけど、こんなので良ければ教えますよ」

「ありがとうございます。ところで早乙女様、お食事も終わりましたので、私の用件を話させていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ、そう言えば何かお話があるんでしたね。何でしょうか?」

「率直に申します、シエラ様を私の部屋でお預かりしたいのです」

「「えっ?」」


 その言葉を聞いた瞬間、俺とシエラちゃんはほぼ同時に驚きの声を上げてしまった。


「あの、それってどういう事ですか?」

「先日シエラ様と早乙女様からお話を聞き、お二人の今の状況などは理解できました。しかしシエラ様と早乙女様が一緒に住むには不便な事も多いと思われます。ですからシエラ様の事を一番知っている私と一緒に暮らすのが良いと、そう判断したのです」


 その話を聞いた時、俺は素直に嫌だと思った。俺の日常はシエラちゃんのおかげで楽しく思える様になったから。でもそれと同時に、シルフィーナさんの言っている事も理解はできたから、俺の思いを素直に口にする事はできなかった。


 ――これからのシエラちゃんの事を考えたら、シルフィーナさんの言う通りにした方がいいのかもな……。


「どうでしょうか? 早乙女様、シエラ様」

「私は嫌」

「それはなぜでしょうか? シエラ様」

「私は先生と一緒に居たいから」

「なぜ早乙女様と一緒に居たいのですか?」

「それは……私にもよく分からないけど……でも私は先生と一緒に居たい」

「…………シエラちゃん、俺はシルフィーナさんの所へ行った方がいいと思う」

「どうして?」

「俺とシエラちゃんの生活は、シエラちゃんが行く場所が無かったからこうなってただけだから、実家でシエラちゃんのお世話をしていたシルフィーナさんが隣に来た以上、もうここに居る理由は無いと思うんだ」

「でも私はここに居たい、ここを離れたくない……」


 シエラちゃんは俺を見てそう言いながら、ちょっと悲しそうな表情を見せた。


「離れるって言っても隣の部屋になるだけじゃないか。それにシルフィーナさんの方がシエラちゃんの世話も行き届くだろうし、俺はその方がいいと思うよ」

「……そっか、分かった」


 シエラちゃんはそう言うとしょんぼりとした様子で立ち上がり、何も言わずに部屋を出て行った。


「早乙女様、私のお願いをお聞き届けいただき、ありがとうございます。シエラ様のお荷物は後ほど引き取りに来させていただきますので、ここは一旦失礼させていただきます」


 シルフィーナさんはそう言うと、深々と頭を下げてから部屋を出て行った。


「これで良かったんだ……これで……」


 こうして俺とシエラちゃんの二人暮らしは終わり、俺はまた一人暮らしに戻る事になった。

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